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『癌』① ~初めて触れた癌の形

いつも書きたいなと思っていた事…
誰に伝えるでもなく、読んでもらいたいと言う訳でもなく、
ただ、自分の心の整理と想いをと。

【癌】

昨日、従兄弟の子供が亡くなりました。
享年 5歳
病名: 脳腫瘍。

今日その悲報を聞き…書かなきゃ と。

もしお時間がある方はお付き合いください。


**********************

癌 ①

私はよく人から恵まれていると思われている。。
実際、恵まれているのだと…自分でもそう感じている。
素敵な出会い、素敵な仲間、笑顔溢れる時間、素敵な家族…
そして
素敵な別れ…。
若い時から、人との別れを多く味わってきた。
大粒の涙を流して
そしてまた 別れた人達を胸に笑顔で上を向く。

これは多くの別れのうちの初めての「癌」の話である。



癌というものに初めて出会ったのは、私がオーストラリアから帰国し、日本の中学に転校してきた時だった。
苗字ごとに席を振り分けられた私の隣に座っていたマピ。
異様に姿勢が良く、誰とでも敬語で話し 大好きな言葉は「美徳」。
筆が上手く、誰よりも美しく品やかな形を書き出す。
シャツは必ずズボンにきっちりと仕舞われていて
その上からはきつくベルトが巻かれている。
お辞儀の角度は直角90度…1度たりともずれていない。
瞬き一つせずに真っすぐに見つめながら話し、それは私との見つめ合い合戦になるほどのものだった。
この固すぎるほどの男子こそ、私の初めての そして生涯の親友であり、男女を超えた絆を与えてくれた人だ。

彼の真面目なのにユーモアあふれる人柄は一気に好きになれた。
日本語がおかしくなっていた私にも丁寧に色々教えてくれて、家も近かったため ほとんど毎日一緒だった。はたから見たら変な組み合わせだと今でも感じる程にギャップの多い関係だったけれど、彼との時間には絶えず笑顔が溢れていた。
少しづつ彼の事を知る。
勉強の事、マジックが好きな事、トランプマジックがとてつもなくうまい事、4人兄弟だという事、そして家族の事…

ある日一緒に帰宅中に、私が今日も家においでよと誘うと、
「今日は病院にいる父に会いに行かなければならないので」
そう言った。
「お父さんどこか悪いの?」
「苗子さんは まだ知りませんでしたか…僕の父は胃癌なんです」
いつもと同じように姿勢も崩さず、ピクリとも動揺せずに言った。

マピの父は優秀な警察官だった。
マピが小学校高学年の時に胃癌が見つかり、病院にずっと入院していたらしかった。
当時 癌に関して何の知識もなかった私は、
「そっか、じゃあ今日はマピの元気な顔見せてきてあげてね」
それしか…言えなかった。
どんなに深刻なのかも 胃癌がどんなものかも全く分からず、
彼の表情からも何も読み取れない。
ただ何となく、癌と耳にした時に
「早く元気になるといいね…」とは言えなかったのはハッキリと覚えている。


マピ…彼の本当の強さを知ったのは、それから時が経っていない、未だ中学2年の時だった。


確か社会の授業中だったと思う。
パタパタと廊下を走る音が聞こえると、学年主任の先生が思い切り引き戸を開け、教壇に立つ先生に目もやらずにマピを呼んだ。

マピはさっと席を立つと、荷物を纏めて 座っていた席を丁寧に机の下へと押し戻した。
何度席替えをしても、どんな方法で席替えをしても…
誰かが仕組んだと疑われるくらい マピと私は必ず隣同士だった。

時間が経ってから思い出すと、いつも席を立つたびに 隣に座っていた私に視線をくれていた彼が 私を見ずに教室を出たのは
これが初めてで この一回きりだった。

放課後…主任の先生が私を呼び出して話してくれた。
マピの父親が亡くなられたと。

主任の先生は私が転校してきたその日からお世話になっている私の大好きな先生で、
私とマピがとてつもなく仲が良いことを知って一番に教えてくれたのだ。

彼の父親のここ一年の状態も…
食事が全くとれずに点滴で生きていた事…
モルヒネ漬けだったこと…
吐血を一日に何度も何度も繰り返し、
吐血用のバケツはいつも血でいっぱいになりながら
ベッドの横にいつも置かれていた事…
彼の父親は マピに普段通りの生活を最後までさせていたいと願っていた事…
マピも父親の願い通りに
この一年欠席を一日たりともせずに出席していた事…


涙が止まらなかった。

彼の父が亡くなったことに対してではなく、
出会ってから今までのマピを想っての涙。
まったくもって私に微塵も不安を感じさせなかった
彼の在り方に。
そして、お父さんの辛い姿を見続けながらも
笑顔でいてくれた彼の痛みを何一つ気づいてあげられなかった自分に。

涙が止まらなかった。


中学に上がってから一度も欠席していなかったマピが
初めて欠席した。


数日間…彼の笑顔を思い出しては泣いて、
どうして何も言ってくれなかったのだろう。。。と同時に、
どうして何も気づいてあげられなかったのだろう。。。
堂々巡りだった。

お葬式の日取りが決まったと主任の先生から聞き、
母に喪服をそろえてもらい
マピと仲の良かった友達と 彼の父親のお葬式へ行った。


彼が教室を出て行ったあの日以来、顔を合わしても電話さえもしていなかった。
不安だった。
彼の目をどんな顔をして見つめればいいのか、
どんな言葉を投げかければいいのか、
彼がどんな様子なのか…
そんな中でも私の中で決めたことが一つだけあった。

彼の前では決して涙は流さない。

涙を流したいのは…彼だから。


でも、その心に決めた事柄は…

 私には守り切れなかった。


葬儀場につくと、警官服を纏った人たちがずらりと列をなしていた。
どれだけ彼の父親が人望の厚い人だったのか一目で悟れるほどに。
列に並び 私はぎゅっと涙腺だけは閉めていようと、
頑なに自分の意識ではどうにもならない体中の水分に
出てくるなと言い聞かせていた。

徐々に斎場の入口へと近づくにつれ、私の目に飛び込んできたのは
父親の葬儀という場で凛と立つマピの姿だった。
彼の母親でも二人の姉でもなく、
中学2年生…13歳のマピが
家族の代表として真っ先に参列者に挨拶をする姿。

彼の母親はマピの後ろに立つ姉二人に支えられるように立っていた。
その横で、マピの3つ下の弟。

マピはいつものマピと変わらず
姿勢よくぴしりと立ち一人一人にお辞儀をしていた。

いつもの直角90度のお辞儀…
初めて見る45度のお辞儀に30度のお辞儀。

参列者のかける言葉達を彼がひとつづつ丁寧に受け取り
そして お辞儀と共に感謝の言葉を返していた。


凄いと思った。
とてつもなく強いと思った。

自分の父親でないのに、泣き崩れていた自分がちっぽけに見えた。


私がマピの前に立った時、何も言葉が出なかった。
ただ真っすぐに彼を見つめると、
彼は私の肩に手を置いて
ゆっくりと口元を緩めて一言こう言った。

「来てくれて…ありがとう」

直角お辞儀のない「ありがとう」は
この日、彼から受け取った 唯一の言葉で
何も言葉を発せられない ただ突っ立っているだけの私に
「全て」をくれた言葉だった。

抑えてきた涙が滝のように流れた。
ぼやける視界には 優しく笑うマピがいて、
肩に置かれた手に ぎゅっと力が籠ったことだけは
ちゃんと感じていた。

彼は瞳から一粒たりとも涙を流すことなく
最後までじっと
凛と立っていた。


この時 私は

一生かけて

マピの事を支えてゆこう

そう決めた。

そしてこの心の誓いは、今もなお続いている。



癌という病気。
癌と闘う人達。
その家族。

皆「癌と向き合う人達」で、
その向き合い方は 何通りもあって、
どれが正しいとか 正しくないではなく、
その在り方を…
癌と向き合っているという事を…
癌と共に生きている事がとてつもなく強い事だという事を…

マピとマピのお父さんを通して
初めて心で学んだ。



彼とはその後もずっと固い絆で結ばれた親友である。
何があっても、何をしていても
彼のために全部放り投げる事の出来る友。
そして彼もきっと、私の為に同じようにしてくれると
心で分かっている友。
親友という言葉で片付けられない程に、
私にとって大切な人である。
彼の父の癌がなかったとしても…彼とは今の関係になれていたとは思う。
でも、癌があったことで、彼の芯をいち早く手に取って
理解することが出来たのだと、そうも思っている。

いつか彼の父に出会える日が来たら、
沢山私のマピの好きな所を教えてあげよう。
そのために、まだまだマピとの時間は沢山作る予定だ。


「なえちゃん、お誕生日おめでとう」

いつの日からか、「苗子さん」から「苗ちゃん」に変わった呼び名だが
毎年必ず…誕生日にはマピからメッセージが届いている。

私とマピ


この数年後…もう一人出来た私の大切な親友ユミもまた マピの事を良く知る人となったのは言うまでもない。


・・・・・・・・・

ちょうどコノエミズさんのこの記事を読んだばかりだった。

このタイミングで、わずか5歳の命が天に上るとは思ってもみなかったが、多分、何かのサインなんだろうと思っていたりする。

昨日飛び立った従兄弟の娘に関しても、順を追って書いてゆこうと思っている。
癌の他にも沢山の友を失ってきた私だが、それも最後に付け加えられるようにしたいと思う。


今日の物書きは
旅立った アンナに贈ります。


最後までお付き合いありがとうございました。


七田 苗子



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