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「マルトリートメント」に出会って「みかた」が変わった。①

僕の人生の"見方"が変わった本を紹介します。

福井大学の教授で小児精神科医の友田明美さんが著した『子どもの脳を傷つける親たち』です。

子どもの発達に関して著者自ら20年以上研究してきた結果をもとに、論理的に紹介してくれています。

簡潔に言うと、

・大人の不適切な行動によって、子どもの脳の形が変わってしまう

・正常な発達とは異なる変形を起こした脳は、生涯にわたって心身に影響をもたらす

といったことが書いてあります。

特に、「マルトリートメント(maltreatment)」という概念を強調していることで、僕がこれまで経験してきた出来事が論理的に解釈できるようになりました。


今回はその本の中身に触れながら話そうと思います。

僕の家庭は異常だった


…maltreatmentは、treatment(扱い)にmal(悪い・悪く)という接頭語がついたもので、日本語では「不適切な養育」と訳されています。
  これは虐待とほぼ同義ですが、子どものこころと身体の健全な成長・発達を阻む養育をすべて含んだ呼称です。子どもに対する大人の不適切なかかわり全般を意味する、より広大な概念と考えればよいでしょう。
  大人の側に加害の意図があるか否かにかかわらず、また、子どもに目立った傷や精神疾患が見られなくても、行為そのものが不適切であれば、それは「マルトリートメント」なのです。
  わたしは、この「マルトリートメント」という言葉が日本で広く認知されるようになってほしいと考えています。「虐待」という言葉では、偏ったイメージが先行し、「自分や家族の問題には当てはまらない」と、思われてしまいがちだからです。
(p.29)


たしかに僕は、親から(身体的な)暴力をふるわれたことがありません。

特に父に関しては、そういった行動をとらないように 感情を自らコントロールしてきたと聞かされてきました。


虐待に関するニュースを見ても、「うちの家族は、虐待とは無縁だ」という風に思い込んできました。

少なくとも、身体的な暴力だったり性的な虐待をしているところよりはずっと良い家庭環境だと個人的に思ってきました。


ただ、言葉の暴力は日常的にあって、毎晩宿題をやりながら 合理的な解決に向かわないけんかを見聞きしていて…、

というのが、脳の健全な成長を妨げる「マルトリートメント」に分類される と書いてあって、天地がひっくり返る感覚になりました。

  精神的なマルトリートメントの多くは、子どもに対して強い言葉を使って脅したり、否定的な態度を示したりするものです。それに加えて近年では、直接子どもに向けられた言葉ではなく、たとえば両親間のDVを目撃させるような行為(面前DV)も、子どものこころと脳の発達に悪影響があるとして、精神的なマルトリートメントであると認識されるようになりました。 (p.59)
  DVとは、…「ドメスティック・バイオレンス」、いわゆる家庭内暴力のことで、特に夫婦・恋人間の精神的・肉体的苦痛や暴力を指します。 (p.60)


特に父の行動というのは、正しいとは程遠いものだったんだと、この本を読んで初めて知りました。


それに、日々の世話はできているものの、自由にコミュニケーションができない環境自体、
「ネグレクト(育児放棄)」と呼ぶにふさわしい 精神的なマルトリートメントだったんだということも分かりました。


酔っぱらって疲れも記憶も飛ばしたい目的で、お酒を飲んでいた父。

僕や母の話を何時間も聞いてくれる姿ではありませんでした。

短くまとめて話した内容でさえ、次の朝にはその内容がすっぽり抜け落ちていたこともありました。


「放任主義」のもと、自由に行動していい余裕を与えてくれたのは良かったと思うのですが、

一方的で突き放すような言葉を吐いて会話を強制的に終わらせたり、
「お前も大人になったんだから勝手にしろ、もう関わってくるな」と言う父の姿勢は、
いずれも コミュニケーション不足によるネグレクトなんだなと理解することができました。


現代社会は、大人になったら自立した生活を自動的に手に入れられる単純な世界ではありません。

就活して入った会社で心身のダメージをもらって 収入が稼げなくなることもあります。

そういう時に精神面でも金銭面でも助けてくれるのが親の役目なはずなのに、
そういった責任を父は放棄してしまいました。


僕も父に会って話したいことが山ほどあるのですが、
言葉のキャッチボールが円滑にいかなかった経験と、
わが子との会話の内容すら覚えようとしない姿勢を思い出すと、
行動に移すのをやめようとする自分がいます。


父が僕に与えた精神的なダメージの大きさに触れると、いつもこうなってしまって悩んできました。


そういったモヤモヤも、次の文を見て きれいに吹き飛びました。


…いくら子どもにやさしい父親でも、子どもの気持ちを無視し、傷つけているのですから、決してよい父親などではありません。 (p.61)


気遣ってくれる時もあり、無視する時もあり、というのは不適切な接し方なんだと分かりました。


また、父と母のけんかは、僕がお腹にいた頃からあったようなのですが、


…子どもは、暴力や暴言の被害に直接あっていなくても、それを目の前で見せられ、聞かされている時点で被害者なのです。… (pp.60~61)


こうして、生まれる前からずっとマルトリートメントを受けてきた僕は、こんな大人になりました。

・コミュニケーションの場でおのずと不安や怖れが常につきまとい、過敏性腸症候群や吐き気として何度も現れてしまいました。

・「本音と建前」に近いニュアンスの「裏の顔」を持つ父を見て、人間の怖さを子どもの内に覚えてしまいました。

・やがて、人と関係を持つこと自体も嫌がるようになりました。

・異性と話していても 恋愛(→結婚→わが子との生活)への意欲が生まれず、"Aromantic(誰に対しても恋愛感情が湧かない)" と言えてしまうくらいです。



そして、「あざのような 形に残る暴力さえしなければいい」と考えてきた父のような人たちに、これを伝えたいと思います。


  確かに直接的な意味では、精神的なマルトリートメントで死に至ることもなければ、事件になることもほとんどないでしょう。やせ細った身体に、無数のあざといった、目に見えてわかる痛ましい姿はそこにはありません。しかし、「こころ」、すなわち「脳」には大きな傷が残ります。そしてその影響は、じわじわと子どもに現れてきます。あるいは忘れたころに突然出現し、後遺症として子どもを苦しめることになるのです。
  DVの目撃によって「舌状回」が萎縮するというのは、ほんの一例です。研究では、マルトリートメントの内容(種類)に応じて、脳の別の部位も変形することがわかっています。
  その結果、うつ状態になる、他人に対して強い攻撃性を示すようになる、感情を正常に表せなくなるといった症状が出てくる場合があります。拒食症、自傷行為などで身体を傷つける、薬に依存するなど、健康的な日常生活を送ることが困難になるケースも決して少なくないのが現状です。最悪の場合、犯罪や自殺に走る場合もあります。
  精神的なマルトリートメントは、決して軽微な虐待などではありません。目には見えないものの、真綿で首を締めるように、長い年月をかけてじわじわと被害者を苦しめる、非常に残虐な行為なのです。
(pp.64~65)
  子ども時代に愛され、褒められる経験が少なかった人たちは、自己肯定感や自立をつかさどる機能がうまくはたらかず、抑うつ状態になったり、自傷行為を繰り返すこともあります。
  こうした症状は、子どものころから断続的に現れるケースもありますが、つらい体験から時間が経過したあとで急に出現する場合も少なくありません。成人して仕事を始めたとき、あるいは家庭をもったときに発症すれば、自分だけでなく、周囲の人たちも苦しめることになります。これは、安心と安全が確保された場所で子ども時代を過ごしていた人ならば、決して味わうことのない苦痛です。
(p.12)


精神的なマルトリートメントを受けた記憶が、トラウマや悪夢となって 忘れたころにやってくる恐ろしさ、
人生を狂わせるほどの破壊力を、この機会にぜひ知ってください。

オーノ



参考文献

友田明美「子どもの脳を傷つける親たち」 NHK出版、2017年



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