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「趣味が美しさを判断する」という言葉に頭を抱えた大学生の話。【PhilosophiArt】

こんにちは。成瀬 凌圓です。
今回は、18世紀の哲学者、イマヌエル・カントが書いた『判断力批判』を読みながら、哲学とアートのつながりを探していきます。
この本を深く理解するために、全12回に分けて読んでいきます。
1冊を12本の記事に分けて読むため、読み終わるまでが長いですが、みなさんと学びを共有できればいいなと思います。

第2回となる今回はカントが考える「美的判断の性質」について書いていきます。
内容に入る前に、共有しておきたいことがあります。
『判断力批判』は、「美しい」を“判断する”ことをテーマにしています。
つまり、「美しいとは何か」という問いに対して、カントが何か答えているわけではないということです。

まず留意したいのは、『判断力批判』がけっして「美とは何か」ないし「美しいものとは何か」という問いに答えるものではなく、あるものを「美しい」と判断する趣味判断を主題としている、ということである。

小田部胤久『美学』(東京大学出版会、2020年) 第Ⅰ章 美の無関心性 より

ここで用いられている「趣味判断」という言葉。
今回のキーワードになるので、少し頭に入れておいてください。


美的判断は、“趣味判断”…?

今回は、単刀直入に「美的判断とは何か」という結論から。
カントが考える「美的判断」とは、ズバリ「趣味判断」のことです!

読んでいるみなさん:???

急に内容が走り出してしまいました。すみません。
もちろん、詳しく説明します。笑
(このままでは何もわからないですよね…)

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