コスパとかタイパとか

最近、やたらとコスパとかタイパという言葉を耳にする。若い人にとって、お金がかかるもの(コストパフォーマンスの悪いもの)や時間がかかるもの(タイムパフォーマンスの悪いもの)は疎まれるらしい。

ザ・イマドキの若者みたいな人からしたら2時間ぶっ通しで映画館で映画を見ることはどれほど苦痛なのだろう。しかも大学生なら1500円とかそのくらい払って。同等の金額払ってサブスク入れば、何本も映画は見放題だし、自分の好きなタイミングで再生したり停止したりできる。

何なら、早送りしながら見る人もいるらしいから、驚きだ。ドラゴンボールZとかワンピースを全話見るというのなら早送り再生も納得はいく。それらのアニメは原作に追い付かないように一つ一つのエピソードを引き伸ばしに引き伸ばしているから。ドラゴンボールの原作を全巻読破した身からすると、今さらわざわざZのアニメを見る行為は変態としか思えない。一話一話がひどく冗長に感じ、退屈の極みである。こんなものでも、放映当時はゴールデンタイムに放送され高視聴率を取っていたのだ。

話は脱線したが、何が言いたかったかというと、最近のアニメはドラゴンボールZのように引き伸ばさないし、テンポも悪くない。第一期、第二期のように原作を細かく分けてアニメ化し一期につき長くても20話程度だから早送りしてまで見なければ全話「制覇」することができない、という訳ではない。にもかかわらず、早送り再生して流行りのアニメを「履修」しようとする人がいるのだから世も末である。

娯楽の多様化が進んで人々の生活は精神的に豊かになるのではなく、どんどん、知らず知らずのうちに蝕まれている。コスパとかタイパという概念により。娯楽は一種の情報となり人々は日々、SNSのバズった投稿の「見なければいけない」「知らなければいけない」に支配されている。本当に愚かしい。

とまあ、月並みなコスパタイパ批判をしてしまった所だが、僕が思うにそもそも人間という知能レベルの高い生物が効率を重視するようになってしまうことは必然的なものだからしょうがないだろう。ぶっちゃけもうどうにもならない宿命みたいなものだろう。てか、そもそも人として生きることが非効率的じゃねーのかすら思ってしまう次第である。究極の効率化はいかに早くこのクソしょうもない人生というごっこ遊びから降りるかではないのだろうか。

ゴールデンウィーク最終日、あまりに明日からの会社が憂鬱なものだからこんなことを言っているが、生きることは本当に時間の無駄ではないかと思ってしまう時がある。

ただ、そんな歪んだ思考からおさらばしたいからこそ、僕は映画館で2000円近く払って映画を見るのだし、流行りのアニメを毎週録画して週一回一話見ることで束の間の癒しを享受している。だからもうこれ以上、娯楽に効率の概念を持ち込まないでくれ。人生からほんの一瞬逃げる手段を情報として扱わないでくれ。これ以上人生を窮屈にしてどうするんだ同世代の若者よ。

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