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ウィトゲンシュタインの「倫理」からアートの価値を考える。【PhilosophiArt】

こんにちは。成瀬 凌圓です。
今月は、20世紀の哲学者ウィトゲンシュタインが書いた『論理哲学論考』(以下、『論考』)を読みながら、哲学とアートのつながりを探しています(全8回)。
第5回は、「倫理」からアートの価値について考えていきます。
前回まで(第1回〜第4回)の記事は下のマガジンから読むことができます。


命題の種類とその共通点

前回、前々回と「命題」と「論理」をテーマに、ウィトゲンシュタインの『論考』を読んできました。
まずは、今回のテーマである「倫理」とのつながりを見ていきます。

第3回では、「命題」は、自分の思考を自分以外が知覚できるようにするための手段であることがわかりました。実物(対象)がなくても、名があることで私たちは思考することができ、命題を使ってコミュニケーションができる、というウィトゲンシュタインの主張がありました。

『論考』には、要素命題複合命題という2種類の命題が出てきます。
要素命題について、ウィトゲンシュタインはこのように言っています。

4.21 もっとも単純な命題、すなわち要素命題は、一つの事態の成立を主張する。
(中略)
4.22 要素命題は名からなる。それは名の連関、名の連鎖である。
(中略)
4.26 すべての真な要素命題の列挙によって、世界は完全に記述される。世界は、すべての要素命題を挙げ、さらにどれが偽かを付け加えれば、完全に記述される。

ウィトゲンシュタイン「論理哲学論考」〔電子書籍版〕(野矢茂樹 訳、岩波文庫、2017年)より

つまり、要素命題は名だけで作られた最も単純な命題で、複合命題は複数の要素命題を組み合わせることで作られた命題ということになります。

そして、要素命題を組み合わせて複合命題を作るには、「かつ」「または」「ならば」「すべての」といった論理語を加えるとしました。

要素命題が論理語によってつながることで、ある命題から別の命題を考えられるのだ、とウィトゲンシュタインは考えています。


ウィトゲンシュタインは、命題について考えていく中で、「命題の共通点」を見つけました。

4.5 いまや、もっとも一般的な命題形式を提示することができると思われる。すなわち、“不特定の”記号言語に対して、命題とはいかなるものであるのかを記述すること。そのとき、名の指示対象を適切に選んでやれば、可能な意味はすべて、その記述にあてはまるシンボルによって表現することができ、また、その記述にあてはまるシンボルはすべて、相応の意味を表現しうることになる。
明らかなことであるが、もっとも一般的な命題形式の記述にさいしては、ただその本質的なもの“だけ”が記述されねばならない。ーさもなければ、その形式はもっとも一般的なものではないことになる。(“”内の文字は傍点)

ウィトゲンシュタイン「論理哲学論考」〔電子書籍版〕(野矢茂樹 訳、岩波文庫、2017年)より

共通点を見つけたウィトゲンシュタインですが、『論考』の中で、その形式には当てはまらない例外があることを認めています。
6番台がその例外について語られている部分になりますが、その中の一つの例として、今回のテーマである「倫理」が語られています。

「世界」は偶然できたから、価値はない!?

例外として具体的に挙げられているのは、論理学や数学、自然法則などの命題です。その最後に倫理、倫理学について語られています。

6.4 すべての命題は等価値である。
6.41 世界の意義は世界の外になければならない。世界の中ではすべてはあるようにあり、すべては起こるように起こる。世界の“中には”価値は存在しない。ーかりにあったとしても、それはいささかも価値の名に値するものではない。
価値の名に値する価値があるとすれば、それは、生起するものたち、かくあるものたちすべての外になければならない。生起するものも、かくあるものも、すべては偶然だからである。
それを偶然ではないものとするのは、世界の“中に”ある何ごとかではありえない。世界の中にあるとすれば、再び偶然となるであろうから。
それは世界の外になければならない。(“”内の文字は傍点)

ウィトゲンシュタイン「論理哲学論考」〔電子書籍版〕(野矢茂樹 訳、岩波文庫、2017年)より

すべての命題が等価値である、ということは、真の意味での価値は存在しないことを意味しています。

1節で「世界」は「事実」の総体であるとウィトゲンシュタインは定義しました。
「事実」という言葉はいくつかの「事態」が成立していることを意味していますが、成立しなかった可能性もあります。

この世界は、偶然できているだけ。だから価値は存在しない。
これがウィトゲンシュタインの主張なのです。

私たちは、道徳的な善悪や時間的経過などから価値を与えようとします。
アートは価値づけをすることが多い分野だと思います。
ウィトゲンシュタインが倫理について語っている部分をもう少し読みながら、アートが持つ価値について考えてみたいと思います。

ウィトゲンシュタインはアートを考えたのか?

ウィトゲンシュタインは「すべての命題は等価値である」と『論考』の中で述べていました。
これに続く内容を、少し見てみましょう。

6.42 それゆえ倫理学の命題も存在しえない。
命題は[倫理という]より高い次元をまったく表現できない。
6.421 倫理が言い表しえぬものであることは明らかである。
倫理は超越論的である。
(倫理と美はひとつである。)

ウィトゲンシュタイン「論理哲学論考」〔電子書籍版〕(野矢茂樹 訳、岩波文庫、2017年)より

倫理と美は同一のものとした上で、「言い表すことはできない」と言っています。
『論考』の最後の一節「語りえぬものについては、沈黙せねばならない」と合わせて考えれば、美については語ることができないというのがウィトゲンシュタインの主張です。

アートには、賞や権威を与えることが度々あります。
例を挙げるなら、ナチスドイツによる「退廃芸術展」でしょうか。
これは、ナチスが「劣悪」かつ「非ドイツ的」と判断したアート作品を「退廃芸術」と名付け、それらを展示した展覧会のことを指します。

この展覧会の目的は、ナチが政権を獲得する33年までの数十年間に「文化崩壊」を招いたとされる展示作の「退廃を推進する力によって追い求められた世界観的、政治的、人種的、道徳的目的と企図」を「健全な判断を持った民衆」に向けて明らかにするというものであった。そこで弾圧の対象となった様式は、表現主義、ダダイズム、新即物主義、抽象絵画など、ほとんどすべてのモダンの芸術である。

退廃芸術|現代美術用語辞典ver2.0」より

そのような作品群と対比するように、ナチスが評価した作品を展示する「第ドイツ美術展」もほぼ同時に開催されていました。
ナチスによる評価によって、「退廃芸術」とされた作品の制作者たちは批判されたり、活動制限を受けたりするなどの影響を受けました。

「すべての命題は等価値」とするならば、「退廃芸術展」や「大ドイツ美術展」といった評価をどう分析すれば良いのでしょうか。明確な答えが持てないモヤモヤとした感覚が残ります。

『論考』を読んでいく中で、ウィトゲンシュタインは芸術に関心がないのではないかという印象が強くなっていきました。
最終的に「すべての命題は等価値で、美については語りえない」と、ウィトゲンシュタインの芸術についての考えは、はっきり見えないままの状態になっています。

しかし、ウィトゲンシュタインのことについて調べていく中で、彼が美学についての講義を行った記録があるとわかりました。
次回(第6回)から3回に分けてその講義録を読み、ウィトゲンシュタインが考える「美」を見ていこうと思います。

第6回の記事はこちらから↓

参考文献

ウィトゲンシュタイン「論理哲学論考」〔電子書籍版〕(野矢茂樹 訳、岩波文庫、2017年)

大谷弘 「入門講義 ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』」(筑摩書房、2022年)

退廃芸術|現代美術用語辞典ver2.0 (Webサイト)

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