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準備が出来ていなくても家を出る「ACT」

書くことが決まらない

書くことが決められないまま、さっそく投稿を先延ばしにしていましたね。
日々思ったことや考えたことは山ほどあるのに、
自分の作ったこの枠組みに文章を落とし込もうと思うと、むずかしい。このnoteが、自分にとって大切な枠組みであるからこそかもしれない。。
そして、「こんなに意欲があるのに行動に移せない自分って一体??」と怪訝な気持ちになることもある。(あるよね?)


この記事を読むと…

  • 準備ができていなくてもOKだと言われます

  • 第三の認知行動療法「ACT」に少し興味が湧くかもしれません


アクセプタンス・コミットメント・セラピー(長いからACT)

詳細に説明しようとするとまた投稿を先延ばしにするので、概要は大胆に省くのですが、およそ「たたかわない」「抱えたまま達成する」といった考え方です。
不安な気持ちとたたかわない、いやな気分とたたかわない、具合の悪さとたたかわない。”嫌な感じ”があっても、それを受け入れるスペースをつくって、抱えたまま行動を達成する。きれいさっぱり無くそうとしない。追い出そうとしない。そんな感じです。
(本当は、複合的な要素からなる面白いアプローチなので、よければ調べてみてください。)

今のわたしなら、「やらなきゃ、やらねば、、とたたかわない」「完璧に書かなきゃ、、とたたかわない」「先延ばしにした”やっちゃった感”を解決せずに、やっちゃったな~と思いながらただPCを開く(YouTube視聴も可)」、そんな感じかと思います。

人間には波があるから「完璧な準備」なんて。

まじめな人ほど、「不安な気持ちがすっかりなくなってから学校へ行こう」「しっかり気持ちを整えて、化粧をしてから、口角上げて出社しよう」そんな風に考えやすいと思います。周囲に迷惑をかけてはいけないから、心配をかけてはいけないから、一般常識から外れてはいけないから、、、という理由がくっついていることも多いでしょう。(グリコのおまけのように。。)
でも、毎日違うものを食べて、違う勉強や仕事をして、違う気温や四季のなかで過ごすこの肉塊(人間)が、いつも同じ姿や心でいられる方が不思議ではないですか?

こんなに均一でない世界の中で、均等な「一本線」のように生きられる方が不思議ではないですか??しかも、街に出ればよく分からない人間が大勢目に入ってくる。それも全部まるっと「いつも同じでない世界」です。

(これは私の感覚からたどり着いた持論ですが、そもそも、人間は「鼓動」という波を起こす仕組みによって維持されているじゃないですか。昨日の自分や3秒前の自分と、今が少し違ったって、その波こそが自分なんだと思ったってよさそうじゃないですか。)

「きまり」はあくまで自分のもの

自分が楽になるための「きまり」「最低ライン」「ルーティン」をつくることは、ひとつのテクニックだと思います。自然なことでもあると思います。思考をせずにオートでできる行動は、それに任せた方が省エネです。人間、それができるようにできている部分もあります。一方で、その「きまり」が、何故かしんどい時があるのも人間です。そういう時は、「きまりを守れなかった自分の居られるスペースを心に作って」「守れなかったな。いや、こんな自分は、今日も実に人間らしい」といっそ(文豪風に)褒めたりしながら、家を出るのです。眉毛しか描いていなくたって、眠い顔のままだって、夕方になっちゃったって、別にいいのです。(と、私個人は思います。)
 あとは、定期的に、自分の作った「最低ライン(常識とか)」を見直してみるのもいいかもしれません。昔の自分にとって大事だったラインが、今の自分にとってはどうでもいいものになっている可能性もあります。誰かに言われたルールや常識についても同じです。

心の納得感と、行動の効果は別

臨床心理学を学ぶと、いろいろと療法や流派があることを知ります。例えば深層心理にフォーカスするもの、行動にフォーカスするもの。前者は主観的、後者は客観的と捉えることもできますから、対になるアプローチだとも言えるでしょう。本当にいろいろな研究と臨床が繰り返されていて、今も途上の学問だと思い知ります。(まあ人間が人間のことを完全にわかろうということがまず愚かですよね。)
そういう中で、私は現状「心の納得感」と「行動の効果」は両方とも必要なもので、両方とも大切にできるといいなと思っています。また、その比重・バランスはケースバイケースだとも思います。(万人に同じ理屈で向き合うことはできないはずなので)

ものは試し 

そういうわけで、心が納得いっていなくても、いったん「不安なまま出かけちゃう」「頭がクラクラするまま、椅子からゆっくり立ち上がってみる」そういう、「マジかよ?」と思えるような実践を積み重ねてみることで、「抱えたまま達成」の練習になり、自分を楽な方へ連れていけるかもしれないよ、という話をしてみました。ACTは一応、第三の認知行動療法などと呼ばれていて、私個人は興味深いと思っている療法です。そういうのもあるんだ~と思っておいてください。面白かったら、詳しいことは自分で調べてみてください。私も準備不足のまま記事を投稿し続けますので、何かのきっかけとして読むにとどめてください。本当に。

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