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day278 過去の自分と対峙していく作業、幼少期編。

先日、詠子さんとのセッションで、過去の自分を癒やしていく作業が必要だと伝えられた。
自己開示も、自分を癒す作業も、何年か前に一度やってはいるのだけれど。一度やったらそれで良いというわけでもなくて、今だから言えること、今だから癒えることがあるのだろうと思う。

過去の自分遍歴を振り返ってみよう。

2歳児のときに起きた事件が、いちばん古いトラウマだ。それは、一緒に遊んでくれる約束だった10歳上の兄がチャリで逃亡し、それを追いかけて迷子にになって警察に保護される、というものだ。

その次は、3歳で保育所に通い始めるわたし。初日だけ母親と行き、その翌日からは自分ひとりで歩いて通っていたのだ。普通に国道の横を歩いて。今考えると、結構危険である。

保育所時代は、長い髪を引っ張られたりしてよく泣いていたわたし。とにかく泣く。泣き虫すぎるほど泣く。悲しいというより、怒りからの涙。

もうすぐ小学校に上がるという頃、ランドセルのカタログが家にあり、ワクワクして眺めていた。しかし両親が『いちばん安いのでいい』と話しているのを聞いてしまい、ものすごく悲しかった、愛されてないんだと感じた記憶。

多分小学校前だと思うけれど、赤やピンクのお洋服を着せたがる親にはむかうように、青や黒の服を選んでいたわたし。
女の子が産まれなければ離婚、と言われたという話を聞かされていたから、わたしが『女の子に産まれた』という条件付きで愛されている(という風に感じた)のが、嫌だったのだろうと、今なら思う。

小学校に入学して、入学式の直前に先生に怒られる。その後、担任の先生に何かを話したときに、何言ってるか分からないと言われたことがあって、それもまた、分かってもらえない悲しさになった。

と、ここまで2歳から6歳あたりの記憶を書き連ねたけれども。以前、この話を別の人にしたとき、記憶力が異常だと言われたことがあって。(実際は、もっとたくさんの記憶が残っている)

まぁ恐らく、ホロスコープ的にも月と火星が蟹座でコンジャンクション、アセン冥王星合、太陽水星蠍座という部分が、生きづらさや記憶の蓄積に深く関わっているように思えるし、左利きと極度のHSPだというのも関係ある気がする。

2歳児の時点で家族からの裏切りに遭い、しかもこの時、自分で自宅の住所を言えたということもあって、家族に心配されたとかよりも、住所を言えて偉い、凄い、みたいな部分にフォーカスが当てられたのだ。わたしの中の怖さや悲しみは、置き去りのまま。
恐らくこの日から、2歳児の時点で自己肯定感というものは既に失われていたのだろうと思う。

保育所にひとりで通うのも、親に迷惑をかけないために。迷子になったときもきっと、親に迷惑をかけた、という記憶だったのだろうと思う。

待望の女の子の割には待遇は全然よろしくないし、女の子になんて産まれなければ良かったとさえ思っていた。青や黒を選んだのはきっと、小さな反抗だったのかもしれない。しばらく、男の子になりたいと願っていた。

小学校は初日から怒られてテンションダダ下がり(新しい校舎に新しい靴がキュっと鳴るのが楽しかっただけなのに!)。先生とのコミュニケーションもうまくいかなくて、低学年の頃は、しょっちゅう体調不良で保健室にばかりいた。でも成績はクラスで一番だったけど。笑

こんな感じで、幼少期からの出来事が多すぎて、ひとつひとつ向き合うにもちょっと時間がかかりそうな気がしている。
でも数年前に向き合ったときより、今のほうが格段に良い成果が得られそうな気はしている。

いずれにせよ、生きづらさというものがなんなのかすら、わからないままに生きてきた幼少期のわたし。
振り返ってみたら、生きづらさのカタマリみたいな人生だったよね。よく生きてた。偉いよ、なおみん。いや、当時は『なーちゃん』だったけど。

小学校時代にもたくさんの記憶が残っているので、それはまた次回に。
今日は2歳児のわたしと話してみようと思う。

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