フィット・タクティング ~カリスマ指揮者、ゲームに出る!
我らが大振拓人の人気はもはやクラシック界にとどまらず一般層にまで広がっていた。そんな彼を各メディアが注目しないわけがない。いろんなメディアが大振に日々アプローチをかけていたが、その中にはなんとゲーム会社もあったのだ。
そのゲーム会社はリング・フィットやフィット・ボクシングの三番煎じのダイエット用のゲームソフトを作るべくいろんなアイデアを立てていたが、その彼らの白羽の矢に立ったのが、我らが大振であった。彼らはテレビやYou Tubeでみる大振の全身を振り乱し、さらには四回転までしてジャンプして指揮をしているのを見て彼を今度出すゲームソフトに使えないかと思ったのだ。大振は女性に非常に人気がある。彼のコンサートの客の九割五部は女性である。その女性たちの関心ごとは何か。それはダイエットだろう。クラシックとダイエットとは一見奇妙な組み合わせに見えるが、大振の激しすぎる指揮は完全にスポーツあり、ダイエットと相性が悪いはずがないのである。女性たちは画面の大振拓人の叱咤激励を浴びてベートーヴェンやチャイコフスキーを振りまくるだろう。恐らくマスコミにも取り上げられまくってバカ売れは必至。ゲーム会社の人間はそう考えて大振拓人について徹底的にリサーチした上で彼に仕事の依頼をした。
大振拓人は意外にも必ず仕事の依頼に関してはとにかく話だけは聞く人間で、よほど酷い依頼でなければ門前払いする事はない。この間も離島の創立100年の小学校の廃校のためにコンサートをやってくれと依頼を受けて感動してフルオーケストラで駆けつけようとしたぐらいである。だがギャラが確実に赤字になり事務所自体が潰れそうになるので涙を呑んで断らざるを得なかった。
ゲーム会社はリサーチで大振拓人という人間を知って完全にビビりながら彼の事務所に入った。しかし実際に会った大振は意外と低姿勢でテーブルにつくなり紅茶と菓子を勧められた。勿論「この紅茶と菓子はヨーロッパから取り寄せたもので、あなた方一般市民のお口には合わないでしょうがどうぞ」の軽蔑丸出しの言葉付きであったが。
というわけで早速ゲーム会社はゲームの内容に関して話を始めたのだが、これまた大振は意外にも大乗り切りであった。大振は軽らに対して「自分も子供の頃はゲームがしたいと思っていた。だが僕を利用して出世をたくらむまるでモーツァルトかベートーヴェンの父親のように凡庸で低俗な人間であった両親は僕にクラシックしか教えずNintendo Switchさえ買い与えようとさえなかったんだ。彼らはただ僕を巌窟王のように牢獄のような屋根裏の部屋に閉じ込めて痩せ切った死神のように醜悪な老人に命じてピアノを叩きこませるだけだった。僕もみんなと同じようにNintendo Switchでポケモンなんかやっていたらどれだけ幸せだったかと思うよ」と熱く語ったが、ゲーム会社の連中はそれを聞いていてゲーム会社の人間はあれ?資料にはコイツは自宅じゃなくてピアニストの家で個人レッスン受けていたと書いていたはずだとか、これも資料ではレッスン受けていたのは某有名女性ピアニストになっていたはずだとか、Nintendo Switchって発売されたのってこいつが二十歳ぐらいの頃だよな?なんか話おかしくね?と無数の疑問が湧いたが勿論彼に疑問述べることはなかった。
彼らは大振の気をよくしようと彼の話にそうっすねとか大袈裟に相槌を打ってとにかく彼の長すぎる話が終わるのを待った。そして話が終わると大振がブチ切れないように言葉を選んでゲームの企画の説明を始めた。
「これはですね。ゲームをしながら音楽と健康について学んでいこうというものでありまして……」
「何?何故ゲームでそんなものを学ぶのだ。学ぶのだったら本やネットで充分ではないか。子供は学ぶことから解放されたくてゲームをするのだろう。僕が蜘蛛の巣だらけの牢獄のような屋根裏でピアノを叩きこまれていた子供時代Nintendo switchでどれほど地獄のレッスンから解放されたかったと思っているのだ。子供には学ぶことより遊ぶことを望んでいるはずだ!」
この大振の真っ当すぎるがあまりにもズレている意見を聞いてゲーム会社の連中は大振を噂以上の面倒い人間だと思った。しかし彼を怒らせるわけにはいかないのでさらに言葉を選んで丁寧に説明を続けた。
「いえ、私たちは別に勉強を強制しているわけではありません。このゲームは勿論遊ぶことが前提になっています。ゲームを楽しみながら音楽と健康についても学んでゆくというのが今回大振さんにご参加頂こうとしているゲームなんです。大振さんも勿論ご存知かと思いますが、クラシックが健康に非常に良いという事は数々の研究で明らかになっている事です。特にモーツァルトが一番健康に良いと」
「ふむふむ」と大振は話に興味を持ったのか少し前のめりになった。ゲーム会社の連中は続けて喋った。
「そのクラシックで肥満に悩む現代人を救う事は出来ないかと私たちは考えたのです。肥満は成人病の大元ではないですか。肥満をなくすのは成人病をなくすも同じだと思うわけです。だから私たちは大振さんに肥満に悩める彼らを救って頂きたくてこうしてゲームに参加できるようお願いに来ているわけです。特に大振さんには女性のファンが沢山いらっしゃる。その女性のファンの多くが肥満に悩んでいるわけです。だから大振さん」
ここで突然大振は立ち上がってゲーム会社の連中をフォルテシモに怒鳴りつけた。
「ふざけるな!俺は最初お前らが言っていた事を聞いて子どもたちがゲームで遊びながらクラシックを学んでいくものだと思っていたぞ!なのになんだ!興味を持って聞いて見ればただのダイエットソフトじゃないか!なんで俺がそんなデブの馬鹿女のダイエットの手伝いをしなければならんのだ!そんなデブには養豚場を見学させてこれ以上自分が太ったらどうなるかその目で確かめさせればいいのだ!」
大振はそう言ってゲーム会社の連中に今すぐ出て行けと言い放った。もうこれでこのゲーム企画は終わりだと誰もが思ったその時だった。今まで黙っていたゲーム会社の女性社員が突然涙を流し始めたのである。その女性社員の涙にさすがの大振も動揺した。ああ!女の涙はつよいどんな高級料理人でも女の涙にはかなわない。彼女は泣きながら大振に訴えた。
「あなたはダイエットで死にそうな程苦しんでいる自分のファンにそんな事を言うんですか。何度もダイエットに失敗してその絶望の中であなたの音楽に救いを求めているファンにそんな冷酷なことを言うことができる人間なんですか?」
この訴えにさすがの大振も心が動いた。そうだ。俺は肝心な事を忘れていた。俺は人に希望を与えるために音楽をやっているのだ。いくら軽蔑されて当然のデブとはいえ、彼らもまた人間の一人であるのだ。差別はいけないと、差別丸出しの思想で自らを反省すると彼は女性社員の手を握ってゲームに参加させてもらうよと言い、僕が参加することで全ての人間がデブという醜悪な軛から逃れて幸せになれたらいいなとかなんかもう色々酷いおべんちゃらを言った。
さてその大振が参加するTVゲームとは次のような内容である。まず指揮棒を持っているプレーヤーの操作キャラクターがいて、プレイヤーはクラシックの曲に合わせてSwitchのジョイコンを振るのだが、大振が参加するだけあってただ振るだけでなくアクションもしなくてはならないのだ。ヒンズースクワットのように腰をかがめたアクション、ブレイクダンスのようなアクション、体をそらすようなアクションとか、まあ普段指揮で大振がやっているような事をするのだが、そのプレイヤーの動作に対して大振のアイコンが叱咤激励をするわけである。ゲーム会社が作った大振のアイコンはなかなかに本人の特徴をつかんだ可愛いアイコンで大振も自分がこんなに可愛いのかと照れながらも褒めていた。
さて大振はそのプレイヤーへの叱咤激励を録るためにスタジオに入り、収録の台本を読んだのだが、読んだ瞬間いきなり台本を叩きつけてこんな甘っちょろいものじゃデブ女は絶対にダイエットせん!俺が全部書き直してやる!と言って一から叱咤激励のセリフを書き直してしまった。ゲーム会社の連中はその暴君ぶりに戸惑ったが、ここまで来たらもういくしかないと思って彼の主張を全て受け入れたのであった。それであっという間に台本を書いた大振は意気込んで録音ブースの中に入っていった。収録スタッフはその彼を盛り上げようと今回のゲームで使われるモーツァルトやらベートーヴェンやらシューベルトやらワーグナーやらチャイコフスキーやらドヴォルザークやらマーラーやらとにかく沢山クラシックの名曲をかけたが、大振りはその曲に乗せて熱い口調でセリフを叫んでいた。
「このブスなんだその動きは!それでも人間なのか!」「お前の前世は豚であろう、いや豚以下だ!」「なんだその指揮は!それでまともな音楽が奏でられると思うのか!」「お前には指揮の才能がない!それどころかまともな人間として生きられるだけの能力さえない!大人しく豚にもどれ!」「お前は一度その無様な指揮で演奏される作曲家の気持ちを考えた事があるのか!」「お前のそのデブな体では指揮は不可能だ!いっそ人生ごとリセットして痩せた体で生まれ変われ!」
大振りはずっとこんな事を喚いていたが、それをずっと聴いていたゲーム会社の社員は呆れた口調で隣の同僚に言った。
「このゲームもう作んのやめね?」
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