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名探偵コブゼックを探して

 先日若くして亡くなった人気推理小説作家グレン・ポプキングに『名探偵コブゼック』という人気シリーズがある。このコブゼックという私立探偵コブゼックがその名推理で難事件を解決する連作には一般読者だけでなく、純文学の読者にさえ熱狂的なファンがいた。この推理小説としては大したトリックもなく、どちらかといえば初心者むけと見られるこのシリーズだが、何故難解な小説を好むと思われがちな純文学の読者まで魅了したかというと、それはひとえに主人公の名探偵コブゼックのキャラクターの魅力である。

 このコブゼックなる男。名探偵と名乗っているくせに、いつも推理を間違うのである。まるっきり無罪の人間を前に偉そうに自らの推理を開陳し、相手に自白を促したりするのだ。しかもコブゼックはその間違った推理を作り上げるために、事件の関係者を尋ね回ってまるでトンチンカンな聞き込みをする。結局事件はいつも最後に無事に解決するのだが、その過程でのコブゼックのあまりにもズレた行動が多くの、純文学の読者までも魅了したのである。ある純文学の有名作家はとあるエッセイで何度も誤りながらひたすら事件の解決に勤しむ、このコブゼックはまるで我々文学者そのものではないかと書いたことがある。コブゼックの生みの親であるグレン・ポプキングもその彼の魅力については重々承知しており、小説の中で何度となく愛のあるツッコミを入れていた。名探偵コブゼックの天然ボケに対する作者ポプキングの鋭いツッコミもこの小説の読みどころの一つであった。

 コブゼックのキャラクターはシリーズを重ねるごとにリアル感を増していき、もしかしたらコブゼックなる人間が実在するのではないかと思われるほどになった。恐らく読者の大半はコブゼックが解決した事件の事はほとんど覚えているいないだろうが、コブゼックのセリフや彼の登場シーンは読者の大半はそらで覚えているだろう。コブゼックはそれほどキャラクターとして、小説からでさえ、独立して存在していた。

 私もまた名探偵コブゼックの愛読者の一人であるが、やはりコブゼックのキャラクターに魅入られてこのシリーズを読み続けていた。私は普段文芸評論家として主に純文学をメインにした本や論文を書いているが、コブゼックシリーズはそれらの本の執筆に疲れた時に読む貴重な癒しであった。だから作者のグレン・ポプキングが突然亡くなりシリーズが終了するのを当然悲しんだ。だが一方ではこれでよかったのではないかという思いもある。何故ならグレンは亡くなる直前にコブゼックシリーズの最高傑作『名探偵コブゼック ロンドン大パニック』を書き上げていたからだ。ここには我らが愛するコブゼックが最も輝かしい姿で描かれている。彼の大間違いの推理も、間抜けな行動も、そのトンチキなセリフも全てである。恐らくグレンは生きてこれからシリーズを書き続けたとしてもこれ以上のものは書けまい。この最高傑作を読んだ私を含め多くの読者がそう感じたに違いない。

 さて、私は作者のグレン・ポプキングが亡くなってからずっとコブゼックシリーズを読み返しているのだが、ふとこのコブゼックは誰をモデルにしているのだろうかと考えてみた。これほどのリアルさを持つキャラクターが作者グレン・ポプキングの想像だけで出来たとは考えにくい。私はそう考えながら小説の中のコブゼックの行動を追っていたが、読んでいくうちにモデルが誰なんだということで頭がいっぱいになってしまった。きっとグレンの近くにコブゼックのモデルがいたに違いない。その人間は一体何者なのか。

 私は自分の中に溢れてくるこの問題を放っては置けず自分で調べて本に書こうと思い立った。そして早速コブゼックのモデルを突き止めるために行動を起こしたのである。


 作者のグレン・ポプキングと私は多少縁があった。まず彼と私は同じ大学に通っており、何度か講義にも同席したことがあった。グレンはすでに作家活動していたが、最初は後の推理小説家ではなくて生真面目な純文学としてデビューしていた。ということもあり彼は大学でもそこそこ顔と名が知られていたが、私は講義で彼に見かける度に、その才気ある姿を憧れを持って眺めたものだ。ある時私は講義の担当の教授がニコラス・ブレイクを語るのにドストエフスキーやニーチェを持ち出したのに鼻白み思わず立ち上がってたかが通俗推理小説家のブレイクを何故そんなに褒めそやすのかと意見したが、教授はそんな私をそりゃブレイク違いだと嗜めた。教室にはどっと笑いが起きたが、何故かグレンが一番笑っていたのを覚えている。

 その後も私はグレンと何度かあった。一度など出版社主催の私の著書の出版記念のパーティにも出席してくれた事がある。その時彼は今『エリザベス・コステロ』という小説を読んでいるのだが、全く素晴らしい間違いなく歴史にのける名作だと持ち上げたのだ。それを聞いた私はグレンが恥ずかしい勘違いをしている事を憐れみ、その場で彼の間違いを正してあげた。グレン、君の言っているエリザベス・コステロとは小説ではなくてエルビス・コステロというロック歌手の事だよと話し、それからそのエルビス・コステロの事をエピソードも交えて詳しく教えてあげたのだが、彼は私の話を一通り聞き終わった後、そりゃコステロ違いだと例の教授のように言って笑ったのである。

 私はコブゼックのモデルを調べるために新聞雑誌やネットを片っ端から漁り、彼がコブゼックについて語ったインタビューなど残らずチェックして、とうとうコブゼックのルックスをデビュー当時から世話になっていた担当編集者から借りた事を突き止めたのである。私は早速その担当者が勤務している出版社に電話をかけ、本人に向かって今コブゼックについての本を執筆しているから取材を受けてくれないかと頼んだ。するとすぐに日時はいつがいいかと回答が返ってきた。

 それで私は翌日に出版社の近くのレストランでそのコブゼックの外見のモデルである編集者のロバートに取材したのだが、このロバートとかいう男はルックス以外まるでコブゼックとにておらず、酷く失望させられた。この男は確かにルックスはグレンの書いたコブゼックそのままなのだが、クソ真面目を絵に描いたような男でコブゼックのあの間抜けなおかしみが一切ないのである。彼は私に向かってグレン・ポプキングがコブゼックシリーズを描くためにどれほど苦労したかという話とか、グレンがイギリス紳士らしくいつもネクタイを締めキッチリと締切を守る男だったとかいう話をしたが、しかし私はそんな作者の苦労話やどうでもいい話を聞くために取材を申し込んだのではなかった。ならばと私はロバートに向かってダイレクトにコブゼックのモデルはあなたの他にもいるのだろうと問うた。するとロバートは私をじっと見つめて「そういえばそんな人間いるかもしれないな。奴もコブゼックの本当の正体は墓場まで持っていくよって言っていたし」と答えた。私はこれを聞いてもしかしたらグレンはコブゼックが実は探偵でなくて国際スパイだと設定していたのではないかと考えた。それでロバートにそれを確かめたのだが、聞いた途端にロバートは何故か口元をスペルのUみたいに歪ませて黙り込んでしまったのである。私は口元をUみたいに歪ませて苦しそうにしているロバートが心配になり、胸が苦しいのか、今すぐ救急車を呼ぼうかと声をかけたが、ロバートは口元をUに歪ませたまま無言で私に手を振り、しばらくしてようやく口を開けるようになるともう帰っていいかと私に聞いて来た。私はロバートにこれ以上ものを聞いても何も出てこないだろうし、これ以上ロバートをここに閉じ込めておいたらまた口をUに歪ませて、今度はそのまま心臓発作を起こしかねないと心配してすぐに彼を解放してあげたのである。

 それから私はグレン・ポプキングと同棲していた女性にもあった。このキャサリン・フィールドという素敵な女性は待ってましたとばかりに私を歓迎してくれ、家の中を案内しながらグレンの性格から自分とのプライベートな出来事に至るまで開けっぴろげに話してくれたのである。だがそれらの話はコブゼックのモデルの正体を突き止めようとする私にとって全てどうでもいいことであった。しかしその無駄な話の中で私にとって喜ばしい話を聞いた。何でもグレンは私に学生時代からずっと興味を抱いていて、事あるごとに私を面白い人間だと語っていたそうだ。残念ながらグレンは私の著作を例の出版記念会で渡された一冊しか持っておらず、また私の文芸活動について大した事は知らなかったようだが、それでもあのコブゼックを生み出した男にここまで興味を持たれる事は嬉しかった。私は感激してキャサリンにいずれあなたも知りたいであろうコブゼックのモデルの正体を突き止めてみせると宣言したが、その時キャサリンは露骨に渋い顔をした。私はキャサリンがまさか自分を誤解していると思い、ハッキリとあなたを口説きにここに来たのではないと宣言したが、キャサリンはその私をみて何故か突然大声で笑い出した。


 結局キャサリンからもコブゼックのモデルについて情報を得ることができず、私のコブゼックのモデル探しの旅はスタート地点から一向に進まなかった。

 だが私はいずれ名探偵コブゼックを見つけるだろう。コブゼックはどんな人間なのか。やはり本の主人公のように勘違いの極みの滑稽で楽しい人間なのだろうか。と、このように、私はもしかしたら自分のそばにいるかも知れぬと、まだ見ぬコブゼックのモデルについて楽しい空想に耽るのであった。

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