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区切りがなくなり、世界が変わる ~外出自粛の世界~

 昨日、朝まで、人狼ゲームをした。

 在宅勤務を終えて、ふと気が向いて、友達が金曜日と土曜日に夜な夜なやっているオンライン人狼ゲームを覗いてみた(所属しているコミュニティ、コルクラボのボードゲーム部。自宅で、仕事が終わった直後にオンラインでボードゲームやパーティーゲームが楽しめるなんて、今の世になんてありがたいことだろう)。

 やったことがなかったから、どんなものかと覗くつもりで見にいったら、当然のように参加することになり、訳も分からないまま占い師になってあえなく人狼に殺されたり、あらぬ嫌疑をかけられてつるし上げられたり、気づけば自分も疑わしきは皆排除の原則に染まっていたり、原始共同体もかくやというシビアな世界の中にいた。

 一ゲーム終わったらまた一ゲームと、時計の針を気にしながらもPCの前から離れられず、理性が眠りについて人間の業が剥き出しになった泥仕合にようやく皆が疲れを見せ始めたのは午前四時前。

 夢の中でも人狼を探しながら、起きたのは昼の十二時ごろだった。

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 原始共同体とか人間の業とか小賢しいことを言ってみても、昨日人狼ゲームをやったのは何かの学びのためなんかでも人間的な成長のためなんかでもなくて、ゲームのためのゲームだったし、友達と会話するための会話だったし、花金のための花金だった。

 たぶん少し前であれば、金曜日の夜に朝まで遊んで土曜日を半日以上潰すことに、後悔ともったいなさと罪悪感と焦りを覚えた。何かになるために、勉強しなきゃいけないのに、大事な休日なのに、有意義に過ごさなきゃいけないのに、と。でも今、ぼくは、昨晩ハンターとして人狼を道連れできたことに満足しているし、今晩開催される人狼会も、30分だけ、覗いてみようかと思い始めている。もちろん一ゲームで抜ける。

 後悔も罪悪感も焦りもいつもより少ないのは、きっと、このコロナ禍の下で、外出を自粛しているからだ、と思っている。

 この状況下で、「何のために生きるか」が、少しずつ変わっている気がする。

 今、外出を普段より大幅に控えている中で、「いつか」のために生きていたら、たぶんメンタルがもたない。大学受験のときも、就活のときも、仕事が山積してちょっとやばいと思うときも、期限があった。いつか、が(ひとまずは)はっきり見えていて、区切りがあって、とりあえずそこまで頑張る、ということができた。でも、今は、「いつか」が、文字通り「いつか」でしかない。その「いつ」がいつ来るのか、自分では、全く分からない。

 自宅で過ごす時間が増える中で、たぶんこれまでといちばん違うのが、区切りがないことで、プライベートと仕事の区切りがなくなって、自宅と職場と遊び場の区切りがなくなって、朝と昼と夜の区別もなくなった(人狼のせいで)。そして、「今」と「いつか」の区切りも、また、なくなる。

 そんな中で、何も気にせずに外出できるようになる「いつか」のための外出自粛をしていたら、たぶんメンタルがもたない。

 だから、一つの今の過ごし方として、外出自粛を、それ自体が目的の自宅の時間として過ごす、ということは、あり得ると思う。ぼくが過ごしているのは、たぶん、この状況が変わる「いつか」のための外出自粛ではない。

 幸い僕は、本を読んで漫画を読んで映画を見て文章を書いて過ごすのが大好きで、それ自体が目的の自宅時間を過ごせている。ストリートダンスとフットサルができないのはちょっと残念だけれど。

 もちろん今も何かの知識を得るような本は好きで読むけれど、それは「いつか」のためという側面がないわけではないけれど、それは知るために知る、知りたいから知るものでもある。

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 ソシュール言語学は、モノと言葉、どちらが先にできたか、という問いに、言葉が先にできた、と答える。
 世界には「椅子」というものが元からあったわけではなくて、膝丈くらいのサイズの切り株があって、それが座るのに丁度よかったから「椅子」という言葉でそれを呼び、それによって、椅子というものが生まれた。
 イルカとクジラという生き物が元からいたわけではなくて、だいたい4m以下のあれを「イルカ」と呼んで、それ以上のものを「クジラ」と呼んだ。言葉によって、イルカとクジラは生まれた。

 人は、言葉によって世界を切り分けて、世界を認識する。この「区切る」という作業はものすごく重要で、区切りがなければ、世界は認識できない。

 自宅で過ごす時間が圧倒的に増えて、これまでにあった生活の区切りがなくなった今、世界はこれまで通りに認識できなくなった。区切りのない世界は、ぼんやりとして、あいまいになってしまう。だから、世界の新しい区切りが必要で、新しい区切りによって、世界の認識は変わる。

 新しい世界の区切りは、自宅で一人で過ごす時間が多い今、誰も作ってくれなくて、だから新しい区切りは自分で作らなければいけない。世界の認識は、自分でしなければいけない。世界はどんなもので、そこでぼくはなんのために生きるのか、それを、突きつけられる毎日。

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