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そんなもの

 これはただの、記録に過ぎない。
 いや、記憶、だろうか。

 正直に言えば、いつの出来事であったかも覚えていない。それは最近だったかもしれないし、ずいぶん前のことだったかもしれない。そんな時期も思い出せない、けれど、今でも、こうして文にできるくらいには覚えている、こと。

 何で今ごろ、こんなことを書いているのか、理由なんてない。それは思いつきかもしれないし、使命かもしれない。……ううん、そんなことに、理由なんていらないんだ。

 私がこうして、今、この瞬間、書きたい、と。想いを残したい、と。そう思った。そう思って、行動に移した。それ以上に必要なことはあるのかしら?

 ーー前置きが長くなってしまった。

 さて、書いて、みよう。


 久しぶりに、立ち飲み屋に行くことにした。たまたま買いものに寄ったさい、あぁ、そういえばよくここで飲んでいたなぁ、と懐かしい気持ちになった飲み屋が向かい側にあった。

 私は ふらり そのまま暖簾をくぐって、店に入った。
 
 その店は、改装してから数回通った後はほとんど行っていなかったところで、またずいぶんと様変わりしているように感じた。

 店員もひとり増え、店長だけではないようであったし、メニューも変わっているものが多かった。

 一番はシステムが変わっていて、以前は事前にお金をトレーに置いておいて、その都度支払いが生じていたが、今は全部まとめて精算らしい。

 私は多少の戸惑いがあったものの、何食わぬ顔で注文をした。

 常連さんが多いのであろう、店員や店長と気さくに話しをしながら酒を飲んでいる者も多く、明らかに一緒に来ていないふうで離れた場所にいても、会話に参加している方も多かった。

 私はビールと焼き鳥を食いながら話しを聞いていた。ふと、

 隣を見ると、私と同じようにひとりで酒を飲んでいる人がいた。その人も私と同じように、誰それとかかわるわけでもなく、のんびりビールと焼き鳥を楽しんでいる。

 私はーーそれは気まぐれ、というよりも、以前に来たように、立ち飲みという場所が少しばかり開放的な気持ちを起こさせるのかもしれないーー話しかけてみた。

 その人は、特に警戒するわけでもなく にこり 挨拶を交わすと、すっと、ジャッキを差し出した。声をかけた私のほうが慌ててジャッキを手に取ると、おつかれさま、と合わせた。

 おしゃべりなわけではなく、かといって控えめなわけでもなく、自然とかかわりを持てるような方で、すっかり仲良しになったみたいに時間を過ごした。

 どんな話しをしたかは、今では思い出せない。私が覚えているのは、ただ、ひとつだけだ。

 どんな流れでそんな話しになったかも、もちろん覚えていないけれど、気持ちが病んでしまったことがある、そんな話しを聞いた。

「パワハラを受けていたんです。まあ、その人からすれば、パワハラとは思っていなかったと思うし、実際にそんな話しをしても気づいてくれませんでしたから」

 とうとうと話す彼女の言葉は私にすんなりと入ってきて、もしかしたらこのときにはすでに傾いてしまっていたのかもしれない。

「結局、すべては私がどうしてもだめになって、休んでから気づいたんだと思います。そのときには気づかなくて、相手が壊れてから。そんなになってから寄り添われても、私のほうがついていけなくて、避けてしまいました」

 口を挟まず、ただ、相槌を打つ。

「そうして、そのさらに上司に相談もしたんですが、あの人がそんなことをするはずがない、って、切られてしまったんですよ。むしろ、私が悪いって、信じてももらえず、さらに落とされて。もう、全部、諦めちゃいました」

 私は思わず

「本当、決めつけと思いこみで話しをする人、本当、どうなんだろう、と思います。そんなことをするはずがない、って、実際に見もしないで、なんでそんなことが言えるんだろう」

 そんなことを、伝えた。

 それを聞いた彼女は 一瞬 真顔になって、けれど、すぐに微笑みを浮かべながら、そうですね、と一息つく。そして、

「でも、あなたも私の話しを聞いただけで、実際に見ていないでしょう? おんなじことですよ。たぶん、今は私の話しを聞いて、たまたま私に感情移入してくれているだけで、本当にどうかなんて、わからないでしょう?」

 とても、やさしい口調であった。やさしく、そして力強く。何も、言えなかった。はっとしたときには、ときすでに遅く、私も彼女の上司と同じように、決めつけと思いこみで言葉を紡いでいた。

「ごめんなさいね、こんなこと言ってしまって。聞いてくれただけで、うれしいものですよ」

 彼女はその後も話しをしてくれていたけれど、正直何も覚えてない。

 覚えているのは、いいも悪いもなく、そんなものだろう、として、話しをしてくれていたことだけであった。

 決めつけと思いこみ、なんてことを言っておいて、私も所詮そんな視点でしか話しを聞いていなかった。結局、色眼鏡でしかものを見ておらず、何にも変わりはなかった。

 片一方の話しを聞いただけで、私はすっかり彼女を善、上司たちを悪と決めつけて、思いこみ、そうとしか思えなかったし、見えなかった。思考が完全に偏り、視野は狭まり、結局何にもわかっていなかった。そう、

 事実、そのものよりも、その人やその話しを信じてしまう。そんな程度の、もの。

 私は今、彼女の話しを思い起こしながら、あのときすなおに感じた、そんなもの、という気持ちが変わらず思い出され、客観で見ることの難しさ、無力さを、痛感せざるを得なかった。

 うまく文に表せられたかはわからない、けれど、備忘録、くらいなものとして、その想いを残せたのなら、それでいいのだろう。

いつも、ありがとうございます。 何か少しでも、感じるものがありましたら幸いです。