見出し画像

エッセイの論理 ~文章美人になる最も簡単な方法

 エッセイとはただ思いついた事や感じた事をダラダラと書けばいいってものじゃない。そんなものを書いても読者はまず読まないだろう。そんなものはありふれたものは別に読まなくても事足りるからだ。では人に読まれるエッセイとは何だろうか。何を書けば人は注目するのか。

 と、いきなりここまで書いて何だが、内容は別に何でもいいのである。あなたの思いついた事や感じた事を書けばいいのだ。だがそのまま書いても読者が来るはずはない。そこに読者の目を引くものがなければダメだ。さてその気を引くものといってまず考えられるのが文体だ。

 文体は文学や哲学といった想像力や論理性が必要とされるものに確固とした世界観を与えるために必要不可欠なものだが、実はエッセイこそ文体が最も必要なのだ。エッセイは基本的に筆者の最もプライベートな部分を書くものである。実際にあった出来事や、何かを見た感想など、筆者の率直な主張が開陳される場だ。そんなエッセイで学校教育で習ったようなつまらない文章を用いても読者は見向きもしないだろう。肝心の筆者の顔が見えないからである。

 ではその筆者の顔をはっきり見せる方法な何か。インスタで美人の自分の写真を上げても文章でブスだと勘違いされない方法な何か。それはひたすら文体を磨き文章を我が物とすることなのだ。エッセイを読む読者は実はエッセイの内容などに対して重きをおいていない。読者は筆者の文体でエッセイを読むのである。文体とは筆者の顔である。人は文体を見て筆者の性格や時に顔さえ想像する。それが実像であるかはどうでもよく、ただ文体から感じられた筆者像をイメージして読むのである。

 だから我々は常に文体に気をつけねばならない。いくら内容が重要なものであったり衝撃的なものであったり重いものであったりしても決して内容に流されてはいけない。エッセイを書く前にまず内容を吟味してそれをいかに自分の文体に落とし込むかを考える事だ。それが出来たらようやくエッセイが書けるのだ。エッセイは書きようによって自分を美人にも見せるしブスにも見せる。気軽に誰でも書けるようにみえて、実は大変深い落とし穴なのである。


 友達のフリーライターから勧められた本にこんなことが書いてあった。彼女はホントにいい人で私が何故マッチングアプリでブス呼ばわりされたか知りたいために、小説家になりたいから自作の小説読んでなんていう出鱈目にも程がある私の相談に乗ってくれてあれこれアドバイスしてくれたのだ。彼女は私の小説を読んで文章がブスだと診断して文章を研けばあなたも美人みたいな文章が書けると言ってくれて、さらに彼女は私が美人みたいな文章を書けるように指南までしてくれたのに、それでもマッチングアプリの男どもは私をブス扱いしたのだ。

 私はこんなに美人な私がこんなに頑張って文章磨いたのにコケにされた事が悔しくて泣きまくり、どうしてマッチングアプリの男どもに私が美人だと認められないのか深く考えた。そしてようやく答えが出たのだ。

 ああ!やっぱり小説家になろうなんて相談持ちかけたのが悪かったんだ。だって小説なんて所詮作りものの世界じゃない。そんなもの書き続けたってこの生身の私の美貌をアピール出来るわけないじゃない!私は小説を書いて美人な文章を悪戦苦闘しながら習得しようとしていた日々を思い出して自分のバカバカしさに思いっきり笑った。ああ!やっぱり美人すぎる私に小説家なんてに合わない。だって小説家なんて基本的にブスがなるもんでしょ?ああいうのはブスが自分の満たされない願望書いて悦に浸っているもんじゃない。やめたやめた私はインスタで晒しまくっているようにあり得ないぐらいの美人なんだから小説なんて書いても無駄だわ。

 しかしそれでは美人の文章が書けなくなる。そこで私はライターの友人を思い浮かべた。ああ!なんて事だろう!身近な手本がそばにあったじゃないか。あの子どう見てもブ……だけどでも女の私から見てもかっこいい、モテそうだと思わせるのは100%その文章力だ。エッセイは小説家と違って美人が多い。それは多分美人である自分を遠慮なくぶっちゃけられるからだ。あるエッセイストなんか全編どう私ってやばいぐらい美人アピールしてるだけのエッセイ集を出している。という事は美人の私が文章でも美人になれるのはエッセイしかないじゃん。私は勢い任せで「やっぱり私小説家じゃなくてあなたみたいなライターになりたいの。だから弟子入りさせて」って頼んだ。したらこの友人は「あっ、いいよ。やっぱり私もあなたは小説家よりもライターになった方がいいと思っていた。やっぱりあなたみたいな美人さんはライターを目指すべき。あなた美人だからライターデビューしたら仕事殺到するよ」なんて泣ける事言って応援してくれた。友情には濃いのから薄いのまで沢山あるけど、あなたとは一番濃い友情で結ばれているわ。私は師匠おねげえしゃす!と感謝して早速友人のレッスンを受けたのだけど、その初っ端に渡されたのが上に中身の文章抜き出しで書いたこの『エッセイの論理』って本だった。「これ私がライターになるとき読んで超影響受けたんだよね。あなたもライター目指すんだったら絶対これ読んだ方がいいよ」と友人は言っていた。

 私はでも別にライターなんかになるつもりなんてないんだけどなぁ、ただライターの文章の学んで早くマッチングアプリで男を捕まえたいだけなのに。などと恩知らずにもほどがあることを考えながら、とにかく読んでみるべと『エッセイの論理』を開いて読んで見たのだ。正直に言って読むには酷くむつかしい本だった。この本は結構古い本で文章がどうしようもなく固い。これじゃ美人じゃなくて菩薩の石像になっちまうわ!ってぐらいの代物だったけど、それでも我慢して読んでいると、そのゴツゴツとした固い文体の岩の間を流れる美人の文章の小川が輝きだしてきたのだ。

 ああ!これが文章美人になれる秘訣だったのか。そうよ!学校教育で習った文章なんかじゃどう考えたって男なんか捕まえられないわ!文章は個性よ!マネキン人形みたいな整形女より私のような天然美人よ!天然美人にふさわしい文章を見つけなきゃダメ!私はこの本を読んで文章美人の道を一瞬にして習得した。そうよ、もう作りごとの小説なんてさようなら!そんなブスの妄想書き連ねた文章書いても誰も私を美人だかわからないに決まってるわ。これからはエッセイみたいに美人丸出しの文章を書いて男の大群を呼び寄せてやる!さよなら文章ブス、ようこそ文章美人!私は今文身両道ぶんしんりょうどうのパーフェクト美人に生まれ変わるわ!

 私はもうライター修行なんぞやめ、スマホを片手にまたもやしばらく放置していたマッチングアプリを開き文身両道のフルパワーを使って男たちに声をかけまくった。……だけど誰も反応しなかった。私はなんでも最初のうちは静かな物。ブームはなんでもしばらくしてからやってくる。慌てないで私。私は文身両道の美人なのよ、決して文章ブスじゃないわと自分を励ましてひたすら男たちを待った。だけどそれでも男から声はかからなかった。私はとうとう我慢の限界を超えて今度は美人丸出しのフルヌードエッセイパワーを出しまくった文章で男たちを誘った。すると一人の男からレスポンスが返ってきた。

『うるせえんだよこのドブス!インスタからパクったような写真並べていくら文章でアホな色気出しまくろうがお前がブスだってことはとっくにバレてるんだよ!』

 私はこれを読んで怒りのあまり思いっきりスマホを床にたたきつけて叫んだ。

『またかよ!いい加減どうすればみんな私が美人だって理解するんだよ!』

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?