なみきゆうき

物語が好き。小説と、思ったことと、物語のレビューと、写真を。

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マガジン

  • ジブリ読解

    スタジオジブリの映画を、読み解く。

  • 物語を考える ―文学研究―

    ぼくの考えていること、考え方には、文学研究の理論がすごく影響を与えているなー、と思っていて。仕事を辞めて2年間通った大学院で得た知見。他のノートを書くときに、その話と絡めたいことが多いので、このマガジンに文学研究の話をまとめておきます。他の記事からリンク飛ばすことも多いはず。

最近の記事

『崖の上のポニョ』は瀬戸内に、未来を、過去を、今を見る

 これまででいちばん、初めて観たときとそのあとで印象が変わった映画が、『崖の上のポニョ』かもしれない。  大学3年生のとき、一つ上の先輩と、横浜の映画館に観にいった。観終わってから、二人で映画館を出て、夕飯を食べにマクドナルドに行くまで、口には出しづらい、あまり認めたくない感情を抱いていた。  スタジオジブリの、宮﨑駿さんの作品は、ぼくにとってずっと、すごいもので、おもしろいものだった。でも、『崖の上のポニョ』を観終えたときのぼくの感想は、すごい、でも、おもしろい、でもな

    • ぼくは『ハウルの動く城』によって「今」に導かれた

      『ハウルの動く城』を観たのは、高校2年生のとき。一人で、そのときいちばん好きだった服を着て、映画館に行った。  素敵な映画だ、と思った。思ったけれど、何が素敵なのか、それが何を描いているのか、当時のぼくにはなにもわからなかった。それはそうだろう、と今は思う。ぼくはまだ、帽子屋で働くソフィーだったし、カルシファーに心を守ってもらうしかないハウルだったから。  あの街に、荒地に、何よりハウルの城に、憧れた。あの世界に行きたいと思った。同時に、あの物語が何を描いているのかを、い

      • 漠然とした憧れは、大事なものだと思っている

         留学に行く際に、何しに行くの、と訊かれて、英語を学びに、と答えるのではだめだ、英語を話せる人なんてごまんといる、留学にまで行って英語しか学ばないのは意味がない、英語で何を学ぶかを考えろ、と、よく言われる。  ぼくは、それ以前の問題だった。もちろん、英語はしゃべれるようになれば、とは思っていたけれど、それは目的と言えるような動機でもなく、ただ、イギリスに、ヨーロッパに住んでみたかった。それは、漠然とした憧れでしかなかった。 *     *     *  少し前、仕事を辞

        • 北ヨーロッパと旅と本

           朝目が覚めて、ベッドの上でだらだらしながら何気なくインスタを開いたら、アイスランドの動画が流れてきた。  ところどころ岩が水面から出ている浅い川と、岩肌を幾筋も白く流れる綺麗な滝、周りは背の低い鮮やかな緑で溢れていた。日は照っていないけれど、曇っているという言葉が似合わない、幻想的なグレーの光。  北ヨーロッパは、どうしてこうも曇天が似合うのだろう。  北ヨーロッパには、6年ほど前にイギリスに行って以来、行けていない。旅行で、ユーレイルパスという鉄道乗り放題チケット(青春

        『崖の上のポニョ』は瀬戸内に、未来を、過去を、今を見る

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        • ジブリ読解
          3本
        • 物語を考える ―文学研究―
          5本

        記事

          今、本屋さんに通い詰めている

           最近、休みの日は毎日、家の近くの本屋さんに行く。駅の反対側、家から歩いて10分ほどの、個人書店。書籍とコミックのフロアが分かれていて、コミックのフロアには書店おすすめ漫画のコーナーがあって、書籍の棚もすごく好き(今日は小松和彦さんの『鬼と日本人』ほか何冊も買ってしまった)。  前に住んでいた町には、最寄り駅に書店がなくて、二年間くらいもどかしい思いをした(そのぶん、隅田川がすぐ目の前を流れている、素敵な町だったのだけれど)。昨年末にここに引っ越してきたのも、この書店がある

          今、本屋さんに通い詰めている

          社会とのつながり方、世界との関わり方の話

           買ったのだけれど読めていない本が、それはもうたくさんあるにもかかわらず、「まずい、本棚から本が溢れていて、新しい本が買えなくなっている、これはよくない」と焦って、本棚を増築した。  一昨日、ホームセンターに行って、木の板を家の出窓の下の横幅に合わせてカットしてもらい、家に帰ってペンキで焦げ茶色に塗って乾かして、本棚増築が完了したのが昨晩。それはもう充実感があった(焦げ茶色の木の板は、茶色の下に木目が見えていて、初めてこんなことをやったにしてはいい出来だった、と思う)。本が

          社会とのつながり方、世界との関わり方の話

          人の目は、自分の輪郭を規定する、ことを知る

           一年ほど前から、エアプランツを育てている。100円ショップや、少し大きなものはおしゃれなインテリアショップで売っている、土に植える必要がない、植物。  ずっと植物は好きだったのだけれど(一人暮らしをし始めてすぐの豆苗にはじまり、アイビー、ミント、ヘテロパナックス、アボカドの種からの栽培、などなど。2年以上育てたヘテロパナックスがこの冬根腐れしてしまったかもしれなくて、心配しながら見守っている)、コロナ禍で外出しなくなった一年前から、ぐっと、家の中の植物が増えたし、植物にか

          人の目は、自分の輪郭を規定する、ことを知る

          地球温暖化について

           大学に入学して、三日で憂鬱になった。入った課程は「文理融合型」だと聞いていたのに、そこは混じり気のない理系の課程だった。  だから、一般教養の授業や、他課程の授業を多く履修した。地球環境の専門の授業の時間が、やたらと長く感じられた。そんな中で、一年の後期(だったと思う)で履修した専門の授業が、古環境学だった。  初回の授業の内容を、今もよく覚えている(正確ではないかもしれません、間違っていたら、教授、ごめんなさい)。確かに今、地球は温暖化しているが、過去のデータから考え

          地球温暖化について

          18歳

           この年始は、今の状況で帰省するのは少し怖くて、年末の引っ越しの片付けが一通り終わってからは、新しい借家でテレビざんまいだった。  一月の二日、三日は、箱根駅伝と、同じチャンネルでそのすぐあとにやる高校サッカーが楽しみなのだけれど、だから毎年年始には、自分のやりたいこと、やるべきことを分かってそれを突き詰めている彼らを見て、ぼくは自分の大学のころを思い出す。  中学高校での生活が全く上手くいかなくて、大学に入れば何かが変わると思って、でも思ったほど何も変わらなくて、何かを

          「いつか」なんてこないことを知る年の瀬

           はじめて、人生がずっと続くものではないと実感したのは、「高校生活」に憧れながら、憧れたような具体的なことをただの一つも経験できないまま、高校卒業が迫ってきたときだった。  部活にかけるような生活もしてみたかったし、放課後や休みの日に友達と遊びに行きたかったし、恋愛もしたかった(以前友人に、中高一貫男子校に通っていたから恋愛ができなかった、と言ったら、男子校のせいにするな、と怒られたけれど)。高2の冬くらいのときに、そういうことを一切していない、物語の中で憧れたような高校生

          「いつか」なんてこないことを知る年の瀬

          ぼくたちは日常の外に境界線を引かなければいけない

           10月のなかごろ、体調が紙飛行機みたいに落ちていった。  直接のきっかけは、10月に入ってから仕事がちょっと忙しくなったことで、初めて作る仕様の本、次から次へと見つかる想定していなかった作業、発覚するミス、溜まっていく未読の原稿にてんてこ舞いになって、あっという間にグロッキーになった。  お腹の持病が悪化して、一日に二ケタ回トイレに駆け込み、電車に乗るのが怖くなった。これはまずい、と思って、数週間、土日はひたすら寝た。朝起きてご飯を食べて、寝て、昼起きてご飯を食べて、少

          ぼくたちは日常の外に境界線を引かなければいけない

          区切りがなくなり、世界が変わる ~外出自粛の世界~

           昨日、朝まで、人狼ゲームをした。  在宅勤務を終えて、ふと気が向いて、友達が金曜日と土曜日に夜な夜なやっているオンライン人狼ゲームを覗いてみた(所属しているコミュニティ、コルクラボのボードゲーム部。自宅で、仕事が終わった直後にオンラインでボードゲームやパーティーゲームが楽しめるなんて、今の世になんてありがたいことだろう)。  やったことがなかったから、どんなものかと覗くつもりで見にいったら、当然のように参加することになり、訳も分からないまま占い師になってあえなく人狼に殺

          区切りがなくなり、世界が変わる ~外出自粛の世界~

          自己アイデンティティを、探しながら固定化しない

           選択肢が増えて、手に入る情報も増えて、自分で生き方を選択していかなければいけない時代になった、と言われている。自分が好きなものは何なのか、やりたいことは何なのか、ということを、正面から問われる時代。  その象徴的なものの一つが就活だと思っていて、新卒の就活ではたぶん、自己アイデンティティと、それを会社でどう活かすのか、が問われる。  このときに初めて、自分は何が好きで、どう生きていきたいのかが問われる、という人も多くいると思う。ぼくもそうだった。けれど、就活の中で自分に

          自己アイデンティティを、探しながら固定化しない

          感情的に対立するぼくらの社会

           10年と少し前、イギリスの田舎町に住んでいたとき、町を歩いていたら、道の反対側を歩いていた青年から、中指を立てられた。  その町は、ロンドンから長距離バスで5時間ほど、新幹線のような都市間を結ぶ電車では2時間半ほどの場所にある、漁港だった。住んでいる人のほとんどは白人で、ぼくのようなアジア人は、圧倒的なマイノリティだった。  狭くはない道の向こう側からだったけれど、中指を立てられて、訳のわからないことをまくしたてられて(それは、アジア人の喋り方をからかう、よくあるやり方

          感情的に対立するぼくらの社会

          結局成長なんてしないのかもしれない

           大学生のころ、二十歳を越えたら、もう、学習による成長はするけど、ただ年を重ねることによる成長はしないんだな、と思った。  小学校一年のころは六年生を見て、中学生のときは高校生を見て、大人だな、と感じたことがある。おもしろいと思う漫画が違った。遊び方が違った。自分とは全く違う考え方、感覚を持った人に見えた。でも、大学生になって、40代、50代の人を見たとき、ああ、もう、ぼくらはここから変わらないんだな、と思った。経験が増えて、環境が変わって、それに伴って考え方、感覚が適応し

          結局成長なんてしないのかもしれない

          物語が始まる準備はできているけれど

           物語には型があって、シンデレラストーリーはその代表的なもの。どん底から始まって、少し上がって光が見え、困難があって葛藤してまた沈んで、最後に、成功する。  物語には、苦境や葛藤が必要だ。言い方を変えると、苦境や葛藤から、物語が始まる。  だとすると、ぼくは、いや、ぼくたちみんな、多くの人は、物語が始まる準備ができている。むしろ、準備万端です、という人が多いと思う。今、悩みを抱えている。困難に直面している。学校が嫌だ。仕事をしたくない。などなど。  それでも、物語は始ま

          物語が始まる準備はできているけれど