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柳宗悦さんと民藝と日本民藝館のこと

1926年、思想家・柳 宗悦やなぎ むねよしさんらが「民藝みんげい」という言葉と概念を提唱してから、まもなく100年です。

東京・竹橋にある、MOMATこと東京国立近代美術館では、大規模な展覧会が開催され、「民藝」への注目がぐぐぐぐっと高まるタイミングをむかえています。


今わたしは、とある方が開講している生涯学習の講座に参加していまして、改めて「民藝」の歴史と、それをとりまく人々について、学びを深めているところです。
大学、休学中なのにw いや、休学中だからできる寄り道ですねwww)

ほんの100年前、発見され提唱された「民藝」。知れば知るほど、魅力的で心地よくて、そして大好きな世界だなぁと思っています。

ごくごく普通の毎日や、なんてことない日常生活を、心豊かに過ごせるように彩ってくれるし、日本全国その土地・地域ならではの、本当に素敵な品物と作り手がたくさん存在していることに、改めて気づかされます。

誰もが立ち止まざるを得なかった時間や、ほんとうの豊かさって何だっけ?と考えた時間を経た今だからこそ、「民藝」はより一層、多くの人の心の琴線に触れるのでは、と、ひしひしと思うのです。


ということで今日は、懐かしくて新しくて、不思議と身近であたたかい、多彩な魅力がありすぎて語り尽くせない「民藝」について。
民藝を提唱した人々のドラマと、彼らの拠点となった日本民藝館を全力でお薦めさせてください!!!

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そもそも「民藝」って何?

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日本民藝館で購入できる館のガイドブックと、雑誌『民藝』2021年10月号。どちらもA5版。


民藝 とは 民衆的工芸
 のことで、造語です。
( 民衆的"芸術"と間違われることが多いのですが、"工芸"ですよ。)

"工芸"は、もともとあって、今も普通に使われている言葉ですね。そこに敢えて、"民衆的"とつけ、「民藝」が生まれました。

この言葉が公になったのは1926年4月。
柳 宗悦さん
(1889-1961)と、陶芸家の富本 憲吉さん(1886-1963)、濱田 庄司さん (1894-1978)、河井 寛次郎さん (1890-1966)の連名で発表された『日本民藝美術館設立趣意書』がきっかけです。
関東大震災のわずか2年半後(!)のことですが、そうなんです、民藝の美術館をつくりたい!という想いがベースにありました。

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え?なんで民藝の美術館を作りたかったの?


柳宗悦さんは、大学生の頃から『白樺』という同人誌を、のちに"白樺派"と呼ばれる文化人の仲間たちと発行していました。(白樺派には錚々たる面々がいらっしゃいますが、今日は割愛しますすみません!!!)

柳さんは当時から優れた美的感覚の持ち主で、宗教哲学や西洋近代美術などに関心があり、東京帝国大学哲学科を卒業しています。

『白樺』では、誌面を通じて資金を集め、西洋美術の作品を購入して紹介して、と、とってもハイカラな活動をしていたんですね。
彼らの元には、ゆくゆくは美術館をつくって多くの人に観てほしい!というくらい、素晴らしい作品のコレクションが形成されていました。
なんと、ロダンの誕生日に、日本から浮世絵と手紙を贈ったら、返事と共にブロンズ像が直々に届いた!なんてこともあったそうで。すごいですね・・・。
事実、美術館設立のために活動もしていたようですが、残念ながら、関東大震災によって頓挫。同人誌の活動も終わってしまったのでした。
当時のコレクションは、現在、岡山県倉敷市の大原美術館に納められています。

のちに柳さんが「民藝」を提唱したときに作りたかった美術館は、『白樺』を通じてコレクションしてきた西洋美術とは全く異なるものですが、それはまだ少し先のお話。

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柳さん、千葉県我孫子市に住まい、仲間と集う


25歳で結婚した柳さん、千葉県の我孫子市に、自分の家を建てます。
ここには『白樺』の活動を通じて仲良くなったバーナード・リーチさん (1887-1979)のため、アトリエと陶芸の窯まで作ってあげていました。よっぽど彼と気が合ったんですね。
また、生涯を通じて友達だった濱田 庄司さんともこの頃に出会います。

ちなみにリーチさんは、学生時代にロンドンで偶然、彫刻家・画家で作家の高村 光太郎さんと友達になり、日本のことを学びたくて来日しました。結局10年も滞在して、元々学んでいた絵画や銅版画、陶芸などの作家活動をしていたそうです。

また、リーチさんの友人で、通訳として一緒に陶芸教室に通い始めた富本 憲吉さんは、次第に建築の仕事から陶芸にのめり込み、なんと晩年は人間国宝に。
この人生の転機、ものすごいですよね・・・なにがきっかけになるか本当にわからないから、いろいろ出かけたりやってみたりするものですね。

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柳さん、朝鮮の名もなき職人がつくった花瓶に魅了される

きっかけ、といえば、柳さんが、民藝に繋がる原点・朝鮮陶磁器と出会ったのも、本当に偶然でした。

1914年、ロダンからもらったブロンズ像を観たい、と、わざわざソウルから柳さんを訪ねてきたのが、浅川 伯教あさかわ のりたかさん
お土産に、と持参した朝鮮陶磁器に、柳さんは、こんな美しいものがあるのか!!!と、驚き、すっかり魅了されたのです。

当時、朝鮮は日本の植民地でした。でも柳さんは、その陶磁器をつくった朝鮮の名もなき職人たちの技と文化を、本当に素晴らしい!!!と尊敬し、日本政府の植民地政策を批判したほどだったそう。
確かに、自分の好きなものを作った人や文化を全否定された柳さんの気持ちを想像すれば、批判もしたくなりますよね・・・。

その後、柳さんは度々 朝鮮を旅して、浅川 伯教さんとその弟・巧さんと3人で、朝鮮陶磁器の文化継承と調査・保護を進め、1921年に日本で展覧会を、そして1924年、柳さん35歳のとき、ついにソウルに朝鮮民族美術館を開館したのです。

この行動力と熱意、本当にすごい・・・。ちなみに浅川 伯教さんと弟・巧さんは、のちに著名な朝鮮陶磁器の研究者・評論家となります。

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柳さん、京都へ移住  そして浅川兄弟の親戚を山梨へ訪ね 木喰仏と出会う


1923年9月。関東大震災が起こり、柳さんは翌24年に我孫子から京都へ移住します。
同じ年には、山梨で偶然、あの木喰仏もくじきぶつとも出会うのです。

本当にすごいタイミングです、呼ばれているとしか思えない・・・
柳さんはこの木喰仏にも魅了され、一人ひたすら全国を調査しまくるのでした。

木喰仏は、仏とつく通り、木彫でつくられた仏像さま。江戸時代にたった一人の僧が、日本各地を巡りながら作り続けていたものです。
でもいわゆる仏像さまの姿かたちとは全く異なります。きっと一度観たら忘れられないほど、唯一無二のお姿。ご存知ない方は、ぜひググって木喰仏にまつわるエピソードを確かめてみてください。

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『民藝』2021年4月号の表紙 この号の特集は、日本民藝館の名品展でした。

わたしはこの木喰仏が大好きです。歴史に埋もれてしまっていた木喰仏を見つけてくれた柳さんには、本当に感謝しきれません。そして、合わせて良くお名前が挙がる円空仏えんくうぶつも大好きです。こちらもぜひググってみてください!

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美術史のメインストリームじゃないけれど、美しいものは 美しい


朝鮮陶磁器と木喰仏。どちらも当時の美術史の書籍には一切登場していないものでしたが、柳さんは魅了されていました。
この他にも、濱田さんがイギリスから持ち帰ったスリップウェアという陶器や、京都の朝市で いいな!と思う品々を見つける下手物げてものの蒐集などを通じて、徐々に「民藝」というものを考え、思想を深めていったのです。

かつて『白樺』で、同人の仲間と共に、西洋絵画やロダンの彫刻を手に入れ、紹介していましたが、西洋美術のような王道でなくとも、自分の身近なところに、世界や日本の各地に、名もなき職人がつくったものの中にも、美しいものはあるんだ、と。

そして!ついに1926年、柳さん37歳のとき、『日本民藝美術館設立趣意書』を発表。ここからさらに加速度的に、民藝の美術館設立へ向けて活動していきます。
独自の民藝美論を骨子とした初の本格的な工芸論『工藝の道』(1928年刊)を出版。そして1931年、雑誌『工藝』を創刊しました。

「暮らしの美」を啓発する民藝運動の機関誌として、月刊誌の『工藝』はとても重要な役割を果たしていきます。やっぱり広く多くの人に魅力を知ってもらうには、書物・出版物の流通が効果的だったんですねぇ。

そして3年後の1934年、日本民藝協会を設立します。着々と、美術館開館の準備が進んでいくのでした。

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柳さん、京都から東京・文京区 そして駒場へ移住し 日本民藝館を設立


1936年、柳さん47歳のとき、東京・駒場に日本民藝館を設立します。現在、ここは収蔵作品の展示施設として運営されています。

え?駒場ってどこ?な方も多いかと思いますが、実は 渋谷からも下北沢からも、京王井の頭線で2駅。駒場東大前が最寄駅です。駅から民藝館までは、徒歩5〜6分くらいでしょうか。意外と行きやすい場所にあるんですよ。

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そして柳さんは、道をはさんでほぼ真向かいに、ご自身の家も建てました。
こちらは現在、「西館」と呼ばれています。

実は!月に2日だけ、一般公開されていまして、つい先日わたしは念願叶い、初めて西館の見学をしてきました!やった!!!

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残念ながら、建物の内部は撮影禁止です。ぜひご自身で訪れて、体感されてみてください。
間取りは日本民藝館のホームページで確認できます。(画像をお借りしました)

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ちなみに、わたしが建物内を初めて巡って感じたことは、全く規模もデザインも異なりますが・・・、廊下や板張りの床、和室の雰囲気、天井などが、わたしの実家の雰囲気と似ていまして、とても懐かしい気持ちになりました。恐らく、この西館と実家が建てられた時代が、わりと近しいからなんだと思います。

置かれた家具なども素敵ですが、建物も柳さん自身が設計しているので、障子やふすま、建具の細部にまで、こだわりがたっぷり詰まっています。素敵でした。

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もちろん本館も、相変わらず落ち着く空間で、本当に好きです。いい意味で美術館らしくなく、田舎の大きなお家に遊びに来た気分になります。
先日訪れたときは、気持ちの良い秋晴れの日でしたが、個人的には、雨の日のしっとりとした雰囲気の日も趣があって素敵だと思います。

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柳さんが建てた当時の、そのままの建物。そのままの展示室や展示ケース。
そこに並ぶのは、柳さんが選びに選び抜いた、こだわりの民藝の数々です。
それらをゆったりじっくり味わうことのできる、静かでぬくもりのある空間。本当に唯一無二だと思います。

今回、MOMATでの『民藝の100年』展がスタートすると、この日本民藝館も賑わうのでは?と思ってます。ご興味ある方は、ぜひお早めにどうぞ!!!

ちなみに現在、本館内では「棟方志功と東北の民藝」展が開催中です。
とーっても素敵でした。11月23日までです。

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日本民藝館 1Fのショップは必見です

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これまた素敵なのが、こちらのショップ。
日本民藝協会が発行する雑誌『民藝』は、ネット販売していないので、ほぼ、ここでしか手に入りません。もしくは、全国各地の民藝館や民藝の店頭のみです。
(もしかしたら展覧会の期間中は、MOMATでも買えるかも、ですね)

特集内容は、日本民藝館での特別展に連動していて、図録を兼ねている様子。バックナンバーもたっぷり揃っています。

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また、全国各地から集まった現代の民藝の品々があれもこれも購入できます!!!関連書籍やポストカードなども豊富。じっくり見ているとあっという間に時間が経ってしまうほど、魅力的な品物がならんだスペースです。
現金だけじゃなくカードや各種支払いアプリも対応しているのが地味に嬉しいところ。どーんとお買い物しても大丈夫ですよ。

民藝の品々は、本当に、日常の中で使ってみてこそ、魅力が実感できるのでは、と思うんです。お気に入りと出会えたら、ぜひ、お家に連れて帰ってください✨
わたしもこちらで買った、会津本郷焼のマグカップや樺細工の茶さじ、愛用しています。

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まとめ

少し前から、“日々の暮らしを豊かに 丁寧に” という想いの高まりもあって、じわじわと注目されつつあった、民藝。
MOMATでの特別展をきっかけに、この秋冬はきっとさまざまなところで『民藝』が取り上げられるでしょう。

個人的には、民藝とはある意味 対極にあるような 国立の近代美術館で、あえてなぜ企画展を?と思っていたら、まさに!特設ページにこんな記載が。
素敵です。そして訪れるのが本当に楽しみです。

今後、解説や特集が組まれた雑誌や書籍、テレビ番組などなど、いろんなところで情報を目にできると思いますので、気になる方はぜひリサーチしてみてください。そしてぜひ合わせて、日本民藝館を訪れてみてください。

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その民藝館で、わたしが買ってきた雑誌『民藝』2021年10月号。
特集は「各地民藝館・工藝館案内」でした。

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雑誌『民藝』2021年10月号

民藝の主役の地は、都市ではなく、地方です。
柳さんは東京が拠点でしたが、全国各地には、民藝運動の流れをくむ民藝館や資料館、美術館や、民藝の品々を販売するお店がたくさんあります。
『芸術新潮』の民藝特集号でも紹介されていましたし、これをきっかけに、お住まいの地域でぜひ探してみてはいかかでしょうか✨

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ちなみに・・・今回は柳さんを中心に、民藝を取り巻く人々のことを、本当にさわり程度にまとめて書いてみましたが、本当はもっとたくさんの魅力的な人物が登場します。

わが地元・静岡出身の芹沢 銈介さん、青森の自然が育んだ版画作家・棟方 志功さん、今なお精力的に創作活動を続ける柚木 沙弥郎さん。柳さんのご子息で工業デザイナーになった、柳 宗理さんも。

今、いろいろと学んでいて、これは大河ドラマや朝ドラにできるんじゃないか?と思ってしまったほど、登場人物もエピソードも、多彩でドラマチックで、とても面白いんです。
せっかく講座で改めて勉強しているところですし、今後、このnoteでも少しずつ、民藝を取り巻く人物の一人ひとりの人生にフォーカスして、記事を書きたいなぁと思ってます。

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ふむふむ、へーそうなのかー!って思っていただけたら、Twitterでつぶやいていただいたり、下の方にある♡マークをポチっていただけるととても嬉しいです。noteアカウントがなくてログインしてなくてもポチれたり、ツイート&シェアできます。

次の記事は 11月5日(金)に公開します。


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