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心に訴えたところで、私には無駄だよ。

「ただ観客を泣かせれば良いのなら、簡単ですよ」

ある映画監督の放った言葉が、今でも印象に残っている。多くの人の感情を同時に同じ方向へ振ることは、ある種の技巧を用いれば容易いということだ。

そうした技巧を、仕事のミーティングにおける対わたし戦で使ってきた人がいる。論理性では自らの主張を通せず、私の首を縦に振らせることができないと踏んだのか、途中から感情に訴えかける手法に切り替えてきた。それまで暴力に近い追及をしてきた取調室の刑事が、急にカツ丼を注文したり母親の話を持ち出して泣き落とそうとするように。

感情が揺れると、人の論理的思考力は低下する。相手はおそらくそれを狙って、私を崩そうとしたのだろう。彼は、今後十年以上におよぶ巨大なプロジェクトの旗振り役を私に任せようと目論んでいた。名誉な話に聞こえるかもしれないが、そのプロジェクトの意義自体に私が懐疑的だったことや、それを呑み込んで引き受けたとしても、経験と技能の不足から自分では役者不足だという確信があったからだ。従って私は、徹底した拒否の論陣を張ることになる。それに対して彼は、硬軟を絶妙に織り混ぜた色々なカードを切り、あからさまな飴もちらつかせて、私を懐柔しようとした。結果的には彼の目論見から逃げおおせたけれど、まあ色々なアプローチがあるものだと呆れもしたのだった。

感情の揺らぎによる思考力の低下は仕事の価値を棄損するから、その揺れがおさまるまで仕事から一旦離れて感情に身を委ねよう、という決意のような感情を吐露した拙稿「感情に抗わず、手を止めていっそ浸かった方がいい。」の、スピンオフのような話でもある。

子どもの頃はむしろ、親に心配されるほど無感情だった。喜怒哀楽の振幅がとても小さく、冠婚葬祭の場やドラマチックな映像作品などに色々と触れても、感情が揺れることはほとんどなかった。それが素質なのか成長過程で育まれたものなのかは分からないけど、親元を離れ、世間という猥雑なおもちゃ箱を自分で片付けねばならない年頃や環境になると、それまで無反応だった感情の回路は一変した。

通電することのなかった導線に初めて電子が流れ始めたとでも言うか、あるいは回路のどこかで短絡が生じたのか、良くは分からないけどとにかく、感情の振幅が急激に大きくなった。喜怒哀楽の種類によってその幅が異なる中で特に、怒の閾値がこんなにも低く短気なのかと思い知らされた。反対に、喜楽の感情は相変わらず凪いだまま。そこから数年が経ち、父との死別をもってようやくまともな悲哀を獲得し、その反動としての喜楽が芽生えて全てのピースが揃ったのは、30代が見えつつある頃だった。

さらにそこから20年近くが経ち、50代が目前となった今でも、喜怒哀楽のスペクトルは大して変わっていない。年相応の難儀を経験したことで悲哀はそれなりに育ち、喜楽を他者依存ではなく自己満足で得るようわきまえ、怒は条件の別なく強めだ。

だから、私を打ち負かそうと心に訴えたところで、私には無駄なのだ。少なくとも、喜楽や悲哀を狙っても効果はない。残るは、怒り。怒らせて思考力を鈍らせ、その隙に誤った判断を私から引き出すことが、あなたの望む結末を得る唯一のアプローチなのだ。よしんばそれが達せられたところで、組織ごと崩れて無くなるだろうけど。

「そもそもこのプロジェクト、やめませんか?」

私を懐柔しようと試みた相手が手持ちのカードを出し切り、閉塞感に満ち満ちるミーティングの終わり際で私が出した、最後の言葉だった。

今回の相手は幸いにも、怒りという私の隙を突くことなく「優しい」戦法で近づいて来たけれど、次に再び似た場面が訪れたら同じアプローチは取らないだろうし、私も同じ構えで防ぎきれる自信は無い。今までは自分が攻め手になることが多かったけれど、ここ数年はすっかり防御側。せっかく手に入れた、理想に近い自分の仕事環境を守るためにも、感情をデザインする術をもっと学ばねば。

今年度の仕事の山場をようやく越えて迎えた三連休の最終日、年度末に向けて明日からまた心新たに歩もうと決めた雨の午後、こんなことをぼんやりと考えていた。

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