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巡る思考

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#無意識

顔がわかるだけでなく、確かな信頼のある経済圏で生きたい

顔がわかるだけでなく、確かな信頼のある経済圏で生きたい

よく都内のビルの狭間にある心ばかりの小さな公園で行われるようなマルシェだと「作り手の顔が見えるマーケット」だとか、スーパーの生鮮食品コーナーでは「生産者さんの声」といった”作り手(生産側)”に目を向けようとする動きがある。

生産と消費が遠すぎる現代において、それらは意味のある動きだとは思うけれど、それでも、そういった”生産と消費を縮めようとするような動き”が現れてから数年経つが、実際の所はという

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"幸福な人生"に取り憑かれた現代人

"幸福な人生"に取り憑かれた現代人

前向きに考えよう
ポジティブになろう
幸せになるために

など、生きることに前向きである姿勢を啓蒙するような活動全てこれらを"ポジティブキャンペーン"と私は呼んでいる。

ポジティブキャンペーンが過ぎる世の中だと思う。
書店は、「人がいかに幸せでいられるか」ということをテーマにした本で溢れ返っている。

幸せを求めるのは当然だと思うけれど、過剰すぎる様に視える。
過剰に求めすぎている人の多い様子が

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何者でもなくなるということ

何者でもなくなるということ

時折、こんな問を自問している人を見かけることがある。

「もし、手足がなくなったら自分のことを愛せるだろうか?」
「もし、自分が何者でなくなっても恋人は自分を好きなのだろうか?」
「もし、今の肩書や地位を含め何者でもなくなったら自分を愛せるのか?」

その人は、こういったことを脳内でシミュレーションしてみていた。

何者でもなくなった私から言えば、その問の答えは、「そうなってみないとわからない」だ

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どうでもいいって言っている内は、どうでも良くないんだよ

「どうでもいいよ」

あの人は、これが口癖みたいだった。
私には、”どうでも良くないこと”に思えているようにしか映らなかった。

「どうでも良い状態にしたい」という願望を感じたから。

本当にどうでも良かったのなら、そこに、何も反応しないから。
体は反応しないので、頭の中に思念が過ることもないだろう。

口で発していたいことは、”在りたい自分”であると感じる。
老子の言葉を思い出した。

言葉で放

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