見出し画像

「Aromantic」についてカミングアウトします。

新年を迎え おめでとう、と言うにふさわしいか悩む状況ではありますが、

今年もよろしく、と言うついでに伝えておきたいことが出てきたので投稿しました。



僕は、性的マイノリティーの 「Aromantic」 という、誰に対しても 恋愛感情が湧かない要素を持っている と公言することにしました。


画像1

これが、「Aromantic」 の旗です。
(虹色はLGBTの旗になります。)


読み方なんですが、「エイロマンティック」 「アロマンティック」 どちらでも通じます。
これらを略した言葉も色々あるんですが、基本はこの2種類です。



もう一度言いますが、

僕はこれまでの人生で、恋愛につながる感覚になったことがありません。



「Aromantic」 とは


「Aromantic」 という言葉や概念は、1か月前に知りました。


それが、"LGBT"に代表される 性的マイノリティーの要素に分類されること、

世界というスケールで見ても 日本国内でも、
その要素を持っていると言える人は、"LGBT"よりも少ないということも、色々調べて分かってきました。


間違えて覚えている人もたくさん居るようなので、まずは図を使って説明しようと思います。


恋愛感情というのは、ほとんどの人は異性に対してしか生まれないもの と認識しています。


また、"LGBT"に代表される 性的マイノリティーに属する人でもそうでなくても、異性という範囲を越えて恋愛感情を覚えた経験がある人もいるはずです。


しかし僕は、異性にも、そうでない人にも、恋愛感情が自然と湧きあがってきません。
これを、「Aromantic」 と言います (<図1>)。

画像2

<図1>


恋愛感情のことを、英語では "romantic (ロマンチック)" という単語で表現します。


すると、<図2>のように変換できるわけで、性的マイノリティーの人も含めて 大多数の人が "romantic"な感情を兼ね備えていると言うことができます。

画像3

<図2>


この "romantic" に、否定の意味が込められた "A" を先頭に付けて 「Aromantic」 と言うわけです。

(「symmetry (シンメトリー)」 を左右対称、
asymmetry (アシンメトリー)」 を左右"非"対称、というのと同じしくみです。)


画像4

<図3>


つまり 「Aromantic」 というのは、"romantic" の概念自体をきちんと体現できない、とも言い換えられるわけです。

すると、<図3>で示したように、大多数の人が属するグループから外れている、という構造ができてしまいます。



「Aromantic」 を知って初めて分かったこと


ここからは僕自身の経験をもとに説明していきます。


異性と2人きりになった場面は1年に数回という感じです。
学校、職場、誰かの家…。考えてみると結構経験しているんだなぁと思ったりしています。


でも、いずれの場合も、


その人と仕事をやり遂げる上であり得るシチュエーションだ、という風にしかとらえておらず、「これが恋愛や結婚につながっていくかもしれない」と思った場面はありませんでした。
(実際 そういう方向に発展すらもしなかったですし。)


それから、僕は学生時代から、雑談の輪に入るのが嫌でした。
でも、なんで嫌な気持ちになってしまうのかは、ずっと分からないままでした。


コミュニケーションに関わる発達障害があったにしても、「今日こそはその輪に入ろう」という積極的な気持ちは持っている人もいるので、それが原因とは言い切れない。


発達障害とは別の要素があって そういう気持ちになれない、となると……??


ほんの1か月前までは、その問いに対する答えが出てこないままずっと過ごしてきました。


雑談で最も嫌なテーマの一つが、恋愛話でした。


「あの人との相性良さげだから 付き合っちゃいなよ!」と言うのを最後に持ってくる、あれです。


何か自分から話をすると必ずそう言う流れに持っていかれて、ひたすら不機嫌になる予感がしたら、わざと何もしゃべらない態勢をとっていた時期もありました。


「Aromantic」 の存在が分かった今、あの時 無理して雑談の輪に入ろうとしなくて良かった、とつくづく思います。


雑談のせいでひたすら感情がかき乱されて、僕に対するいじめがもっとひどくなっていたかもしれないからです。

(そうなったら勉強もおろそかになって、もっと悲惨な人生になっていたと思います。)



勘違いされやすいこと


優しく接してくれる大人たちや親に対しても、我が子への"特別な思い"が込められていることに気付かなかった場面がたくさんあったようなんです。


わざと無視しているんじゃないか、とも感じるのは当たり前だと、僕も今になって思うのですが、


まず、その"特別な思い" というのが "愛情" なんだ、という意識のもと すぐに返事することができない、というのを知ってほしいです。


言葉そのものはテレビ番組などでたくさん見たり聞いたりして、頭には入っているのですが、

実生活でもらった愛情をどう返すべきなのか 頭の中で整理できないまま、自然なタイミングで返し損ねる。


という経験を子どもの頃からひたすら繰り返してきていました。


特に母なんかはつらい思いをしてきたんだろうなぁと思うようになりました。


毎日我が子にいっぱい愛情をあげているつもりなのに、
ちゃんと受け取ったよ、といった返事が返ってくるのはほとんど無かったはずだからです。


大人になっても、電話やメール・手紙で連絡してくれる母に、 「返事がそっけないよ」と言われることがよくありました。


自分としてはそういう返事にならないように頑張ってはみるんですが、


愛情あふれる言葉が思いついたとしても、それ相応の気持ちが、いつになっても生まれてきませんでした。


何も返事しないよりは…と行動してみるものの、どうしても 薄っぺらでぎこちない表現しか見せることができない。


という流れにいつもなってしまって、


「そっけない返事だ」 と言われる結果に落胆し、ひたすら自分を責めるばかりでした。


「なんでこうなるのか分からないんだけど、これが精一杯なんだ」 と悔しさを乗せて伝えたこともありました。


「Aromantic」 の存在を知って、心の奥底にあったわだかまりが溶けていく感じを覚えました。


愛情が足りないことで暴力につながる場合もある人間の性質を考えると、

どんな返事でも身体的な暴力に傾かなかった母の存在は奇跡的で、
感謝の言葉をたくさん並べるべき相手なんだなと、今になって心から感じることができています。


(ま、そういう気持ちを詰め込んだとしても、ぎこちない形で伝えることにはなるんだろうと思いますが。)



「Aromantic」 の僕だから伝えたい


ここまで長々と説明してきたわけですが、「Aromantic」の僕を さらに短い言葉で表すと、こんな感じになります。


恋にまつわる感情、愛がこもった表現が人並みに理解できない上に、表現することもできない僕。


もっと厳しく言うならば、


人間なら必ず持っているであろう恋愛感情が無い僕。でもあるわけです。


つまり、僕はロボットやAIの改良版だ。


正解です。

集団で仕事や生活をする際は、最低限必要な会話を交わしさえすれば、"PDCAサイクル"に従って良い成果が得られるように自ら考えて行動することができます。

(学生時代から勉強するのが好きで、学業の成績は良かったのですが、人間関係が特に苦手でした。)


その上で、皆さんに守ってほしいことがいくつかあります。


仕事上でも人間関係においても、立ち入って良い範囲をあらかじめ設定してほしいです。その約束は確実に守ります。


・握手とか、肩や背中を叩くとか、抱きしめるといった スキンシップは僕には必要ありません。

常に一定の距離を保って生活なり仕事なりさせてくれれば 信頼関係はできあがりです。

一か所に集まる飲み会のように、常に一定の距離を保てない環境では、僕だけ心身の調子が急速に悪くなってしまう経験を何度もしてきました。


それから、

・人間なら持っているであろう感情が部分的に抜け落ちているために、配慮に欠けた言動が目立つことをお許しください。

仕事上では、冷静で論理的で忖度なしに行動を選ぶ傾向が強いです。

生活面では、先ほど挙げた飲み会だったり、自分が得しない雑談の場は、避けないことには心身の健康が保てません。仕事ができなくなることもあり得ます。


そして、

恋だとか愛だとか、そういった感情は僕には必要ないですし、そういう表現をしないでほしいです。

言葉による 表面上のやり取りしかできないので、愛情を持ってこられても無駄で、お互いフラストレーションにしかならないことを覚えてください。



こんな風に、苦手なことがとにかく多い僕です。
それらを許してくれる人たちのもとで働き、生活することが僕にとって唯一の選択肢です。



おわりに -僕の今の思い-


僕は、大多数の人と同じようにできないものごとが小さい頃からたくさんありました。
大人になっても、そういったものごとが増える傾向に変わりありません。


自分がやりたいことをするには、大多数の人が選ぶ選択肢を否定しなければならず、
そのつど そうする理由を付けないと許してくれない状況です。

大人になると、医者など専門家のもとへ行き 根拠が伴った助言をもらわないと、僕を信頼して聞いてもらえないことも増えました。


これまでも、発達障害といった概念を使って今までの経験を伝えてきましたが、

それでもまだ不可解なことがらがたくさんありました。


今回 「Aromantic」 という概念に乗せて、そういった出来事に根拠が伴って、確固たる主張ができました。


自分の経験談だけで根拠が示せなかった内は、就活のエキスパートでもひたすら首をかしげて、

「仕事をするなら何かを我慢しないといけないよ」 といった表現ばかり聞いてきました。


我慢するというのは、僕にとっては自分の意志を殺すという感覚に近くて、精神的な疲ればかりひどくなり、

一般枠から障がい者枠といった具合に条件を変えても、うまくいかない思いを繰り返してきました。


今回 「Aromantic」 という性的マイノリティーの概念に出会って、

障がい者だけで解決できない問題なんだ ということに初めて気付きました。


noteでこうやって書いている最中も、今まで説明しきれなかった違和感がきれいに消化されていくのが分かるくらいだから、

「Aromantic」 の存在を隠す必要はないと決心しました。



この姿勢を貫ける今だからこそ、


飲み会や雑談の輪に入れない自分を、無条件で許せるようになりました。


愛情をみじんも感じないそっけない返事も個性なんだと、正当化して説明できるようになりました。


母が理解してくれたような行動に変化していると分かった時は、心から嬉しく思えました。


「Aromantic」 の概念にしたがって、職場や生活の場を求める考え方に変えることにしました。


人との接し方にこだわりを持つ理由がはっきり分かったので、無駄な緊張をせずに会話が始められる気になりました。



こんな僕を、どうぞよろしくお願いします。


コメントや質問を、 ぜひ待ってます。


オーノ

この記事が参加している募集

多様性を考える

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?