見出し画像

可能性と限界

自分の可能性を信じろ、とよく耳にします。

自分で限界を決めるな、ともよく聞きます。

自分で自分を制限してしまうのは、もったいない、と感じる人は多いと思いますし、

私も、異論はありません。

ただ一つだけ、但し書きが付く、と思うのです。

但し書きは、そのままの自分に価値が有る、と感じていれば、という事です。


時期にバラツキは有りますが、幼児は概ね2〜5歳位の時期に「イヤイヤ期」とも言われる最初の反抗期を迎えます。

これは、問題行動などでは決して無く、順調な心理的成長の証しです。

その子は、肯定的に受け容れられる養育環境に恵まれ、心に【自分】が芽吹いたからこそ、

自分で何でもやってみたくなり、親が手伝おうとしても、嫌がったり、拒否したりします。

この頃は、肯定的に受け容れられた経験によって、その子は、幼児的万能感、と呼ばれる、何でも出来る、という感覚を持つに至ってます。

だから、親や周りの助けを嫌がったり、拒否したり、します。

その表現方法は、むずがったり、泣いたり、癇癪をおこして、激しく怒ったりします。

何でも出来る気がしているのです。

幼児的万能感を持つことは、この時期、必要ですが、

近所の友達と遊んだり、幼稚園や保育園で他の子供達と交流する中で、

自分が万能では無いことが、段々とわかって来ます。

自分より強い子もいれば、自分より気の利いた子もいれば、
足が速い子、可愛い見た目の子、

自分が一番では無い事を知る訳です。

幼児的万能感は自分の、天井知らずの可能性を疑うこと無く信じた状態、です。

そして、自分が一番では無い事実を突きつけられて、健康的な限界、を知るのです。

それは挫折の経験では有りますが、幼児的万能感を得る事とセットで必要な挫折なのです。

幼児的万能感は、生きる為の自信の芽吹きであり、
初めての挫折は、幼児的万能感からの脱皮です。
健康的な限界を知る事で、心理的に脱皮するのです。

この人生最初とも言える挫折を乗り越えるには、イヤイヤ期に入る前に、生育環境に、肯定的な受け容れがなくてはなりません。

肯定的に受け容れられる事で、心の中に、自分は存在するだけで価値が有る、という感覚が育っている事が必要です。

肯定的に受け容れられて、
自分には価値が有る、という感覚が育ちます。

自分には価値が有る、という感覚が、更に肯定的に受け容れられて、急成長し、幼児的万能感を得るに至ります。

やがて、挫折を味わっても、一番でなくても、万能でなくても、
自分は存在するだけで価値が有る、という感覚が有るからこそ、
健康的な限界を受け容れられます。


では、肯定的な環境に恵まれなかった人、つまり、否定的な親の下に育った子はどうか、というと、

自分の感情、存在を否定され、拒絶されながら育つのですから、
自分に価値を感じる事が出来ません。
そこにただ存在するだけで、申し訳無い様な、いたたまれない感覚を持ってしまいます。
自分を無価値だと思い込んでいます。

子供を否定的に扱う親は、親自身が、心を育てる事に失敗した人であり、
見た目は大人で、親、であっても、

心は幼い子供のまま、なのです。

幼い心は、待つ事、が出来ません。
我が子の心理的な成長を待てないし、興味が無いので、

自分の要求を子供に押し付ける事ばかりに集中します。

親自身が幼い心のままなので、幼児的万能感を脱皮出来ていません。

その為、我が子に天井知らずな要求を次から次に押し付けます。

飛び抜けて賢くあれ、とんでも無く強くあれ、誰よりも優しくあれ、と、

高き理想の最高の子供像を、まだ心の中に、自分には価値が有る、という感覚が芽吹いていない我が子に、お仕着せます。

その子は、満足に受け容れてもらえず、自分に価値を見出す事に失敗します。

自分に価値を感じられないので、幼児的万能感も得られません。

その子は只々不安です。

不安なまま、外の世界に触れ、自分よりも優れた子供達を目の当たりにします。

この場合、挫折という言葉では括る事が出来ません。

自分に、絶望、します。

自分には、少しの価値も無い、という思い込みは、益々強化されます。


自分に無限の可能性を感じる為に、幼児的万能感はあります。

幼児的万能感を得るには、親の肯定的な受け入れが必要です。

健康的な限界を知る為には、人生最初の挫折が必要です。

挫折を受け入れる為には、自分は存在するだけで価値が有る、という感覚が必要なのです。

その感覚を作るのも、親の肯定的な姿勢と、無条件の受け容れです。
親の心が未成熟だと、それが決定的に不足します。


可能性を追求する事、心のリミッターを解除する事は、大切でしょう。

しかし、未成熟な親の下に育った人は、

心に、自分、が芽吹く間も与えられず、親の高き理想の子供であれ、と求められた人です。

心に、自分、が芽吹き、幼児的万能感を経て、挫折を知り、それでも自分には価値が有る、と思えて初めて、可能性と健康的な限界の折り合いを付けることが出来るのです。

これは言わば、その子の心理的成長に応じた、発達課題、です。

発達課題のハードルにことごとく突っかかってしまった人が、

世に言う、リミッターを解除せよ、という言葉を鵜呑みにする事は、

準備が整わないまま、全力疾走する様なものです。

親がその子の人生の最初に、ただ存在するだけで価値が有る、という感覚を与える事が、

その子に、無限の可能性を追求する勇気を与えると同時に、
健康的な限界をも教える事になるのです。

その子は、何かに追われて、生き急ぐことも、
何かに抑えつけられて、必要以上に消極的になる事もありません。

何故なら、自分は存在するだけで価値が有る、と思えているから、です。

その、安心感、は、

人生を豊かにする、と思っています。


追われる様な焦燥感に苛まれる人、

自分には出来ないと感じてしまう人、は、

リミッターを外す事を目指す前に、

心に【自分】を育てる事が、

先決だと思っています。


読んで頂いてありがとうございます。
感謝致します。


伴走者ノゾム


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?