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#159 自分のからだはこんなにも愛おしい Part2


Part1 からの続きになります。

私の場合『自分のからだって愛おしいなぁ』は、残念ながらそう頻繁に実感するものではない。

今朝は、週に一度の Zoom で対面での『和みのヨーガ』セッションがあった。贅沢にも一時間、インストラクターであるふーちゃんとふたりだけでホッと和める時間がある。この時ばかりは、体に全意識を向けて愛おしむことになる。

ほんとは秘密にしておきたいくらい素敵なふーちゃんは子育て真っ最中のお母さん。絵本も出版しています。
Twitterのふーちゃんのアカウントはこれ。https://twitter.com/dongurisanchi/likes

これまでe-bookだった絵本ですが、今月はそのペーパーバック版が、日本語・英語版揃って出版されますよ。英語版は誰が翻訳するのか、気になりますねえ‥‥(あ、誰も気にしてない?)


さて『和みのヨーガ』。
なんと、創立者のガンダーリ松本さんが note にいらっしゃいます。この記事を読むと、自分の体調も病気も自分が自分をどう扱っているかということの結果だという気がします。

ガンダーリさん(ほんとは大先生なのにこう呼ばせていただきますが)、柔らかくて可愛らしくて、本当に素晴らしい先生です。

和みのヨーガの一時間のセッションでは、『手当て』という私たちに自然に備わっている力を用いて、自分のからだを整えていく。

今朝、手の手当てをしていた時のことだ。
反対側の親指を使って掌をペタペタと圧を入れながら触れていく。「味わうように見て触ってください」と言われる。

ああ、この手があるから私は大好きな手仕事ができているのだ、指が短いとか爪が子どもみたいだとか、全然大事なことじゃなかった、とハタと気づいたのだ。
私の手指は、割と他人ひとの面倒くさがることも難なくやれてきたのじゃないか‥‥
例えば、手のないお母さんに子育てができないわけじゃないけれど、それはそれは不便なことに違いない。
あたりまえと思ってきたことが実はとんでもなく有難かったという想いと、私が感謝もしないのに手はずっと働き続けているという事実に、スコーンと打たれた気がした。

『この手でよかった!』


しばらくして足の手当て。脚を曲げて、足を手元のほうまで持っていき、ペタペタと足の裏を、やはり味わうように触っていく。
その時に「いつも頑張ってくれているなぁ」とか「可愛い足だなぁ」とか感じてみてください、と言われる。
自分の素足の、ぷてっとした足の裏をしげしげと見ながら、また何ともいえない愛おしさが沸いてきたのだ。
足は自分の視界に入っていないことが多いが、(人知れず)自分の全体重を踏ん張って支えてくれて来たのだ。
実を言うと、私の足は外反母趾のために、立って力を入れたときに、体重は五本の足指に分散されず、親指の内側ばかりに落ち込んでしまう。
ヒールのある靴はもう30年以上履いていない。
ああ、いやだいやだと思ってきたけれど、私の誤った歩き方や生活習慣のせいで足に負担をかけただけの話だ、きっと。
私の足は足なりに必死だったかと思うと、やっぱり愛おしい‥‥

『私の足ってこんなに可愛かったっけ?』

『和みのヨーガ』はこんなにも素晴らしい、リマインダーになってくれている。
こんなふうに週一回のセッションによって大切なことを気づかさせてもらっている私だ。

わかっているつもりだったのだ。
けれど心が動いて、愛おしい・・・・と『感じ』なければあまり意味がなかったと知った。
「体って愛おしいものだよね」と読んで終わるだけだと、これまでの私です。(ここ大事!)

何にも考えずにボーっとする時間。
「私 (俺)、いつも頑張ってるよ~」と自賛する時間。
自分を赦す時間。

‥‥そんなのを意識して作って、自分の手とか足を、これまで見てこなかったやり方でしげしげと眺めてみることを、今日はなんだかとっても勧めたくなっちゃって‥‥




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