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18歳

 この年始は、今の状況で帰省するのは少し怖くて、年末の引っ越しの片付けが一通り終わってからは、新しい借家でテレビざんまいだった。

 一月の二日、三日は、箱根駅伝と、同じチャンネルでそのすぐあとにやる高校サッカーが楽しみなのだけれど、だから毎年年始には、自分のやりたいこと、やるべきことを分かってそれを突き詰めている彼らを見て、ぼくは自分の大学のころを思い出す。

 中学高校での生活が全く上手くいかなくて、大学に入れば何かが変わると思って、でも思ったほど何も変わらなくて、何かを切望して、やさぐれて、それでも期待して鬱々と私鉄で山の上の大学に通っていたあのころと、一つのできごと。

*     *     *

 大学に入学してすぐのころ、テレビの音楽番組で見かけたTommy heavenly6の曲が耳に残って、TSUTAYAでアルバムを借りて大学への行き帰りに繰り返し聞いていた。
 音楽は旋律ばかり聞いて、歌詞はろくに聞かない・覚えないぼくにしては珍しく、「あなたの特別になりたいのに」という歌詞*が、旋律と相まって、当時ずっと頭の中でリフレインしていた。恋愛対象としてはおろか、友達としても誰かの特別になんてなったことがなくて、だからそんな歌詞を聞いて、「あなたの特別になりたいのに」と言ってくれる女の子がいてくれることに、すごく憧れたことを覚えている。

 大学一年のころは、フットサルのサークルに入って、高校までの男子校生活とほとんど変わらないような、ボールを蹴って男友達とだけ喋るような毎日だった。同じ授業を取っていた女の子と、授業中に授業内容について話すことはあっても、その外にまで関係を持ち出すことなんてなかった。女の子とほぼ喋らない中高六年間を過ごしたぼくに、そんな芸当は到底できなかった。そもそも男友達とすら、サークル以外で話す機会はあまりなく、朝学校に行って、夕方家に帰って、大学に入っても何者にもなれていない、なんでこんなんなんだろう、と思うような一日を繰り返していた。

 そんな中で、一つの、できごととも言えないような、始まってすらいないうちに終わったようなできごとがあった。

 夏休みが終わって少し経った、肌寒くなってきた11月ごろだったと思う。サークルの同期のヒロが、こちらもサークルの同期だった吉住に、女の子を紹介する機会を作った。男子数人と女の子数人で、体育館を借りてフットサルやドッヂボールをするという(飲み会ですらない、それはもう健全な企画だった)。

 当時ぼくは誰とも付き合ったことがなくて、付き合うのなら出会いは合コンなんかじゃない自然な形で、と思っていたステレオタイプの童貞そのものだったのだけれど、でもそのイベントは自分が誰かを紹介されるものではなかったから、ヒロと吉住に、おまえも来い、と誘われたとき、軽い気持ちで行くことにした。

 イベントは、企画通り圧倒的に健全なまま、無難に、スポーツとしては特に楽しくもなく終わったのだけれど(スポーツ的な楽しさをこのイベントに期待していたこと自体が、当時のぼくの分かっていなさを表している)、そのイベントでぼくは、ヒロが吉住に紹介しようとしていた、リンという子を、かわいいと思った。

 体育館からの帰り、男子だけでご飯に行ったとき(近くの大きな駅の、サークルメンバー行きつけの中華料理屋だった)、吉住がリンに、特にこれといった印象を持たなかったことを聞いて、その夜、ぼくは、リンにメールを送ることを決めた(イベント後にみんな、赤外線通信で、アドレスを交換していた)。思い返すと、ぼくにしてはかなり思い切った決断だった。

 二十二時過ぎ、実家の自室で、画面部分を上にスライドさせると数字のボタンが出てくるタイプのガラケーと向き合って、何を送ったものか悩んだ。今考えると、今日は楽しかった、ありがとう、程度の普通のことを普通に送ればよかったのだろうけれど、その日に会ったうちの一人にだけそんなことを送るのが不自然な気がして、でも何も思いつかず、画面が暗くなっては明るくして、ということをひたすら繰り返していた。
 普通の挨拶すら送れないのだから、どこかに二人で遊びに行こうと誘うなんてできるはずもなく、何も入力しないまま三十分ほど携帯と向き合っていた。

 なんとか何かヒントが欲しくて、その日のイベントで、はじめにリンと会ってから解散するまでのことを、一つ一つ反芻してみた。それで、彼女が自己紹介のとき、旅行が好きだ、と言っていたのを思い出した。その年の夏にも、友達とオーストラリアに行ったという(ぼくも旅行が好きで、彼女のその自己紹介を聞いて、改めて彼女のことを見て、かわいい、と思ったのだった)。

 普通の挨拶は恥ずかしがってできないのに、多くの人が恥ずかしいと思ってしまうようなことは普通にできてしまうのが思春期だと思う。

 ぼくは大学入学直前の春に、初めて一人旅をした。青春十八切符で京都まで行ったのだけれど、一人で宿や電車を手配して行った旅行は、十八歳のぼくにとってかなり特別な経験で、その特別な旅行で、携帯で撮った金閣寺の写真を、(たしか)こんな文章と一緒に、彼女に送った。

「今日は楽しかったです。旅行が好き、と言っていたので、この前ぼくが一人で京都に行ったときの写真を送ります。また旅行についていろいろ話せると嬉しいです」

 屋根の上についた鳳凰なんて全く見えない、細部が潰れた携帯の写真だったけれど、池にも金閣寺が映ったその写真を、ぼくは気に入っていた。

 そわそわして返事を待ったけれど、一時間たっても携帯は鳴らなかった。気分が沈んだまま寝たら、翌朝、返事が来ていた。

「写真ありがとう。旅行好きなんだね。夏に行ったオーストラリアがすごくきれいだったよ。わたしもまた話せると嬉しいです」

 そんな文章と一緒に、手前に森があり、その向こうから朝日が昇る写真が送られてきていた。
 自分の特別な経験を伝えられて、相手の特別なものを見せてもらえたように思えて、嬉しくて、すぐに写真を携帯に保存した。中学、高校時代からそのときまでよどんでいた自分の時間が、やっと動き出した気がした。

 それから、二、三日メールのやり取りが続いたけれど、そのくらいで途切れてしまった。以降全く接点がなくなってしまい、会ってもいないし連絡もしていない。

 その後も、何も動かない、もどかしいような大学生活がしばらく続いたのだけれど、そのできごとを、はじめて大学生活が動いた時間のように感じていたし、誰かと、特別を共有した印のような気がして、彼女からもらったオーストラリアの森と朝日の写真は、すがるような思いで、たまに見返すものになったのだった。

*     *     *

 テレビで見る箱根駅伝の選手や、高校サッカー選手権の彼らとはずいぶんと違う、やりたいこともやるべきことも全く分からない日々ではあったけれど、別の形で、あのころぼくは、まぎれもなく18歳だった。

*Tommy heavenly6「Wanna be your idol」

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