自分を責めてはいけない理由
宿題を忘れて先生から怒られる、
仕事でポカをして上司から叱られる、
待ち合わせに遅れて恋人を怒らせてしまう、
生きていると、責められる場面は沢山あります。
誰もが出来ることなら、責められる様な場面は当然避けたいものでしょう。
自分を責める相手が先生なら、上司なら、恋人であれば、
言い方は悪いかも知れませんが、嵐が過ぎ去るのをじっと待てば良い訳です。
過ぎ去らない嵐は無いのですから、自分に明らかに非が有るなら、大人しく待つしか無いでしょう。
しかし、自分を責める相手が自分だったらどうでしょうか。
心の中で、自分で自分の至らない部分を責める状態が延々と続いている人は沢山います。
責める人が他者であれば、嵐の終わりは、そんなに遠くは無いでしょうが、
心の中で、自分を責め苛む状態に終わりはありません。
「もういいじゃないか」と言ってくれる人も、逃げ場もありません。
自分で自分を責め苛む人は、自分を嫌っています。
自分を信用していません。
最初から疑ってかかっています。
その人が自分を責める様になったのには、訳があります。
本来は、守ってくれる筈の親が、子供を守れる程の心の成熟を遂げた人では無かったのです。
心が未熟な親は、守る事が出来ないばかりか、親自身の無価値感から目を逸らす為に、幼い我が子を利用します。
その親は、心が未熟なため、子供を励ましたり、思いやったり、尊重したりといった、あたたかさ、を子供に与えることが、一切出来ません。
その親自身が、あたたかさ、を与えられない環境に育った為、
あたたかさ、というものが、感覚として備わっていません。
あたたかさ、を知る親は、
我が子に愛しさを湛えた眼差しを落とします。
その子が、何を感じているのかを思いやります。
その子を、一人の人として尊重します。
幼い子供は、その、あたたかさ、に包まれることで初めて、自分はここに居てよい、という感覚を持ち、
自分には価値が有る、という感じ方が育ちます。
親が、あたたかさ、を知らないと、
我が子を見つめる眼差しは、監視の視線、です。
親自身が何を感じているのかを察する事を、幼い子供に求めます。
その子を尊重することは無く、自分の無価値感から目を逸らす道具として、所有、します。
未熟な親にとって、子供の自由な感情は邪魔なのです。
だから、監視して、親の意に沿わない感情を排除します。
子供が自分なりの感情を持つと、親の感情を優先しなくなるから、監視し、排除します。
排除する方法は、親子という圧倒的なパワーバランスの偏りを利用して、子供が言うに言えない、泣くに泣けない、はしゃぐにはしゃげない環境を作り上げます。
つまり抑えつけます。
或いは、子供の気持ちや行動を先回りして、自分の意に沿う様に仕向けます。
つまり騙します。
力で抑えつけるにしろ、知恵で騙すにしろ、
子供の感情は無視され、親の感情を押し付けられます。
そんな環境で育つうちに、子供は自分の感情を疑う様になります。
親が無視し、抑えつける、自分の感情は、とてつも無く、悪いもの、なのではないか、と思う様になります。
すると、そんな、悪いもの、を生み出す自分自身をも、信じる事が難しくなり、
自分のことが大嫌いになってしまいます。
何をするにも、感情は動きます。
感情が動く度にその子は、自分を責める様になってしまいます。
泣きたくなっても、泣きたい自分を責めます。
自分と自分の感情が嫌いだからです。
楽しいことがあっても、心底楽しむことが出来ません。
自分と自分の感情が信じられないからです。
他者から責められる局面は、遠くない将来終わりを迎えますが、
自分が自分を責めることに、終わりはありません。
生きづらい人は、自分を嫌ってしまった人、と言えます。
いつもいつも、感情が動く度に、自分を責めています。
時に激しく、時に密かに、責め続けているのです。
泣きたい時に心の奥から、泣くな、という声が聞こえます。
楽しい時、楽しむな、という声が聞こえて来ます。
その声は、自分の声に聞こえますが、
本当は、かつて抑え込み、騙した人の声です。
その声は、
楽しむな、楽しむことは怠けだ、と尻を叩きます。
その声は、
お前に出来る訳が無い、失敗したらどうするつもりだ、と脅します。
その声が不安を煽るのは、感情を捨てさせ、人形の様な自分、に仕立て上げる為です。
感情を持ったら、声、の言う事を聞かなくなるから、です。
嬉しい時も、悲しい時も、世界と自分の間に膜がはられた様に、実感が伴わないなら、
いわれの無い声に、責められ、抑えつけられているのかも知れません。
自分で自分を責めてしまっているうちは、
自分の人生を主役として歩む事は、ままなりません。
心の奥から響く声に、耳を澄ませてみて下さい。
そして、
自分が感じる様に感じ、
生きたい様に生きると、
声の主に、宣言して下さい。
人生は、自分のもの、なのです。
読んで頂いてありがとうございます。
感謝致します。
伴走者ノゾム