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読書が趣味と言うには抵抗がある本好きが1000冊読破しました。

先日読書メーターで記録していた読書の記録が1000冊突破しました。

2020年2月までに1000冊を目標にしていたのですが、なんとか読むことができました。1月の時点で残り20数冊だったので、卑怯なんですが絵本や漫画エッセイ、青空文庫などで冊数を稼ぎました笑。どれもずっと読みたかった本ばかりだし、個人的には絵本も立派な読書だと思ってます。

目次
・本を1000冊読もうと思ったキッカケ
・1000冊読んだことによる変化、その変遷
 (1)~210冊目からのスタート
 (2)童話から小説へ、からの「そうだ、古典文学読もう!」
 (3)ビジネス書も読んでみよう
 (4)読書嗜好の変化
 (5)絵本の素晴らしさを改めて知る
・最後に

・本を1000冊読もうと思ったキッカケ

私は読書嫌いの方よりは本を読むけど、いわゆる本の虫というわけではなく、全く読まない月もあれば、10冊くらい読むこともあり、小説よりは漫画が好きな程度の読書好きです。

「読書を習慣化しよう」
「読書数は収入と比例する」

など色々言われていますが、そういうことを意識して読むようになったというよりは、読書メーターという読書記録サイトで自身の読書を記録するようになってから本を読むことが楽しくなり、300冊超えたあたりから「1000冊目指してみようかなあ」と思うようになったのがきっかけです。

また、同世代の方々に比べ自分の思考が幼いこと、語彙力が少ないこともコンプレックスだったので本を読めば少しはその差が縮まるかもしれないと思ったのもあります。

絵本も漫画エッセイも、再読本も1冊としてカウントするような比較的ゆる~い読書なので、本当の読書好きの人から見れば「こんなの読書じゃねえ…」と思われるかもしれません。

ちなみにマイルールとして、漫画はエッセイマンガのみとしてます。理由は漫画を入れてしまうと比較的簡単に1000冊突破してしまうからです。

漫画は購入時や借りる際の巻数被りを防ぐためにビブリアというアプリに記録してます。

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3年ちょっとですが、あと200冊くらいで1000冊突破しそうです。もうすでに読みたいのチェックしてるし、しかもジャンプとか読んでるから実際はもっと読んでると思います。


・1000冊読んだことによる変化、その変遷

本を読まない人のための読書術などは

「難しいジャンルは図などたくさん載っているものから読み、興味があればそこから深めていく」
「最初から最後まで全部読もうと思わない」

等結構ネットで調べると出てくるのでここでは省略します。私もこの読書術をほぼ網羅しました。
活字だってそれほど好きというわけでもないので。むしろ読まなくていいなら読みたくない笑

ここでは1000冊読むことによって思考や読書癖などどのように変化していったのかを書いていこうと思います。

あくまで私の体験談であって、「1000冊読めば同じように思考が変わる」というわけではありませんのであしからず。

⑴〜210冊目からのスタート

読書メーター前は手帳に読書記録をまとめてました。数えたら大体210冊ほど。もっと読んでるはずなのですが、記録がないのでカウントできず。この頃は活字嫌いではないけど長い本はまだ読めない感じ。童話や絵本、ライトノベルが多く、一番長いのが「バトル・ロワイアル」だったと思います。この小説を読んで主人公が聴いてたブルース・スプリングスティーン聴いてみたりしました。

この頃は村上春樹が読めませんでした。性の描写に抵抗がありすぎて。

初めて読んだのが『風の歌を聴け』だったのですが、この初読体験の所為で村上春樹は全く読んでませんでした。今考えるとかなり勿体無いんですが、村上春樹の他の本をその後読んでも同じ感想しか抱けなかっただろうと思います。

ハリーポッターも2巻で中断してます。これは当時本を買うお金がなかったからだと思います笑

この時は角野栄子やヘルマン・ヘッセなどが好きだったと記憶してます。ヘルマン・ヘッセは子供の頃、新潮文庫のラジオCMで聴いて読んでみたいと思ったのがキッカケだったと思います。あの新潮文庫のCM、大好きだったなあ。なんか冒険が始まるようでワクワクした。

のわりに内容よくわからなかったけど笑

でもヘッセはこの一文が未だに好きで、この一文だけで好きだったと言っても過言ではないし、読み続けることができました。

私は、自分の中からひとりで出てこようとしたところのものを生きてみようと欲したにすぎない。なぜそれがそんなに困難だったのか
『デミアン』 ヘッセ/高橋健二訳 新潮文庫

『デミアン』の冒頭に書かれた一文。

これを読んだ時、高校生だったのですが、当時学校生活に馴染めず、休み時間中寝るか、漫画やラノベばかり読んでた自分には何故かグッとくるものがあり、救いのように感じました。

まだ読んでない小説が何冊かありますし、エッセイなども多いので、ヘッセはいずれ制覇したいと思ってます。

(2)童話から小説へ、からの「そうだ、古典文学読もう!」

この後は岡田淳、佐藤多佳子や森絵都などの童話を読みました。あさのあつこの「バッテリー」シリーズや「精霊の守り人」シリーズ、海外では「バーティミアス」やジュール・ヴェルヌにもハマりました。

森絵都さんや佐藤多佳子さんは一般向けの小説なども書かれてるのでそこから一般向けの小説も読むようになります。

東野圭吾、奥田英朗、原りょう、村上龍、本多孝好、馳星周など様々な小説を読んだある日はた、とこう思いました。

「そうだ、古典文学を読んでみよう」

初めてまともに読んだ海外文学ヘルマン・ヘッセ、字が小さすぎて読むのに苦労したアガサ・クリスティ。色々読んではいたのですが、しばらくして最大の難関ともいうべき本に巡り会います。

チャールズ・ディケンズ『大いなる遺産』

これには苦い思い出があり、慣れない国が舞台のそのストーリーを頭に思い描くことの困難さ、それが430Pもあるという果てしなさに上巻を読むのに数ヶ月もかかり、面白かったにも関わらず、

「え、これ、また同じくらいのページ読むの?」

と途中で放棄してしまったことにより、海外古典文学恐怖症になってしまったのです。

冒険小説好きと岩波児童文庫レーベルから出ている、子供でも読めるという安心感からかヴェルヌは簡単に読めたのですが、他はどうしても拒絶反応が出てしまい読めませんでした。

でも日本の小説だけど長編もたくさん読んだし、文章を読むことにも慣れてきた今なら読むことが出来るかもしれない、と実家のホコリを被って誰も読まない本棚に置いてあった世界文学全集(新潮社 1969年)から何冊か読んでみることにしました。

『ジェーン・エア』『嵐が丘』『月と6ペンス』…最初に読んだものはどれだったか忘れてしまいましたが、やはり100年以上読み継がれた名作、どれも重厚感があり、作品へ読者を引っ張り込む吸引力が強い。登場人物たちが彼らの舞台で生き生きと動き回り、怒涛の運命に飲まれていく様は圧巻で、目が離せませんでした……

と言いたいところなのですが、疲れるよね~!

とにかく100年前の舞台、人物像を想像するということが難しい。

私は小説を読む際、読みながら登場人物の顔や舞台を映像にしながら見てしまうので、文章を読んでいるというよりは、文章を読みながら頭の中で映像を見ているような感じで見ています。(つ…伝わるでしょうか…)

映画やドラマでそれ系の舞台の作品を何作か見てたんで、一応それを元に想像してみるのですが、細かく描写されると止まる、でも一応想像してみる、映像しきれなかったら戻る、みたいなことを繰り返すので読むのも遅い。そして読むこと自体やめてしまう。

この繰り返しだったのですが、なんと言ったって1000冊読むのですから、こんなところで躓くわけにはいきません。何ヶ月かけても一冊読もう、と想像力を司る脳のどこぞをフル稼働して読み進めて行きました。

そのうち舞台も登場人物も定着し、想像することも慣れて来たが束の間、主人公たちの運命のように、密度の濃すぎる文章が私の脳に襲いかかります。頭の天辺から下まで謎の液体のようなものが濁濁と流れる感覚に陥ります。脳が汗をかくと言いますか、とにかくもう限界だ、無理だと悲鳴をあげるのです。でもここで止めたら負けてしまうという謎の使命感からえいや、と読み進めていきます。

ドストエフスキーの『罪と罰』を読んだ際は、のめり込みすぎて、これがラスコーリニコフの思考なのか、私の思考なのか訳がわからなくなるという体験をしたのはいい思い出です。

そうして言葉の迷宮をぼろぼろになりながらも突き進み、超えた先の達成感ときたら。さながら囚人が長い刑期を終え釈放され、久しぶりにシャバの空気を吸う。そう、あの感じです。(知らないけど…)

ここまで大げさに書きましたが、童話やら漫画ばかり読んでいた私にとって、海外古典文学は近所の山からそれなりに有名な山を登るくらい難易度が高かったのです。でも一度読んでしまえば、次はもっと早くなりますし、何より「俺、あれを読み切ったんだ!」という自信に繋がります。

おかげでその後あの『大いなる遺産』も読破しましたし、それより長い同じくディケンズの『デヴィッド・コパフィールド』も読破しました。今では好きな作家の一人です。

(3)ビジネス書も読んでみよう

それから小説だけではなく、ビジネス書にも手を出していきました。どうしてもビジネス書というとサラリーマンの人が読む難しそうな本という意識が強く、手を出せなかったのですが、読書メーターで当時皆さんが読んでいたため手に取ったこちらの本を読んで考えが変わりました。

出口治明『人生を面白くする本物の教養』幻冬舎新書

著者の出口さんは、この本で
「人が成長するためには本、人、旅、この3つが重要である」ということを一貫しておっしゃっています。この考えは私の人生に大きな影響を及ぼしました。(この本の影響で47都道府県制覇も現在敢行中です)

そして本もジャンルに囚われずあらゆる本を読むことにしたのです。手始めに読んだのがビジネス書でした。

新書だったら200P弱で読めますし、アマゾンプライムに登録していたので、プライムリーディングを利用でき、手に入りやすかったのも理由の1つです。

プライムリーディング(Prime Reading)書籍や雑誌、マンガが読み放題になるアマゾンのサービス。スマホに「Kindle」(キンドル)アプリをインストールするだけで、数百冊の本を無料で読むことが可能になります。】

そして何より読みやすく、新たな思考や読書術、習慣にすることの大切さや、睡眠の重要性など今まで知らなかったノウハウを知ることの喜びを知り、のめり込んでいきました。

この頃から自分のモノの考え方が変化してきました。それまではどちらかといえば感情的で、白黒ハッキリさせたい方だったのですが、多面的にモノを考えることができるようになりましたし、白と黒だけではないグレーも認めることができるようになってきました。

今まで見えなかった周りが見えるようになってきて、視野が広くなったと実感できましたし、何か考える際、深くまで掘り下げる作業が苦ではなくなり、理解の解像度が上がりました。(多分・・・)

何より「もっと知りたい」「もっといろいろな経験をしたい」という好奇心が増えたことが一番大きい。久しぶりにあった友達に「年々変わっていくよね、どんな体験をしてきたの?」と言われた時は本当に嬉しかったです。

(4)読書嗜好の変化

思考の変化を実感してからまもなく、職場の方から当時発売して間もない、村上春樹『騎士団長殺し』を借りる機会に恵まれました。もちろんベストセラーですし、読んでみたかったのと、昔抵抗があった村上春樹を今読んだらどう感じるのだろうという好奇心もありました。

読み進めてみてまず思ったのは読みやすい。当時なかなか読み進めることができなかったのが嘘のように読みやすい。

そして美しい日常の描写に淡々と進むけれどページを捲る手が止まらないストーリー。面白すぎて職場まで行く道のりを歩いて読んでたこともあります(危ないので真似しないでください)

何故当時の私は性描写に抵抗を感じるばかりに物語の核となるところを見ることすら避けてしまったのだろうと自分の感動の幅の狭さにがっかりした瞬間でもありましたし、変化した自分に感謝した瞬間でもありました。

もちろん人気があるので地元の図書館にあまり置いてないので気長に待ちながら制覇しようと思ってます。(何故か中巻とか下巻ばかり置いてある…)

(5)絵本の素晴らしさを改めて知る

そして最近絵本を乱読して改めて絵本って素晴らしいなと思いました。子どもに受ける、伝えるという難しいことを平然とやってのける絵本、そこに痺れる、憧れるわけです。

徹底的に無駄を排除した文章、視覚を刺激する色とりどりの可愛い、キラキラとしたイラスト、表情豊かなキャラクター、何よりあの短いページに纏める構成力、大人こそ絵本を読むべきなのではと思ったほどです、少し大げさですが。

もしこれから読書をしてみたいと思う方に「何から読めばいいですか」と質問されたら、確実に絵本や児童書、童話と答えると思います。わかりやすく、読みやすいですし、昔自分たちが子どもだった頃読んでもらった経験が誰しもあるはずなので、懐かしい気持ちにもなれます。そこに慣れたら次のステップに行けばいいと思うので。
一般の小説でも、童話作家だった方や、進行形で童話を書いてる方の作品は読みやすいのでおすすめです(何か上からになってしまってる気が・・・不快に思われたらすみません)

・最後に

「本との出会いは人との出会い」と同じだと言われています。絶対会えないであろう昔の偉人や、プロスポーツ選手、小説家、漫画家の作品を通し、その著者の推敲を重ねて厳選された思考やノウハウを知ることのできる最も簡単かつ偉大なツールだからです(・・・よね?)

大抵は何冊も読んで少しづつ浸透し、血肉になっていくのだと思いますが、たまに劇的に人生を変えてくれるような一冊に出会うことがあります。それは漫画の主人公のたった一つのセリフだったり、新書の一章だったり、習慣術の大きな太字でかかれたまとめ文かもしれません。

でもその本に出会い、頭をガツンと殴られるような衝撃を受け、思い込みという枷が外れ、何もないと思っていた霧の中に、著者の想いや導きにより知識が広がり、以前より大きな世界が見える。

その感動を一度体験したら、もう読書はやめられません。

何より読書したことによりもっと知りたいことが増えました。歴史の勉強もしたいし、新元号「令和」の典拠である万葉集も読んでみたい、苦手だった科学の勉強もしたいし、その前に積読本も読み切りたい…など読みたいものがたくさんあります。

自分用の読書録として書いたものなので、あまり気にせず書いたせいでだいぶ長文になってしまいましたが、これを読んで「読書してみようかなあ」と、一人にでも思っていただけたら、こんなに嬉しいことはありません。

最後に私の大好きな小説の冒頭の引用で締めさせていただきます。皆さんのこれからの読書がいい旅になりますように。


もしも船乗調子の船乗物語や、
 暴風雨や冒険、暑さ寒さが、
もしもスクーナー船や、島々や、
 置去り人や海賊や埋められた黄金や、
さてはまた昔の風のままに再び語られた
 あらゆる古いロマンスが、
私をかつて喜ばせたように、より賢い
 今日の少年たちを喜ばせることが出来るなら、
――それならよろしい、すぐ始め給え! もしそうでなく、
 もし勉強好きな青年たちが、
昔の嗜好を忘れてしまい、
 キングストンや、勇者バランタインや、
森と波とのクーパーを、もはや欲しないなら、
 それもまたよろしい! それなら私と私の海賊どもは、
それらの人や彼等の創造物の横る
 墳墓の中に仲間入りせんことを!

スティーブンソン/佐々木直次郎訳『宝島』 岩波文庫 1935年





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