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【映画感想文】小学生は『君たちはどう生きるか』をどう見たのか

 最近、小学生に本の楽しさを教える活動をしている。学童保育みたいなやつで、放課後、集まった子どもたちにオススメの本を紹介しているのだ。一応、読書会と呼んでいる。

 その中で先日、『霧のむこうのふしぎな町』を扱った。

 宮崎駿監督が『千と千尋の神隠し』を制作したとき、参考にした小説と説明したところ、子どもたちのテンションが上がりまくった。聞けば、みんな、『千と千尋の神隠し』が大好きらしい。

 意外だった。というのも、『千と千尋の神隠し』はこの子たちが生まれる前の映画だし、内容的にも難しいし、ギャアギャア興奮するほどハマっているだなんて信じられなかった。

「え。みんな、見ているの?」

「見てるよ! 何回も見てる」

「けっこう難しい話じゃなかった?」

「そんなことないよ」

「じゃあ、カオナシってなんだかわかった?」

「かわいそうな神様」

 なるほど、端的にして的確。素晴らし過ぎた。

 それから、各々、わたしに向かって、『千と千尋の神隠し』の好きなシーンを一生懸命語ってきた。聖徳太子の気分だった。正直、一人一人の言葉はまったく頭に入ってこなかった。でも、全員の熱量がハンパないことだけは伝わってきた。

 そのとき、ひとつの疑問が生じた。『君たちはどう生きるか』をこの子たちはどう見たのだろう。

「ねえ、宮崎駿監督の最新作『君たちはどう生きるか』はもう見た? 」

 だいたい、半分ぐらいが手を上げた。その子たちに感想を聞かせてと頼んでみた。

 そこからの熱狂は『千と千尋の神隠し』の比較にならなかった。

 お母さんが子どもになってた!

 鳥の中からおじさんが出てきた!

 とにかく綺麗だった!

 おばあちゃんたちが可愛い!

 めっちゃカラフルだった!

 などなど。

 全員、瞳をキラキラさせて、印象的だったシーンをマシンガンみたいに次から次へと放射してきた。

 そこに論理はなかった。代わりに原始的な感動が満ち満ちていた。

 一般的に、『君たちはどう生きるか』は難解な作品とされている。わたしのまわりの映画が好きな大人たちも、ネット上にあふれる感想も、ひたすらに賛否両論。よくわからないからつまらないという意見もあれば、宮﨑駿監督のすべてが詰まった象徴的な作品であると褒め称える声もある。

 いずれにせよ、大人は知性をフルに使って『君たちはどう生きるか』を見ていた。かく言うわたしも宮崎駿監督に関する情報を踏まえて楽しんだ。

 ところが、子どもたちは純粋に映画として『君たちはどう生きるか』を楽しんでいた。そんな気はしていたけれど、実際、その光景を目の当たりにしてショックだった。大いに反省させられた。いつから、わたは映画を論理で見るようになっていたのだろう、と。

 このセリフがどういう意味を持っているとか、この映像はなにを象徴しているとか、監督の経歴から作りたいものはなんであるとか、気づけば、そういう論理で映画を語ってばかりいた。

 映画を見るとき、ちゃんと映画を見ていなかったんじゃないかと怖くなってきた。例えば、noteで感想を書くことを前提に、映画を見ていなかっただろうか? そのとき、わたしの関心は記事にできそうなポイントを探すことに向かっていたかもしれない。

 いや、もっともっと、ぶっちゃけよう。こんな感想を持てるなんて凄いと思ってもらうためにこそ、映画を見ている部分があるんじゃないか? どういう映画を見たかは自分の趣味のよさを担保するためのコレクションになっていないか?

 たしかに、わたしも子どもの頃は映画を映画として見ていた。『バック・トゥ・ザ・フューチャー』も、『ジュラシック・パーク』も、『ハリー・ポッター』も、『チャーリーとチョコレート工場』も、外側の知識なんかゼロでも、好きだし、面白かったし、最高にワクワクした。覚えているシーンもいっぱいあって、親や友だちに脈略なく並べたて、セリフと動きを一人で再現したりしていた。

 いつから、映画を映画として、そのまんまで楽しめなくなったのだろう……。そんな自己嫌悪に襲われるほど、子どもたちの『君たちはどう生きるか』を見つめる視線は純粋だった。

 大人になってしまったわたしたちは『君たちはどう生きるか』を百パーセント楽しむことができないのかもしれない。少なくとも、わたしはそうだ。なんだか切ないことである。だが、同時に、子どもたちの可能性を強く感じる希望でもある。

 改めて、『君たちはどう生きるか』は次世代を作る子どもたちに向け、作るれたのだと確信できた。竹原ピストルの歌のように、「よーそこの若いの 俺の言うこと聞いてくれよ」と若者を集め、「俺を含め、誰の言うことも聞くなよ」と矛盾したメッセージを残すあたり、宮崎駿は本気である。

 というわけで、わたしは子どもたちに自分の『君たちはどう生きるか』論を披露することなく、一時間ほど、彼らが全身で表現する感想に耳を傾け続けた。

 結果、その日の読書会は1ページも本を読むことができなかった。依頼主からは映画の会じゃないんだからと注意されてしまった。

 反省。反省。




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