人生の意味
「人生に意味なんてありますか?」
人なら誰しも、こういった疑問に遭遇します。
ところが、大方の人はこの疑問に悩み、結論を見出せないでいます。
さて、あなたはどう思いますか?
普遍的な回答としては…
「人生に意味があると思えばあるし、意味がないと思えばない」
になります。
■様々な啓示
偉大な人や、その教え、童話などから、人生に関わる記述があります。
イエス・キリスト「汝の隣人を汝のように愛せよ」。
仏教「悟りを開き、仏陀(ブッダ)として生きることに意味がある」。
青い鳥「人は因果によって各自の目的を持って生まれ、その人生を遂行する」。
何か難しいことばかり言ってますね。でも、この中から共通点を見つけるとするなら…
この世界には、必ず何かしらの「理」(ことわり)がある
になろうかと思われます。つまり、人間もまた世界を構成する「理」の一部として、何らかの役割を持って生まれてきたことになります。
しかし、「理」という概念は、形而上的なものであるが故に…
物理的に「見たり」「聞いたり」「触ったり」出来ないものなので、たとえ私たち現代人の英知を結集したとしても、理解は出来ないでしょう。
■岡本太郎のスリルに満ちた人生
人間って、あたかも「自由」が与えられているように見えるんですけど、実は「右」か「左」か?の選択を迫られているだけなんだと思うんですよね。
もしくは、選択をせずに「後退」するとか「動かない」とか。
そんな中で、岡本太郎さんは、面白いことを言っていますね。
「選択に迷うな!が、もしも迷ったのなら、慣れ親しんだ安全な道よりも危険な道を選べ」
普通なら「アンタ頭おかしいんじゃないの?」って思うんですよ。
でも、よくよく考えてみると「危険な道」を選ぶってことは、その先には「悪い事が確実にある」可能性が高い訳じゃないですか。
泣いても笑っても危険が迫っている訳ですよ。
だったら…どうせ悪い事に遭遇するなら、腹を括らないといけません。
その腹をくくった時こそが、何となくですが「生きてる」って実感できるのかも知れませんよ。
■僕に踏まれた町と僕が踏まれた町/中島らも
このエッセイには、自殺した友人を交えたエピソードを書かれているんですけど、これがまた素晴らしいと思いました。
『こうして生きてきてみればわかるのだが、めったにはない、何十年に一回くらいしかないかもしれないが、「生きていてよかった」と思う夜がある。一度でもそういうことがあれば、その思いだけがあれば、あとはゴミクズみたいな日々であっても生きていける。だから「あいつも生きてりゃよかったのに」と思う。生きていて、バカをやって、アル中になって、醜く老いていって、それでも「まんざらでもない」瞬間に額(がく)に入れてときどき眺めたりして、そうやって生きていればよかったのに、と思う。あんまりあわてるから損をするんだ、わかったか、とそう思うのだ』
私の場合は、朝マックで「メガマフィン」のオレンジジュースとアップルパイのセットを頂ければ、それだけで「生きてる」って実感できます。
■ルパン三世
今や国民的アニメですけど、或る日、ルパンが相棒の次元大介に訊きます。
「なあ、次元。何でこんな仕事やっているんだ?」ってね。
するとこう答えるんですよ。「より美味い酒を飲みたい為って答えじゃダメなのか?」
だから、ルパンも「ダメなもんか、俺だって一緒さ。だけどふと思っちまったんだ…」
最後のルパンに注目なんですけど、私思ったんですよ。
天下の大泥棒でも不意に思ってしまうことがあるんだなって。
コレって「人生に意味があるのか?」と同じ属性だと思うんですよねえ。
■人生の意味について
きっと答えはあるのだと思います。
でも、その答えを知っているのは、この世界の「理」でしかありません。
しかし、私もいつかは年寄りの仲間入りになります。
棺桶に脚を突っ込むところまで来ます。
私だけではないのですよ。ここのお集まりの皆様も必ずそうなります。
そん時です。
死ぬ直前に…
「私も色々あった。振り返ってみればちっとも良くなかった。
…でもな。。。まんざら悪くもなかったんだよ、だからありがとよ」
その時こそが、答えなのでしょう。
私たちにとって、それが良い答えになることを願って。。。
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