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day280 小学生の頃のわたしと対峙してみる。

子ども時代の自分と向き合う作業を続けている。

迷子になった事件を発端に、わたしはどうやら自己否定とか無価値感を持つようになったようだ。わたしは家族にとって迷惑な存在で、愛されていなくて、居場所がないと思い込んで育った。

結構小さい頃から、わたしと2番目の兄との間には、生まれなかったきょうだいが居たと聞かされていた。そして、女の子が生まれなかったら離婚だ、と言われていたという話も。

捉えようによっては、わたしは運が良いのだと考えることができるだろう。たまたま、生まれなかったきょうだいがいたことで、わたしが生まれることができた、しかも女の子で!と。

しかしながら、愛されていない前提でその話を聞くと、捉え方が既に捻くれているため、ほんとうは生まれる予定じゃなかった、たまたま女の子で生まれたから、女の子じゃなかったら捨てられたんだ、という感じで認識していたのだ。

きっと両親が言いたかったことは、あなたはこの家族にとって望まれて産まれてきた待望の女の子!ということだったに違いない。
その証拠に、父親はやたらと『宝娘』と言っていたのを覚えているから。

小学生の頃は、母親が厳しくて父親が甘いという家庭だった。勉強しろと言う母、勉強なんてしなくていいと言う父。
そして、兄2人との格差も感じていた。兄たちは学習机もこいのぼりも与えられていたにも関わらず、わたしは机もなく、雛人形も七五三もないまま育ったのだ。
さらに、躾が男尊女卑の考えで、ご飯のあとの片づけは、女であるわたしだけが手伝わなければならないという理不尽さ。
待望の女の子の割には、扱いが悪いのだ。

さて今日は、小学校時代を振り返ることにしようと思う。

小学校低学年は、保健室で寝ていることが多い子だった。忘れ物も多いし、早退も多い。
4年生になる頃には、保健室に行くのをやめようと決めたのだけれど、今度は結構なイジメに遭ったのだった。

クラスの人たちに無視されたり、大事な連絡が来なかったり。掃除用具入れに閉じ込められたり。
それでも、学校を休むとイジメがバレて親に迷惑が掛かるからと思い、毎日通っていたと思う。

当時のイジメは、アイツが終われば次のターゲット、みたいな感じで、流行りの遊びのように次々とイジメが続いていた。わたしはその中のターゲットのひとりに過ぎない。
ただ、イジメに遭っていた頃の自分の感情をあまり覚えていないのだ。恐らく辛かったはずなのに、イジメの場面だけを断片的に覚えていて、感情の記憶は皆無なのだ。

もしかしたら、悲しみより怒りが勝っていたかもしれない。次のターゲットに変わったとき、わたしは絶対にその子の味方でいようと決めたことだけは覚えている。

結局イジメは最終的に親にも知られて、それから体調が悪くて学校を休みたいときさえも逐一、イジメを疑われて逆に苦しかった。

わたしはとにかく、よく泣く子だった。それでイジメに遭っていた。その後、担任の先生が介入して、喧嘩両成敗よろしく、わたしもすぐに泣いたり悲観的に捉えるのをやめなさいと言われたのだった。

それからは、あまり泣かなくなった。いや、泣けなくなったのかもしれない。

中学に入学するとき、わたしはとにかく明るく笑顔でいようと決めたのだ。いつもニコニコ、誰にでも優しく、明るい子。それを演じた。当時は勿論、演じていることになど気づかず。

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