見出し画像

読者感想文

 中学三年の頃国語の授業で読書感想文の発表会があった。教師が宿題として提出された感想文の中から特に優秀なものを読み上げて良いところを指摘していくのだが、その中に文章力がずば抜けて素晴らしいものがあった。教師は半ば自分でも夢中になってこの感想文を一気に読んだが、教師は読んだ後で、この生徒が感想文を書いた本をまるで知らないと言う事に気づいた。彼はこの感想文を書いた女子生徒にいささか恥ずかしさを感じながらこの本について教えて欲しいと頼んだ。他の生徒はそんな教師をニタニタ笑ったが、教師はその嘲笑に耐え女子生徒の答えを待った。すると女子生徒は窓際の席で寝ている生徒を指差して言った。

「その小説は今そこで寝ている高森君がこの間ネットであげていたものです」

 彼女の言葉を聞いて教師は口をあんぐりと開けて凍りついた。生徒たちはこの思わぬ出来事に一斉に騒ぎ出した。その騒ぎで目覚めた高森はクラスメイトから肩を揺すぶられ一斉に質問された。お前小説書いてるんだって?どこで読めるんだよ?高森はこの矢継ぎ早の質問にわけがわからなくなった。一体誰がなぜ……。と顔を上げると一人の女子生徒が起立していて自分に向かって微笑んでいるのが見えた。すると男子生徒が彼女を指差してあいつがお前の小説の読書感想文書いたんだぞと言った。彼はそれを聞いて心臓が止まるほど驚いた。彼は自分の小説が読書感想文の題材になった事が信じられず、これは夢ではないかと思っ……。夢?明らかに夢だ。また俺は寝てしまったのか。


 小説家高森森男は突然現実に目覚めて跳ね起きた。スマホの時計を見たらすでに昼過ぎであった。どうやら徹夜の果てに机で寝てしまったらしい。しかしあれは久しぶりに見た夢だった。先程見た夢は実際に起こった出来事で、彼はこの出来事がきっかけで小説家になることを決めた。この事件の後女子生徒は迷惑かけてゴメンと謝ってきたものだ。女子生徒の話によると彼女は彼のブログの読者で、小説の連載が始まってからずっと読んでいたらしい。そして小説を全て読み終えた彼女はあまりに感動して勢いで宿題の読書感想文を彼の小説で書いたのだ。高森はこの思わぬ女子生徒の言葉に震えがくるほど感激した。ろくにアクセス数もなかった小説をちゃんと読んでくれる人がいたなんて。しかもその人から直にこうして絶賛の言葉を受けるなんて。だが、照れもあってか高森は素直に感謝する事が出来なかった。彼は女子生徒にわざとらしく無関心を装ってあっそうと答えて彼女の元から去った。その後彼はやはり女子生徒に対する対応はまずかったと反省し、お詫びもかねて感謝を伝えるために何度か彼女に話しかけてみようと思った。しかしいざ話しかけようにも勇気がなく、また女子生徒の方も高森から自分がうざがられていると思ったのか彼に近寄らなくなり、そのまま中学を卒業して彼女とは完全に縁が切れた。

 目を覚ました高森はテーブルの上を見た。油のつきまくったノートPCのキーボード。そのPCにもある三日前に零したコーヒーの後、そしてPCの液晶に映るWordの真っ白な原稿。彼はそれらを見て深くため息を漏らす。ここ三日間ずっとこんな状態だ。執筆は一向に進まない。別にスランプなわけじゃない。書こうと思えば今すぐにでも書ける。だが今はその書く気さえ全く起きない。しかし小説を書かなければ印税は入らないから結局は書かざるを得ない。彼は自分が置かれている状況を思ってため息をついた。

 高森森男は大学生の頃に学生作家としてデビューした。十代でデビューしたので最初はそれなりに注目された。だが何年か経つと彼の後からデビューしてきた作家たちの影に隠れるようになり彼の小説はあまり注目されなくなっていった。しかしそれでも高森には一定の読者はいて彼は作家としてどうにか食べていけたが、最近はそれも怪しくなり発行部数は発売するごとに減る一方だった。高森はなぜ自分が売れなくなったのかを知りたくて売れている小説を買って読もうとしたが、ページを開いた瞬間ぞっとして閉じた。書き出しを目にした途端自分が確実に時代遅れになっていることを目の当たりにしたからである。

 このままじゃどのみち廃業だと高森は真っ白なWordを前にして思った。どうせ原稿を出しても編集者は、はいはいと愛想もなく無造作に原稿を受け取り、形だけの校正をして印刷に回すのだろう。そして出版されたら無数の誤字脱字が見つかってネットで自分が嘲笑される。全くやり切れないことの繰り返しだ。だがこの繰り返しはもうすぐ終わるのだろう。ひょっとしたら今すぐにでも終わるのかもしれない。

「いや、こんなものうちじゃ出版できないよ。今までどうにか出してあげてたけどもう限界だ。うちだって慈善事業でやってるわけじゃないからね。君とは長い関係だったけどもう終わりだ。これからは遠くから君の活躍を祈っているよ」

 高森は頭から湧き出てくるこんな陰鬱な妄想にうんざりしてPCを閉じた。そして現実から逃避しようと引き出しからファンレターをいくつか取り出した。彼は出版社から受け取ったファンレターから気に入ったものを残していた。ファンレターはデビュー当初は百通ぐらいきていたが、最近は二三通しか来なくなった。彼はこの惨状に見事なまでの人気のバロメーターだと自虐的に笑っていた。彼の気に入ったファンレターは当然自分の作品を褒めているものだが、彼はその中でもさらに深く読み込んでいると思われるものを厳選して残した。その中でも大事にしていたのは時々匿名で送られてくる長い手紙だった。多分女性と思われる柔らかい筆跡で書かれたそのファンレターは彼の作品を無条件に持ち上げるだけでなく、一つ一つの場面に対する比喩の指摘、さらには彼が小説に込めたメッセージなど的確に読み取ったまるで評論とも言うべきものだった。高森は自身がぐらつく時はいつもこの匿名のファンレターを読んで自分を励ましていた。SNSなど殆どやっておらず、普段読者と接していない高森にとってファンレターは唯一読者の感想を知る機会だった。彼は匿名の手紙の他にもいいと思ったものを古い日付順に読んだ。だがそうやって読んでいくと新しい作品ごとにだんだん熱量が醒めているのがわかるのだ。あの匿名のファンからはここのところ手紙は来ていない。そんなに手紙をくれる人じゃないが、こんなにも来ないとなんだか見放されたような気分になる。いや本当に見放されたのかもしれない。仕事が投げやりになっているのは自分でもわかる。まるで達成感もなくただ端金と義務だけのために毎日PCと睨めっこしている日々。ああ!うんざりだ!結局ファンレターさえなんの慰めにはならなかった。高森は無造作に手紙をまとめるとそれをまとめて引き出しの中に放り込んだ。

 それからしばらく呆けていたが、そこに編集者から電話が来た。わかっているさ。原稿の催促だろ?高森は気のない調子で電話に出た。すると彼よりも気のない調子の編集者が彼に原稿の進捗を尋ねた。

「今どの辺まで進んでるぅ〜?もうすぐ締切だから早めに終わらせてくれないとこっちは困るんだよねぇ〜」

 高森は正直に最終章まですすんでるけど、そこからずっと止まっていると答えた。すると編集者はあくび混じりのため息を吐いてこう言った。

「そんなものチャチャって済ませりゃいいじゃん。どうせみんな最後まで読まねえんだし。とにかく明日そっちに行くから予定空けといてよ」

 編集者はこう言うと同時に電話を切った。高森に返事をする機会さえ与えなかった。高森はスマホを見つめて泣きたくなった。明らかに自分の小説に対して何も期待していない態度だ。彼らが求めているのは原稿だけだ。とりあえず原稿を本にする。その仕事のために。高森はいっそ適当にラストまで書いてしまえと思った。そうすればこの陰鬱な気分から逃れられる。彼はさらにいっそ作家なんか辞めてしまえとも思った。中学時代にネットで書いていた自分の小説がクラスメイトの読書感想文の題材になり、舞い上がって小説家になろうと決めたのはこんな惨めな未来の為じゃなかった。あの頃イメージしていたのは名作を立て続けに出し、あらゆる文学賞を贈られるそんな薔薇色の未来だった。思えば自分の全盛期はあの頃だったと思う。自分が小説を書いている事が広まった途端、クラスの連中は一斉に自分を天才だと誉めそやした。教師までもちゃんと怠けずに勉強すればきっと小説家として大成するだろうと言ってくれた。確かに小説家にはなれた。だがその結果得たのがこんな惨めな未来だなんて。

 その翌朝編集者からメールが来た。十二時頃までに家の近くの喫茶店に原稿を持ってきてくれとの事だ。奢るのでお金は持ってこなくていいらしい。文章のしたに喫茶店の名前と住所が載せられ、その下にご丁寧にGoogleマップまで貼り付けられていた。高森は確認のメールを送信すると、とりあえずシャワーを浴びで三日分の汚れを綺麗に洗い落とした。それから布巾で原稿の入ったノートPCの汚れを拭き取ってカバンに入れるとありものの服を選んで着替えた。そして時間になるとカバンを手に喫茶店へと向かった。

 高森が喫茶店に入ると奥の席に座っていた編集者が手を軽くあげて彼を呼んだ。気乗りのしない調子で彼が向かうと編集者はまあ座れといってそれから彼に注文はと聞いた。メールにも書いたけど全部俺の奢りだからと続けて言う。高森は編集者の珍しく気前のいい態度に嫌なものを感じた。いつもは直接家に来るのに、わざわざ店に呼び出して奢るなんてどういう事だ。彼は早速原稿の入ったノートPCを見せようとしたが、編集者はそんなに慌てるな注文が来てないだろと高森を制した。編集者はいつものウザそうな顔でなく妙に神妙な顔をしてチラチラとこちらを見てくる。高森はその視線に不安を感じた。

 間もなくしてウェイトレスがトレイに二つのコーヒーを乗せてやってきた。ウェイトレスは他にご注文はと聞いてくる。編集者はまた俺の奢りだからなんでも頼んでいいぞと促した。しかし高森はいいと返事をしコーヒーカップに砂糖とミルクを入れた。編集者は彼に向かって甘党なのとかいらんことを聞いてくる。彼は愛想笑いをして適当に誤魔化す。高森はもう店にいるのが耐えられなくなった。ああ!早くこっから出ていきたい。

 コーヒーを飲み終わると編集者は原稿見せてと高森に言った。この言葉を聞いた瞬間いつものことだが急に緊張してきた。高森はカバンから慎重にノートPCを取り出して開くとそれを編集者に渡した。編集者はいかにも仕事といった感じで表情も変えずノートPCを操作して原稿をざっとチェックし終えると高森にラストはどう考えてんのと聞いてきた。高森はとりあえず考えていたラストを語ると、編集者はただあっそうと返事をし、PCを返してきた。

「まぁ、それでいいんじゃない?とりあえず締め切りまでに書いてくれればいいよ。まだ余裕はあるしね」

 いつもとまるで違うセリフだった。いつもだったら怒り気味で早く書いてよ。こっちは忙しいんだから君なんかに関わってる暇なんてないんだとか言ってくるのに。高森は先程から感じていた不安が急激に高まってくるのを感じた。もう一刻も早く喫茶店から出たかった。彼はPCをカバンにしまいきっかけを作ってここから立ち去る事を考えた。しかし編集者は「あの」と妙に苦しいような顔で高森に向かって話を切り出した。

「早めに君に伝えた方がいいと思って話すんだけど、実は編集部内で君との契約について議論されててさ。まぁ、こう言うのは君とずっと仕事してきた俺としても辛いんだけど、要は君との契約を終わりにしたいって事なんだ。まだ正式に決まったわけじゃないから本当は伝えるべきじゃないんだけど、こういう事はさ、なるべく早めに伝えた方がいいと俺は思うわけよ。君だっていきなりもううちじゃ出しませんなんて言われって動くに動けないだろ?だからさ、長年付き合ってきた君の将来を思うと、やっぱり伝えなきゃって考えてさ。俺としても辛いわけよ。今までずっと一緒にやってきた結果がこれかよって」

 不安は見事に的中した。高森はこうなる事は散々想像していたから大したショックなんて受けないと思っていた。だがいざ目の前で編集者からこの最後通告を受けて彼はまともに銃弾を浴びたような衝撃を受けた。死がいずれくるとわかっていても、いざ死を目の前にしたら人は誰だって恐怖する。今彼が目の当たりにしているのはそれと同じだった。編集者は彼の動揺を読み取ってか今作げ予想より売れたら編集部だって考え直すはずと慌てて宥めすかした。しかし高森はそんなもの聞いていなかった。彼はただ何とか我を失うまいと目の前のコーヒーカップを見つめていた。編集者はその高森に千円札を押し付けてこれ渡すから好きに使ってくれと言ってまるで逃げるように去っていった。一人残された高森はしばらくして店を出て家路へと向かった。

 歩くごとに足が地面深くめり込んでいくような気がした。足元は歪み油断していると底なし沼にハマって沈んでしまう。高森は今自分を支えてきたものが崩れていくのを感じていた。足元はフラフラでとても家まで持ちそうになかった。しかし彼は家に着いた途端PCを開けて今までの体たらくが嘘のように猛然と小説を書き始めた。もうこんなものさっさと片付けたかった。さっさと書いて逃がれたい。今の彼のモチベーションはそれだけだった。そして一晩かけてラストを書き終えるとメールに添付してさっさと小説を送りつけた。

 そうして全て片付けた後にやってきたのは絶望だった。長年一つの出版社と付き合ってきた彼には他の出版社とのコネがない。他の同業者とも大した付き合いはない。という事は一から原稿の持ち込みに回らなきゃいけなくなる。多少なの売れている作家ならまだしもいくらでも替のきく自分のような、しかももう若くもなくイケメンでもない作家の原稿なんて誰が採用するのだろう。彼はこれからの事を思うと泣きたくなった。編集者はあの時もし予想より売れたら契約解除を考え直すと言った。だがそんな奇跡なんて起こるはずがない。今度の小説はよければ前作と同等、悪ければ前作の半分以下だろう。自分の小説のつまらなさなんて自分が一番よくわかっている。編集者だってうんざりするぐらいわかっているだろう。なのにあんな下手な希望を持たせる事を言って!

 高森の心は荒みに荒んだ。酒やギャンブルな縁のない彼は現実の世界でうさを晴らすものがなかったのでネットに逃げ込むしかなかった。彼は久しくやっていなかったSNSにログインし、そこでネガティブな事を続けて書きまくった。とはいっても首を宣告された出版社へ恨みつらみをぶちまけたわけではない。元来気の弱い彼にはそんな事は絶対に出来なかった。高森が書いたのは自分の才能のなさや現実に対する絶望だった。こんな才能のない俺は生きていても仕方がない。今すぐ死にたい。この新作の発売を控えた作家の立て続けのネガティブな書き込みにネットは湧き上がった。彼を本気で心配するファンや野次馬のコメントが立て続けに書き込まれた。その中には構ってちゃんだのという嘲笑や、新種の炎上商法などと勘繰るコメントもあり、それらのコメントを見た高森は一瞬にして我に返って自分のバカさ加減に呆れ果て、全コメントを消してSNSを退会した。


 この騒動の後高森は一日中ほとんど何もせずに過ごした。あれから編集者からは返信は返って来ない。あんな酔っ払って書いたようなラストを書いた原稿を渡されたらすぐにでも連絡がくるだろうにそれがないとはどういうことか。彼はやはりあのSNSの騒動が関係しているんじゃないかと思った。あれで小説の発売自体中止になったのではないか。確かにそれはあり得るいくら小説や出版社に対して批判めいた事は口にしなくても下衆の勘繰りとかいう奴で察する人は察するからだ。一日の終わりの沈む夕陽を見ていると本当に死にたくなる。今はPCなんか全く開けていない。もう小説なんか書く気にもなれない。

 それから三日ほど経った夕方久しぶりに編集者から電話が来た。もらった原稿について相談したいから明日の昼に例の喫茶店に来てくれと言う。編集者の口ぶりから出版は無事にされると高森は確証を得た。

 翌日の昼、高森はシャワーも浴びずそのまんまの格好でPCをカバンに入れてまた例の喫茶店に向かった。編集者はこの間と同じ席に座っていたが、今日はずっと俯いたままだった。高森は編集者に近づいて挨拶をしたが、編集者は体臭が漂うみずほらしい顔をした顔色の悪い彼を見て思わず後ずさった。編集者はとりあえず彼を席に座らせるとウェイトレスを呼んで彼のためにコーヒーを注文すると早速話し始めた。話の調子からどうやらこの間のSNSの事は特に気にしていないようだった。もしかしたらそんなことがあった事すら知らなかったかもしれない。彼は原稿の清書はこっちですべて受け持つ事。その際に相談したい事があればメールで伝えるからよろしく頼むと言った。編集者の態度からは彼がさっさと用件を終わらせたいというのがありありと見えた。高森も同じ気持ちで彼は編集者の言葉に何も言わずただ相槌を打っていた。間もなくしてコーヒーがきたが、それと同時に編集者が立ち上がった。他にも回らなきゃいけないからすぐに行かなきゃいけないという。高森はいつもだったら大変ですねとか下手な労りの言葉をかけるのだが、今日は何も言う気にはなれなかった。大体自分に首を通告してきた人間をどういたわれというのか。

 編集者はじゃあがんばれよとか声をかけて歩るきかけたが、ふいに何かを思い出したのか立ち止まりポケットから白い封筒を出して高森に見せた。

「そういえば昨日君宛にファンレター届いていたから渡すよ」

 高森はその封筒の宛先が書いてある筆跡を見て思わず目を剥いた。間違いなくあの匿名のファンのものだったからである。高森は震える手で封筒を受け取った。その彼を編集者は訝しげな目で見ていた。


 家に帰ってしばし心を落ち着かせると高森は緊張の面持ちでポケットから封筒を取り出した。ずっと送ってこなかったのに今になって送ってくるなんてなんてタイミングが悪いんだ。いやタイミングがいいといいというか。まるでお別れの挨拶みたいだった。もしかしたら手紙の内容も今までお世話になりました的なお別れの挨拶かもしれない。このやたら読み込む匿名のファンには自分の近作など到底読むに耐えないものだろう。手紙にはあなたに失望した。あなたを買い被っていた。そんな言葉が立て続けに並んでいるかもしれない。高森はこのファンレターを読みたかったし、読みたくもなかった。いわばこれまでの作家人生を支えてくれた恩人ともいうべきこの匿名のファンに見放されたら自分はどうやって生きていけばいいのだろう。なんだかパンドラの箱を開けるような気分だった。だが躊躇ってもしょうがない。どちらにしろ自分の作家人生は終わったのだからもし絶縁宣言らしき事が書いてあってもかえってスッキリする。高森は思い切って封を開けて中の便箋を取り出した。そして便箋を開いたのだが、彼はその手紙を読んで衝撃を受け、何度も文字を確認した。その手紙にはこう書かれていた。

『高森森男先生へ。拝啓、久しぶりにお手紙を書きました。長らくお手紙差し上げられなくて申し訳ありません。こちらもプライベートでいろいろあり先生の本を読む余裕もなくずっとお手紙を書くことが出来ませんでした。ですが先日偶然SNSでの先生の書き込みを読んでしまい、それでいてもたってもいられなくなってこうして筆を取った次第です。高森先生、いえ高森将吾君。あなたに何があったのか知らないけれど、こんな時大変な時に匿名で何を書いても私の言葉は伝わらないだろうと思うから、あえて身分を明かしてあなたにメッセージを送ります。私はあなたの中学三年の頃のクラスメイトの神崎詩織です。こう名前を明かしても多分名前なんか覚えてないだろうと思います。だからこう言えばわかりやすいかな?私は学校の宿題であなたがネットに書いていた小説を読書感想文で晒してしまった迷惑女子です。多分あなたもあれには大分頭に来てそれからずっと私を避けてましたよね。自分でもあれからバカなことしてあなたに恥をかかせた事をずっと反省してました。だけど私はそれからもずっとあなたの小説を読んでいたんです。あなたが高校時代に書いた小説も読んだし、その小説を有名な作家さんがSNS褒めていたのも読んでまるで自分が褒められたみたいに嬉しかったし、それから大学生の時にプロデビューが決まった時はやっぱり私は正しかったって思わずガン泣きしてしまいました。それでお祝いの言葉をかけたかったんですけど、でもやっぱり高森君には嫌われているし、そんな人に今更同級生ヅラされてお祝いの言葉なんてかけられたくないよなって思ってそれでずっと匿名でファンレター送っていました。読んでいなかったらまるで意味ないですけど、もし読んでいて不快な気持ちになっていたら本当にごめんなさい。でも私にはそうすることでしかいつも素敵な小説を書いてくれたあなたへ感謝の言葉を伝える事ができないのです。

 この間たまたあなたのSNSの書き込みを読んで、あなたも私と同じ状況だという事を知って本当に驚きました。私も最近何にもうまくいかなくて思わず死にたいなんて思う事が度々あります。ここであんまり詳しく書きたくないけど一度常用していた導眠剤を大量に飲んで自殺の真似事までしました。だけど人間って不思議でいざそんな状況に置かれると、却って生きようって思えてくるんですね。それは私の悩みが実は深刻ではない。他の本当に苦しんでいる人から見ればたわいのないものだって言えるかもしれません。私には正直に言ってあなたの苦しみはわかりません。だけどずっと私の憧れで希望だったあなたが私なんかと同じような状況に置かれているなんて耐えられません。それであなたがどんな状況に置かれているか知りたくて一昨日読んでいなかったあなたの近作を全部読みました。小説の言葉の節々からあなたが置かれている状況が読み取れるんじゃないかって思ったんです。だけど残念ながら何も読み取れなかった。私の読解力がないからかも知れませんが、大体小説で書いた当人の精神状態を知ろうなんておかしいですよね。けど読んでいてこう思ったんです。あなたはこんなものじゃないだろうって。もしかして無意識に自分の才能を押し殺していないかって。読んでいる間ずっとそんな歯痒さを感じてました。だから私自分にもだけどあなたに喝を入れたいんです。

『お前はこのまま沈んでいくのか?そろそろ本気を出してみろ』って言葉昔ドラマか何かで聞いた事があるんですが、へこんだ時によくこの言葉を自分に言って聞かせるんです。なんの慰めにもならない言葉だけどおまじないぐらいにはなってくれるかなって思ってます。

 こんな差し出がましいお説教じみたお手紙を書いて本当にごめんなさい。だけど私はずっと憧れのスターだと思っているあなたが苦しんでいるのが耐えられいのです。あなたにはこれからもずっと小説を書いてもらいたいから。あなたの本をずっと片手に持っていたいから。

 高森森男先生。私はずっとあなたのファンです。

 神崎詩織 拝』


 高森は手紙を読みながら号泣した。まさか匿名の手紙の主がかつてあの読書感想文を書いた女の子だったとは。なんで今まで気づかなかったのだろう。あの読書感想文を覚えていたら文体から神崎のものだってすぐに気づいていただろうに。とここまで思ったところで彼は自分が彼女の感想文を覚えていないどころか聞いてさえいなかった事を思い出した。なんてバカなんだろう俺は。こんなに昔から最高の読者がいたのにまるで彼女の存在に気づかなかったなんて。高森は無性に神崎に会いたくなった。彼女に会って感謝と謝罪がしたかった。受付印に押された郵便局からして彼女はこの近くに住んでいる。ひょっとしたらすれ違ってもいるだろうし、会おうと思えば会えないことはないのだ。

 だが彼は会うのはやめようと思った。会って感謝の言葉を述べてそれでなんになるというのだ。彼女に感激の涙を流させてそれでしまいか。違うだろ俺はあくまでも小説家だ。感謝の言葉は小説で返すしかない。彼女が手紙で書いてくれた励ましの言葉には傑作を書くことで応えるしかない。

 高森森男はこれから何をすべきか考えた。原稿の持ち込み、編集者たちへの売り込み。いやその前にまず小説を書く事だ。とにかく書くんだ。あの女の子のような読者に向けて、いや見知らぬ全ての人たちに向けてとにかく小説を書くべきなんだ。大した小説なんか書けないかもしれない。だけど読者がいるうちは、そして書けるうちは小説を書き続けよう。

 高森は放置していたバッグからPCを取り出してケーブルを繋ぐと電源ボタンを押した。そしてそのままPCが開くのを待った。

この記事が参加している募集

#読書感想文

188,766件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?