Nalakuvara(ならくーばら:ナタリス)

来し方を、想う。 行く末を、念う。

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いま、どうしていますか。元気ですか。

大学時代、とても多くの時間を共有する友人がいた。同じ学部で同じ講義を取り、一緒にお昼を食べ、空き時間には学食や近所の本屋で暇つぶしをした。ドライブもしたし、飲みにも行った。卒研で配属された研究室も同じだった。当時は携帯やメールというインフラの黎明期だったから、キャンパスで会う時間だけが繋がりのほぼ全てだった。 いわゆる恋人の関係だったことは、最後まで無い。当時はお互いにパートナーがいたから。セックスはおろか、キスもない。手を繋いだことは・・・どうだったかな。 ◇ お互い

    • 心に訴えたところで、私には無駄だよ。

      「ただ観客を泣かせれば良いのなら、簡単ですよ」 ある映画監督の放った言葉が、今でも印象に残っている。多くの人の感情を同時に同じ方向へ振ることは、ある種の技巧を用いれば容易いということだ。 そうした技巧を、仕事のミーティングにおける対わたし戦で使ってきた人がいる。論理性では自らの主張を通せず、私の首を縦に振らせることができないと踏んだのか、途中から感情に訴えかける手法に切り替えてきた。それまで暴力に近い追及をしてきた取調室の刑事が、急にカツ丼を注文したり母親の話を持ち出して

      • 引き取る息の、最後の深さ。

        父が逝った夏が、またひとつ去った。 齢60になるまで大きな病気も怪我もなく穏やかに生きてきた父は、いきなり弩級の病魔に襲われそのまま還らなかった。 それまでの父は、心も見た目も本当に若々しかった。髪が薄くなり、髭に白いものが混じりはしたけれど、何枚か残る50代の写真を見るにつけ、年齢相応には見えない。 その年代にさしかかった今の自分も、同世代の平均値よりはだいぶ若く見られるけれど、だからこそ父のように、老いることなくいきなり終わりが来るのかなと思うこともある。 父の終

        • 抜け落ちた時間と戯れる楽しさをくれた、私の病。

          全身麻酔から覚めた時の光景は、今でも覚えている。滲んだ景色と、おぼつかない手、回らない口の感覚を、鮮やかに記憶している。麻酔の眠りへ落ちる時も、同じく鮮明に。普段の眠りとは全く違う、時間の一片がごそっと抜け落ちたような、何枚か無くしてしまった紙芝居のような、タイムリープした感覚。落ちる時と覚めた時の景色が違ったことも、この感覚に拍車をかけたのだろう。 神経質で心配性な私にしては、不思議とあまり怖くなかった。先生から初めて手術の、しかも全身麻酔の必要性を耳にした時を恐怖のピー

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        いま、どうしていますか。元気ですか。

          体中の血が灰色になった日。

          「インフルエンザ脳症」の文字がTwitterのトレンドに出続けていて、何度も胸が締め付けられる。 娘が乳離れするかしないかの頃に初めてインフルエンザに罹患し、高熱の末に痙攣を起こした。1回の痙攣は1~2分で収まるものの、何度も繰り返す重積型。救急搬送し入院治療が必要な症状だった。その後も、高熱が続くと痙攣を起こしては救急搬送し入院する事態を1~2年ごとに繰り返し、私の中ではちょっとした発熱でも強い恐怖が芽生えるようになってしまった。 ある年にまた痙攣を起こして救急搬送を要

          体中の血が灰色になった日。

          劣等を認めた人間は、強いと思うよ。

          「20代も半ばを過ぎて、俺は何をやってるんだろう・・・」 南浦和行きの京浜東北線を待つプラットホームで、何度この言葉を漏らしたか知れない。背中越しに昇った朝日が自分の影を長く伸ばし、目の前のホームから奈落へ落としている。線路を2本越えた背向かいのホームが都心へ向かう通勤客で早くもいっぱいなのと対照的に、自分の横には誰も居ない。使いすぎてイガつく喉に、花冷えの寒さが刺さってくる。世間の年度は変わっても、その歯車とは全く噛み合わず空回る自分の毎日を、自分で選んだ道とは言え信じ切

          劣等を認めた人間は、強いと思うよ。

          相変わらず無力な中で、変わらず私ができることとしての、3回目接種。

          新型コロナウイルスワクチン(モデルナ)の、3回目の接種レポートです。1・2回目接種後の記事の続編にあたります。 武田/モデルナ社製ワクチンを接種した1・2回目から7ヶ月弱が経過した今回も、モデルナを接種しました。他社製のものと比較検討した上での判断というよりは、このタイミングで接種できるならどちらでも良い、というスタンスです。とにかく今は、「打てるものをいち早く」の状態だと思うので。 下図は、接種前後の体温変化を1・2回目時と重ねて示したものです。 まず明確な傾向は、有

          相変わらず無力な中で、変わらず私ができることとしての、3回目接種。

          髄まで刺さったこの棘は、いっそ抜かずに押し込んで。二度とおもてへ出てこぬよう。

          「着陸態勢に入ったから、一旦切りますね」 機内wifiからだった。そのメッセージへ「いつものところで待ってるね」と返した文字には送達マークがつかず、私からの返事を待たずに電波を切ったことへの一抹の寂しさが、迫る再会への期待と綯い交ぜになっている。 ◇ とある駅前の歓楽街。少しばかり酔った勢いに繰り出す馬鹿話で憂さを晴らしながら、夜風に頭を冷やして出張先のホテルへと戻るところだった。 そして次の事態は、あまりにも突然に、不意に起こった。 歩くその数メートル先で、初老の

          髄まで刺さったこの棘は、いっそ抜かずに押し込んで。二度とおもてへ出てこぬよう。

          生きることと、死なないことは、違う。

          (大切な人を亡くした昔話ですので、心を乱してしまったらごめんなさい) ◇ 今となっては昔のことだが、近しい大切な人が亡くなった時のことを、ふと思い出した。 大病を患い、数ヶ月の化学療法へ挑んだ果てに、力尽きたのだった。 ◇ 当時20代だった私は、家族のひとりとして主治医の先生の説明に必死で耳を傾け、当時の私なりの知力を総動員して、現状を理解し未来の可能性を想像しようとした。原発部は消化器系にあったが血液の病気へと転化したため、手術すれば治るものではなく、様々な化学療

          生きることと、死なないことは、違う。

          そのあとは、パンフレットでランチを。

          たまには、自分の好きなことについてひたすら話してみる。 ◇ 何が好きかって、映画のこと。 映画という娯楽様式そのものや、それを楽しむ映画館という環境が大好きだし、映画を観ている最中や観終わった後に喜怒哀楽を揺さぶられている自分の状態も、心地良くて病みつきになる。 そして、こういう私と同じくらいにその映画作品を観たいと思っている相手がいたとして、その人と観終えた後に交わす感想戦は最高の第2ラウンドでもある。 作品の好みにはかなり偏りがある。映画の楽しさを知るきっかけとな

          そのあとは、パンフレットでランチを。

          感情に抗わず、手を止めていっそ浸かった方がいい。

          私の仕事は「考えること」が価値の源泉なので、思考力の低下は価値の棄損に直結する。だから、感情の揺らぎはできる限り無くすべしと、以前は心に言い聞かせていた。自分の精神構造を、昔の耐震基準みたいにひたすら堅牢に設計していた。 しかしいつからか、その設計をやめた。特に、哀しみや怒りといったネガティブな感情の湧き上がりを、あまり抑えないようにした。もちろん、他人の目がない状況においてのみ。当然、それによって思考力は低下するのだけど、低下したまま踏ん張るのではなく、いっそ一旦手を止め

          感情に抗わず、手を止めていっそ浸かった方がいい。

          蝉は鳴き移り、私は毎日を嗜む。

          自宅のデスクでノートPCと外付けモニタを起動し、左斜め前にスマホ、右には氷水を入れた水筒。扇風機は風量2で首を振らせ、ブラウザでアメダスと雨雲レーダー、地震モニタ、そしてYoutubeを開き、新千歳空港のライブカメラ映像を垂れ流す。耳には、ノイズキャンセルイヤホン。カーテンは指一本分だけ開けておく。天気と日の傾きを知るために。 離発着が繰り返される映像を横目にしばらくPCを打鍵していると、インジケーターを青く光らせたスマホから、 「お昼ごはん、なにがいい?」 のメッセー

          蝉は鳴き移り、私は毎日を嗜む。

          何もできない無力感の中でおそらく唯一、自分にできることだと思ったから。

          新型コロナウイルスワクチン(モデルナ)接種レポートです。印象や感覚ではなく、できるだけ定量的であるよう努めました。そして得た私の結論は「報告されているデータや、最近の数字で実際に見えてきている効果を私も享受できると考えれば、今回接種して良かったし今後も積極的に打っていきたいと思った」です。 さて、ワクチン接種後の体調変化レポなんぞは掃いて捨てるほどネットに溢れかえっているし、あまりにも個人差が大きい中で私自身の1ケースが誰かの参考になるとは全く思っていません。従ってこれは私

          何もできない無力感の中でおそらく唯一、自分にできることだと思ったから。

          大丈夫だから、もう少し揺さぶって欲しい。

          穏やかではある。日々、ある程度は。 コロナ禍が本格化した1年前の今頃は、私自身が呼吸器疾患にかかったこともあり、感染防止に逆張りするような人間の行動に明らかな怒りを覚えたり、出張や飲み会はおろか外食自体を絶ってひたすら行動を律する状況に歯ぎしりする思いが絶えなかった。 しかし、コロナ禍で二度目の桜が咲いた頃からはそういえば、誰が会食したとかパーティーしたとか言う話を耳にしても、馬鹿は死んでも何とやらの諦めの境地に達したのか、特段の感情を抱かなくなった。言って聞くような人種

          大丈夫だから、もう少し揺さぶって欲しい。

          横顔は、はじめてだったかもしれない。

          「また、前後だね」 移動を終えた机に座って振り向きながら、秘め事を共有するかのような微笑みで小声をかけてきた。 学期ごとの席替えは、学級委員長の彼女と副委員長の私が作るくじ引きで行われていた。正月明けの冷たいからっ風が頬を打つ3学期。委員長と副委員長はまるで仕組んだかのように3学期連続で、前後に並ぶ配置になった。 「お前ら、デキてんだろ(笑)」 悪童どものヤジは想定内だ。痛くも痒くもない。だって、デキてないんだから。 ◇ (ルルルルル・・・)「・・・はい」 受話

          横顔は、はじめてだったかもしれない。

          「そういう時期なのかもね。人生の。」

          おひさしぶりです。 春の花粉や梅雨の湿気のような、全身に、世の中全体に、薄くくまなく、しかし確実に重苦しい膜のようなものが張り付いているこの数ヶ月ですが、元気でしたか? 私は、トータルな臨床所見的には、元気認定されるのでしょう。私を動かしている大小いろいろな歯車は、全体として仕事と生活を前に進めていてくれています。しかし何というか、歯車の全数が100としたら、そのうちひとつかふたつ、もしかすると5~6個かもしれない、少し錆び付いて、動きが悪くなっているものがあるような、そ

          「そういう時期なのかもね。人生の。」