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なおみん的現実創造

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#自己肯定感

day282 本来のわたしのチカラを取り戻していく。

day282 本来のわたしのチカラを取り戻していく。

誰かと何処かに出掛けようというとき、相手に決めさせてしまうことがある。
誰かがちょっと困ったような顔を見せたなら、勝手に先回りして譲歩してしまうことがある。

いいよいいよ、わたしは大丈夫だから。
などと言って笑顔でお譲りする。しかしながら、腹の中は『またやってしまった』と後悔していたり、くすぶった怒りを抱えていたりする。

会話の中のやり取りで、えー今のどういうこと?と思いつつも、反応できずに受

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day281 わたしは、はじめから愛されていたのかもしれない。

day281 わたしは、はじめから愛されていたのかもしれない。

ここ数日、自分の過去を開示しながら振り返っている。

2歳児からトラウマを抱え、自己否定感や無価値感を『確認』するように生きてきたように思う。

引き寄せの観点で見ても、わたしは愛されてないと思い込んでいるからこそ、イジメにも遭ったのだろう(少なくともわたしは)と思うし、家族からも冷遇されていたようにも感じられたのだろうと思う。

これは先日Facebookで書いたものなのだけれど、2歳児のわたし

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day280 小学生の頃のわたしと対峙してみる。

day280 小学生の頃のわたしと対峙してみる。

子ども時代の自分と向き合う作業を続けている。

迷子になった事件を発端に、わたしはどうやら自己否定とか無価値感を持つようになったようだ。わたしは家族にとって迷惑な存在で、愛されていなくて、居場所がないと思い込んで育った。

結構小さい頃から、わたしと2番目の兄との間には、生まれなかったきょうだいが居たと聞かされていた。そして、女の子が生まれなかったら離婚だ、と言われていたという話も。

捉えように

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day279 2歳児のわたしと対峙してみることにしよう。

day279 2歳児のわたしと対峙してみることにしよう。

昨日書いた記事。

この記事で書いた、2歳児のわたしと対峙しようと試みるのだけれど、どういうわけか寝てしまうのだ。
わたしの場合、こうやって記事として書くことで対峙できるような気もしているので、この場を介してやってみようと思う。

2歳児のわたし。
お兄ちゃんと遊ぶ約束だったのに、わたしを置き去りにして自転車で勢いよく走り出したのを覚えている。それを、待ってーと追いかけた。
中学生の自転車と、2歳

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day278 過去の自分と対峙していく作業、幼少期編。

day278 過去の自分と対峙していく作業、幼少期編。

先日、詠子さんとのセッションで、過去の自分を癒やしていく作業が必要だと伝えられた。
自己開示も、自分を癒す作業も、何年か前に一度やってはいるのだけれど。一度やったらそれで良いというわけでもなくて、今だから言えること、今だから癒えることがあるのだろうと思う。

過去の自分遍歴を振り返ってみよう。

2歳児のときに起きた事件が、いちばん古いトラウマだ。それは、一緒に遊んでくれる約束だった10歳上の兄が

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day151 自己肯定感とは。

day151 自己肯定感とは。

自己肯定感ってなんだろうか。

本屋さんに行けば、結構な割合で『自己肯定感を高める』系の本を見かける。
みんな自己肯定感が低いことを自覚して、尚且つ高めるべきと思っているからこそだろう。

わたしは世に言うHSP、いわゆる繊細さんなのだけれど、繊細さんは大概、自己肯定感が低い。いや低すぎる。
周りの不機嫌はすべて自分のせいだと思ってしまうくらいの生き方をしていたのだ。

自己肯定感イコール自分大好

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day74 自己否定感ごと肯定してみる。

day74 自己否定感ごと肯定してみる。

昨日のおつかれ感が抜けないまま、朝を迎えた今日。耳に閉塞感を感じ、これはちょっと浄化が必要と思ったので神社と温泉に行くことにした。

神様に手を合わせ、御神木たちからエネルギーを分けていただく。
その後、大好きな温泉『美人の湯』に浸かって、いつもの元気を取り戻した。 

さて。
わたしも、昨日の友人もそうなのだけれど、HSPの人は往々にして自己肯定感が低い。
というより、自己否定感が強すぎる。

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