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人の目は、自分の輪郭を規定する、ことを知る

 一年ほど前から、エアプランツを育てている。100円ショップや、少し大きなものはおしゃれなインテリアショップで売っている、土に植える必要がない、植物。

 ずっと植物は好きだったのだけれど(一人暮らしをし始めてすぐの豆苗にはじまり、アイビー、ミント、ヘテロパナックス、アボカドの種からの栽培、などなど。2年以上育てたヘテロパナックスがこの冬根腐れしてしまったかもしれなくて、心配しながら見守っている)、コロナ禍で外出しなくなった一年前から、ぐっと、家の中の植物が増えたし、植物にかける時間が増えた。

 ぼくはどちらかというと、植物を飾ることよりも、植物を育てることの方が好きみたいで、だから、美しくて大きい高価なものよりも、100円ショップで買った小さなエアプランツや、スーパーで買ったアボカドの種を水耕栽培で発芽させたもの、二年前に買った(当時はすごく小さかった)アイビーの先を切って増やした小さな株、なんかを、少しずつ大きくしていくのが、すごく楽しい。

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 この一年、仕事以外で人に直接会うことが、ほぼ皆無だった。家族や友達と久々に会ったのは、今年に入ってからだった。

 少し前に、本当に久しぶりに友達に会って、話をして、そこで話をしている自分と、家で過ごしている自分が、ものの感じ方が違う、と思った。
 具体的には、友達と会って話して、仕事のやる気が出た。勉強しようと思った。アウトプットしようと思った。

 そう感じたときに、良くも悪くもずいぶんと、人の目の在不在に影響されていることを実感した。

 ほぼ一年間、仕事以外で人と会っていなかったとき、ぼくは休みの日、本や漫画を読んで、たまに文章を書いて、たまにコーヒーを淹れて、そして植物を育てていた。山奥の素敵な一軒家で、毎日こんなふうに過ごせたら最高だな、と夢想しながら。

 それは誰にも評価されない、ジャッジされない、人の目の不在の中での、自分だったと思う。

 久々に友達と会ったとき、ぼくは、評価されたくて、認めてもらいたくて、それで、いろいろなもののやる気が戻ってきた。仕事での成果。SNSでの発信。

 本当に、人の目によって、どうありたいかが変わってくるんだな、と、他人事のように思った。それは本当に、良くも悪くも、いい意味でも悪い意味でもなく、単純に。

 誰かと関わって生きていく限り、人目はあって、それを含めて「自分」の輪郭は決まっていくもので、だから人目の在不在次第で、自分は変わり得る、少なくともぼくは。

「人目を気にして生きていてはいけない」という言葉は、一歩引いて見ないとうまく機能しない。人目を気にしてはいけない、ではなく、人目は自分に影響を与えることを知って、その上で自分はどうしたいのか考えること、自分に、人目は、どの程度必要なのか。

 ぼくは植物を育てることが思ったよりも好きみたいで、それでいて友達と会うのも、久々にものすごく楽しかった。

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