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カント曰く、“芸術”は天才の成せる技、らしい。【PhilosophiArt】

こんにちは。成瀬 凌圓です。
今回は、18世紀の哲学者、イマヌエル・カントが書いた『判断力批判』を読みながら、哲学とアートのつながりを探していきます。
この本を深く理解するために、全12回に分けて読んでいきます。
1冊を12本の記事に分けて読むため、読み終わるまでが長いですが、みなさんと学びを共有できればいいなと思います。

第9回の今回は「カントの芸術論」について見ていきます。

これまでの記事は下のマガジンからお読みいただけます。


カントが考える「芸術」は「美しい“技術”」

カントは『判断力批判』の中で芸術論を展開するために、「技術」についての説明を行なっています。
「芸術」という概念は、「技術」の下位概念であるとしたカントは、「技術」の説明が最初に必要だと考えたのでしょう。

カントの芸術の捉え方(僕なりの想像図)

カントは「技術」とは何かを、“自然”、“学問”、“手仕事”の3つと比較しながら説明していきます。
ひとつずつどのような違いを挙げているのか見ていきます。

1. 「技術」は「自然」と区別される

「技術」と「自然」は目的の有無に違いがあります。

技術:ある目的を考慮して、人間が行う自由な生産
自然:原因と因果の連鎖の中にあり、目的が関与しない

何かの目的を持って制作するときに、人間は技術を使います。
しかし自然は、ただ因果関係によって形成され、そこに目的はないとカントは考えたのです。

2. 「技術」は「学問」と区別される

「技術」と「学問」は、実際にできるかどうかに違いがあります。

技術:実践的な技巧を理解し、それをなしうる熟練さがある
学問:知ることこそが、すでになしうること

カントは技術を「人間の熟達した能力」とも言っています。その能力が何であるかを知った上で、使いこなせる熟練さが必要だと考えているようです。

その一方で、学問は「頭でわかること」をゴールにしています。
その先で使いこなせるかどうかについては関係ないのです。

3. 「技術」は「手仕事」と区別される

「技術」と「手仕事」は、自由さに違いがあります。

技術:強制的なものに基づかない、自由で快適な営み
手仕事:報酬のための労働であり、強制的で不快なもの

カントは、「技術」には“煩わしさ”がないという点で、「手仕事」との区別をしました。報酬を得るためだけの技は、技術とは呼べないと考えたのです。


このようにカントは、「目的を持ち」「熟練を要する」「自由で快を得られる」活動を、「技術」と呼びました。

その中でも、芸術は「美しい技術」と呼ぶことができるとしました。

美しい技術は自然のように見える

第45節の表題は「美しい芸術はそれが同時に自然なものであるようにみえるかぎりで芸術である」となっています。

この節を一通り読んだ感想としては、このタイトルに全てが込められていると言ってもいいくらいです。
カントは「美しい技術」を次のように考えています。

美しい芸術の産物については、それが芸術品であって自然の産物ではないことを意識していなければならない。しかし美しい芸術の産物の形式における合目的性は、それがあたかも自然の産物であるかのように、恣意的な規則のあらゆる強制から自由にみえなければならない。

カント『判断力批判』(上)(中山元 訳、光文社古典新訳文庫、2023年)
292 美しい芸術の自然らしさ より

前回の記事の中では、「自然美と芸術美は別である」ということが書かれていました。
しかし今回は、それを同一とみなすかのような主張になっています。

これは「目的がないようにみえる技術」が美しい芸術であるということを意味しています。
技術の根拠となる目的の存在を、受け手に感じさせないものこそ美しいと考えているようです。

美しい芸術の産物における合目的性は、それがたとえ意図的なものであったとしても、意図的ではないもののようにみえなければならない。言い換えれば美しい芸術は、それが芸術[人間の作った作品]として意識されている場合にも、自然とみなすことができなければならない。しかし芸術の産物が自然であるかのようにみえるためには、その産物がそうあるべきものとして生まれるために必要であった規則と、すべての点において精密に一致したものでなければならないが、他方では苦心の跡をとどめていてはならないし、教則にしたがった形式のようなものを感じさせてはならない。すなわち芸術家の眼前に規則が思い浮かんでいて、それが芸術家の心のさまざまな力を拘束していたことを示す痕跡を残していてはならないのである。

カント『判断力批判』(上)(中山元 訳、光文社古典新訳文庫、2023年)
294 美しい芸術の役割 より

芸術家による苦心の跡や規則の痕跡を感じさせてはならない。

苦心の跡は、熟練さが欠けているように見えて、規則の痕跡を感じてしまうと、強制さが残って自由が失われてしまう。
このような点から美しさが損なわれるとカントは考えたのだろうと思います。

芸術は「天才」にしか出来ない所業

そしてこの「美しい技術」は天才の技術であるとカントは言います。

天才とは芸術に規則を与える才能であり、天賦の才のことである。この才能は芸術家に生得的にそなわる生産的な能力として、それ自身が自然に属するものであるから、天才とは自然がそれによって芸術に規則を与える生得的な心の素質であると表現することもできるだろう。

カント『判断力批判』(上)(中山元 訳、光文社古典新訳文庫、2023年)
295 天才とは より

美しい技術である芸術は、規則を与えることができる天才にしかつくり出せないとカントは考えました。
そして、天才に必要な条件として次の4つを挙げています。

  1. いかなる一定の規則も与えられていないものを産出する才能(独創性)がある

  2. 作品を判定する標準や規則として役立つような模範的なものを産み出す

  3. 自然に規則を与えることができる

  4. 自然が芸術に指示する規則を表現する

「美は合目的性の形式である」と以前(第4回で読んだ部分)カントが定めていました。
その形式、規則が存在することと、技術は自由でなければならないという2つの考えを成立させるには、天才の存在が欠かせません。読み進める中で、カントの理論には隙がないなあと感じてしまいます。


今回は、芸術が「美しい技術」だと言い換えることができました。次回は、その芸術に含まれる美とは何かを見ていきたいと思います。

次回(第10回)の記事は下のリンクからお読みいただけます。

参考文献

「PhilosophiArt」で『判断力批判』を読むにあたって、参考にしている本を並べました。

カント『判断力批判』(上)(中山元 訳、光文社古典新訳文庫、2023年)

この訳書では、内容に応じた改行がされていたり、すべての段落に番号と小見出しが振られていて、非常に読みやすいです。

荻野弘之 他『新しく学ぶ西洋哲学史』(ミネルヴァ書房、2022年)

古代ギリシャ哲学から現代思想まで学べるテキストです。
カントについては、1つの章が設けられています。

小田部胤久『美学』(東京大学出版会、2020年)

『判断力批判』を深く読むことができる1冊だと思います。
『判断力批判』が書かれた当時の歴史的背景や、現代における影響についても書かれています。

高木駿『カント 『判断力批判』 入門 美しさとジェンダー』(よはく舎、2023年)

『判断力批判』を解説しながら、ジェンダーについて考えられる1冊。
他の解説書に比べて薄い(150ページ程度)ですが、わかりやすくまとめられています。

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