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「心配」は相手のためではない

「あなたのことが心配で言っているの」「私を心配させないで」

という言葉は時に、いえ結構な割合で、相手の負担になります。

それがどういう意図から発せられているかによりますが、相手のことを想っているようでいて、「私が心配な気持ちになって不快だから、不安にさせないようにして」が根底にあることが多いからです。

相手のためじゃない。

そういうケースの場合は、”あなたはそれを乗り越えられない、失敗する、うまく対処できない、、”などの相手への信頼のなさがどうしてもそこに含まれてしまうので、相手から力を奪います。
子どもであれば特に、自己肯定感はなかなか育ちません。

過剰に心配されている・されてきた経験のある方へ。

気にならない方は大丈夫。
でも、どこかで相手の「心配」をまるごと引き受けて、心もとなくなったり、不安になっていたりしたら。
いら立ちや反発に振り回されていたら。
心配をかけてしまった、と罪悪感を感じていたら。

それらの気持ちを抱きしめつつ、
自分の本心を、自分の感覚を、力を、自己信頼を明け渡さないでください。
一旦深呼吸して、きちんと相手との間に境界線を引いてください。

そして、逆の立場のほう。
「そうはいっても、つい”心配だ”を連発してしまう」という方もいますよね。

大事な事は、「心配すること」は悪いことではないし、湧いてきちゃったら止められるものではないということ。誰だって、大事な人に対しては多かれ少なかれ心配の気持ちを抱くことはあります。
人間だもの。

その心配はどこから生まれているのでしょうか。
それを受け容れながら自分で責任をとるのか、相手にぶつけて相手に解消してもらおうとしているのか、どちらでしょうか。

相手を「想っているよ」「気にかけているよ」というエネルギーなのか?
それとも「私の心の平穏を乱さないで」というエネルギーなのか。

どちらかな?とご自身のハートを感じてみてください。

そこに大きな違いがあるのだと、思います。
自分をどうか責めずに、そこにある不安を無視せず、ちゃんと見てあげていただけたら。

「言葉」に込められたエネルギーは侮れないから、時に怖いな、と感じることがあります。

なかなか難しいですけれど、本当のことを語れる人でありたいし、いつでも愛から表現できる人でありたいです。
本当に難しいですけど。





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