③定住2年 2作目で最優秀賞受賞まで 納屋編
当時を振り返るととても忙しい日々に追われていたように思える。先々の将来を見据えるようになった30代半ばの頃、僕はクリエイター事業に、より一層邁進したいと思いそれまでやってきた撮影仕事、映像制作に更に力を入れようになった。引っ越しもし環境を変え機材もあれこれ新調した。休日は多摩川でドローンの練習もよくしていたものだ。ずいぶんお金もかかったがその分仕事が舞い込むようになった。また、音楽活動を続ける事で人脈も広がり仕事に繋がっていったのは嬉しい現象だった。
気づけば制作仕事が全国に及んでいった事で、ライブ活動と合わせてツアーができるようになっていた。ライブをしながらロケ地では撮影、移動中にあちこちの町で編集作業、納品という流れだ。沖縄以外は車での移動なのだが縦横無尽に旅は続き全国を駆け抜けた。その内スタジオとして編集作業したり長旅の疲れを癒したりする場所ができた。それが島根県津和野町の、後に移住先となる祖父祖母の家だったという事だ。
今で言うところのノマドワーカーや、クラウドソーシングの活用など、そういう働き方を割と昔からキャンプ活動的に続けていたのだろうと思う。因みにここで言う映像制作は依頼の仕事であって自身の映画作品ではない。こうして都会や田舎町を長年巡る日々が続いていると、自身の映画製作の夢が沸々とわいてきたのを覚えている。しかしそのような暇はないのが現状であった。
時は過ぎ2020年春。世界的感染症が襲来。それまでのライブスケジュールや撮影仕事はすべてキャンセルとなった。2018年、島根県津和野町に既に移住を済ませていた僕はバンドメンバーと共に避難、田舎での無限の空き時間を余儀なくされた。言い方を変えるとすれば、強制的に「自由時間」がギフトされた、のだった。
「映画を撮ろう」。やりたかった事、想像したものは作ってしまおう。前述したようなクリエイターとしてのそれまでの努力や制作行脚の成功体験がそう思わせた。こんな時にクリエイターに何ができるのかという意地のような気持ちもあったと思う。すぐに着手し1作目となる映画「エンターテイナー」が完成。そして丸太小屋と納屋のレノベーションがついに始まったという分けだ。ここからの数年間のアクティビティが未来への礎になると信じ、寡黙に、また孤独に工事に没頭した。暗雲立ち込める時世、山村の過疎エリア、しんしんと繰り返される静寂の日々。この頃の心境を今でも忘れる事はない。
この敷地にはかつて1960年代まで栄えた劇場が在った。映画に芝居と、活気あふれる娯楽時間を提供していたのだ。現在このエリアは過疎が進み文化芸術は翳りの一途に。僕はミニシアターを再建しイベント開催など、少しでも賑やかさを取り戻したい、そう思っていた。建築の素養のあった僕は日々工事に没頭。作る楽しみはクリエイティブ制作と変わらない。工事の記録撮影をしていたが、気が付けば空いた時間は田舎町の取り組みなるものを2年半に渡り撮り続けていた。それが2作目の映画となるドキュメンタリー「想像と循環」という事だ。
「想像と循環」プロダクションノート
続きをお楽しみに!
納屋工事の様子
「想像と循環」プロダクションノート
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