令和6年能登半島地震は大変な被害が出て、被災された方々には、おかけする言葉もありません。 お亡くなりになった方のご冥福をお祈りするばかりです。 我が家は駐車場に亀裂と段差が生じ、家屋の土台にも沈下が発生しましたが、被害は微少といえます。ただ、電気は来ていますが断水です。飲み水は、数年前から続く珠洲市方面の地震に備え、娘たちが買い置きしてくれた、ペットボトルが数ケースあって助かりました。 困ったのはトイレを流す水です。これも使い終わった浴槽の水を流さず取っておく習慣が幸
昨夕、4:06に能登沖で起きた地震。最大震度5強、その4分過ぎに、最大震度7。これはすごかった。立っていられなかった。携帯は地震警報が鳴り続けるし、テレビは女性アナがヒステリックに、津波の非難を叫び続ける。 テーブルにしがみつきながら、食器が落ちるのや、テレビが飛び上がるのを見ていた。離れている娘たちから、電話が入る。奥さんは私の服をつかみながら、「大丈夫」と答える携帯が震えていた。 いま、また揺れた。発生以来、頻発している。昨夜は、消防車やパトカーが走り続けていた。揺
今年も皆さまともども、いい年になるよう念じつつ、取り留めなく呟き続けます。 今年初投稿は、奥さんと仲良くなった一番の原因を、私なりに分析してみます。 若いころ職場での世間話でだったか、趣味の会での雑談の場でだったか定かではないけれど、「食後の食器洗いが一番嫌だ」といった人がいた。誰が言ったのか何故そんな話になったのかも全く覚えがないのだけれど、なぜかその言葉だけが「そんなものか」と心のどこかに引っかかていた。 数年前にふとその言葉を思い出した。奥さんが食器洗いを始める
小春日和に誘われて庭に出てみた。八つ手の花が咲いている。 一本の軸から、何本も枝分かれした先ごとにネギ坊主より少し小さいはなである。1ミリくらいの花が集まってネギ坊主状態になっている。大の字に広がった5枚の花弁の中央にこんもりとしためしべ群があり、そのめしべの真ん中から一本と花弁と花弁の間から4本、合計5本のおしべがひょろ長くのびている。 冬至過ぎのこの時期、咲いている花がないと見えて、ハナアブが集まっている。3種か4種、大きさも形も違うハナアブが、小さな花から花へと忙
若いころは『死』が、やたら怖かった。ところがある程度年を重ねると、『死』は現実味を帯びて、かえって恐れなくなったように思う。逃れられないと諦めたのか悟ったのか、それとも開き直りか。 ご近所に私より一回り上の方がいらっしゃる。その方の口癖は「周りにだれもいなくなった」である。友人知人がみな先に逝ってしまって、話し相手がいない寂しさは私にも理解できる。 私の友人もすでに何人か幽明を異にしている。今のうちなら何人かは葬儀に参列してくれるかもしれないが、最後まで残ったら一人寂し
「時間」は生物にのみ存在するらしい。この「時間」が曲者である。 時間を重ねるごとに、できないことが増えていく。昨日まで出来たことが今日はできないのだ。例えば、立ったままはけたズボンが、今日は座らないとはけないのだ。肉体的なことだけでなく、精神的にもできないというよりやる気が出なくなる。物忘れに至っては、言わずもがなである。 ところが一つだけ、若い時よりできることがあることに気が付いた。それはハ-モニカである。何故か、若い時よりうまく音階をひろえるのだ。音感がよくなったの
私たち夫婦が喧嘩をしなくなったのは、恥ずかしながら、ごく最近のことである。 理由はいくつかあると思うが、その一つは私が彼女の言行に寛大になり、一切小言を言わなくなったことだと思う。何故そんな態度がとれるようになったのかと考えてみると、ふたりの余命が幾ばくも無いであろうことに、ふと気付いたからである。どんなに頑張っても10年とは持たないだろう。そんな短い時間を、いがみ合って暮らしても馬鹿げていると思った。別れる気持ちもなく、これからも一緒に暮らしていくつもりなら、笑って毎日
私はあまり白髪がない。髪の量もそれなりに残っている。毛の太さは40代の終わりだったと思うが、いきなり細くなっておどろいた。 一方、奥さんはといえば、50代にはもう白髪染めの厄介になっていた。洋服を汚さないようエプロンをして、刺激臭の強い白髪染めを塗っている。合わせ鏡を使っても見えにくい部分があるらしく、毎回苦労をしている。そして薬剤が肌について時間がたつと、かぶれが生ずるとのこと。しかも40分後でないと洗い流せないらしい。こんな苦行を数か月ごとに繰り返している。 そんな
私が80歳を過ぎ、奥さんが後期高齢者になって、ようやく円満な夫婦生活を送れるようになった。それまでは何かにつけていがみ合い、罵り合ってきた。 それがいつの頃からか、お互い諦めたのか悟ったのか、互いの言動に腹が立たなくなってきた。 奥さんは知らず、私は彼女への腹立ちをすべて封印した。きっかけはある日ふと「二人で後何年、いや何日一緒に暮らせるのだろう」と思ったことだ。残り少ない日々を、せっかくならば、笑って過ごしたいと考えた。そんな思いが通じたか、奥さんも次第に言葉にと
我が奥さんは冬至を待ちわびる。 11月頃から日毎に日暮れが早くなり、12月には午後4時半には暗くなる。日暮れが早まると気分まで落ち込んでくると言う。そして冬至を待ちわびることになるらしい。 かぼちゃ、小豆、柚子が冬至を迎える必須アイテムだ。 朝から、かぼちゃと小豆を煮、夕暮れに柚子風呂に入る。これが我が家の冬至の恒例行事である。 かぼちゃと小豆の煮物、柚子風呂、いずれも風邪をひかずに冬を乗り切る妙薬とのこと。コロナにも効けば良いのに。 風呂に浮かんだ10個ばかりの柚子の間に身
我が家の裏に柚子がある。ピンポン玉くらいの姫柚子だ。実が小さいから数は多い。毎年、ご近所さんや知り合いに柚子風呂にでもと配っている。 今朝、明日が冬至と気が付いて奥さんに知らせると、「柚子をとらなきゃ」と私を見上げる。これは「採ってくれる?」と言っているのだ。「そうだな」私は曖昧に答えた。朝から風と雪混じりの雨が断続的に続いている。積極的には協力したくない。 午後、晴れ間を見つけ意を決し、防寒着に身を包み外へ出た。「寒い」。空には小さな雲間があり青空が見えている。「今の
腰が痛くなり始めて、20年以上になる。 立っているときはそれほどでもないが、横になるとき、起き上がるときに激しい痛みがおこる。が、手術を受けようとは一度も思ったことはない。 友達が三人手術を受けている。詳しくは知らないけれど、三人とも術後のリハビリに苦労しているらしい。 一人は、手術さえすれば元に戻れると思っていたらしく、リハビリのつらさに耐えきれず、全てをあきらめて生きる屍となり果てた。 二人目は、果敢にリハビリに挑んだが、元のようには回復せず、そのうち肺に癌が見
一年に一度しか使わないプリンタ-と悪戦苦闘し、年賀状を印刷し終えた。 今年も、住所録から省かなければならない名前が、何人かある。さみしい。 逆に、小さな子供との家族写真の賀状には、子供たちの成長を想像してほっこりする。 「お元気ですか」の一言だけでも書き足して出すようにしている。 来年の年末も、きれいな印刷をしたいな。
数日前娘が手土産に持ってきた長芋を使って、お好み焼きを作ろうと思い台所に立った。 長芋はすりおろさずに叩いて粉砕し、歯ごたえが残るように使った。 一枚目を焼き終わり、二枚目を焼きながら味見をしていたら、奥さんが外出から帰って「いいにおい」と顔をだしたので、さっそく味見をしてもらった。 「おいしい、私この歯ごたえのあるの大好き」 してやったり、長い付き合いだ。あんたの好みは先刻ご承知だと、内心呟いた。
何年振りかで年末ジャンボ宝くじを買った。バラで10枚、3000円である。 若いころから、時々買ってはいるが、300円以上当たったことはない。だからここ何年かは、買わないことに決めていたのに、なぜか急にその気になってしまった。 3000円は私にとって大金である。宝くじ売り場の窓口で意を決して、おね-さんに3000円を支払った。おね-さんがにっこり微笑んで「当たりますように」と言ってくれた、すべてのお客に、声掛けしているのはわかってはいるが、あの笑顔で、300円でもいいかと
平均寿命を過ぎて、ふと周りを見回すと、親しかった友人のほとんどが先立っている。 あいつは、若いころ無茶をしていたから、止むをえないかな。 彼は、酒もたばこも目がなかったし、無理もないか。 しかし、N君はまじめな男だったのに、早かったな。そんなことを思うと、つい、何故、自分は平均寿命まで生きられているのか、などと哲学(?)的な疑問が湧く。 善人は早死にするとは言われるが、その伝から行くと、自分は悪人なんだろう。確かに人様に自慢できるような善行はしてきていないし、むしろ