ただの日記

久しぶりに日記でも、書いてみようと思う。
人生長いもんで、自分にとっての22年間は、苦いも甘いもすべて味わった感覚だ。なにかが大きく変わることはなく、いまも昔も、きっと自分は自分のままだった。

一日、一日が重たく、そして、ながく感じるときほど、あるくスピードはゆっくりになる。自分と向き合うこと、そして、じぶんとは何かをよく知ることこそ、大学にいく意義なのかなと少し思う。

なにか人生で決断しなければいけないとき、ひとはよく悩む。
「こっちに行った方がいいんじゃないか?」
「いや、でもこっちの方がいいかもしれない」
「こっちはどうだろうか?」って、同じところを行ったりきたりする。

悩んでも結局はわからない。
むしろ、やってみないと分からないことの方が多いと思う。でも、その選択に納得できてるかどうかが、とても重要な要素になってくると思ってる。

みんな無責任だから、こっちが正解だとか、お前はこうすべきだって、あたかも自分をすべて知ってるかのように、言ってくることも多いけど、そもそも、他人は他人だし、自分と他人の境界線をひくことで、しっかりと切り離してみることができる。ひとって、みんな違った世界で生きてるから、みるものも感じることも、人それぞれ違うんよね。だから、ときおり人は、ひとに気づきをあたえる。大事にしたいひとがいるなら、その人から授かったものは大切にするべきだったなと、よくおもう。

就活をやってみて、内定をもらったとき、ずっとモヤモヤしていたのは、納得感のある「選択」がみつかっていなかったからなんだろうなとおもう。そもそも、納得できる人生なんてあるのかな。

なんだかんだ「いやだ、つらい、逃げたい」って言ってても、その仕事をやり続けることができる人は本当にすごいなと思う。人によっては、逃げ出してしまうときもあるだろう。でも、それぞれの結果が違うのは、"しんどさ"の度合いが異なるからで、「べつに好きではないけど、やりたくなくもないんだよな」って思えるものがあることで、長期的に"つづける"ってことをつづけていきやすくなる。

どんなに悩んでも、その選択の向こう側にいる自分が、ニコニコと笑っているなら、そっちに歩み寄ってみるのもいい。

自分は、わたしは、どこへ向かっているのだろうか。誰も知らない。だれも分からない。けど、きっと、今やってる、つづけていることの延長線上に、自分のなるべき姿は待っているんだと思う。つづけられることをつづけていく。そして、それすらも仕事にしてしまえばいい。

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