見出し画像

至聖の人生とその教え。本「ミラレパ―チベットの偉大なヨギー」★3,5

ミラレパの伝記。
「チベットタントラ密教の法統に燦然と輝く詩聖がたどった魂の軌跡」

1980年 訳編 おおえまさのり 装幀 横尾忠則

第一の巻 無明の道
 第一章 家系と誕生
 第二章 惨苦
 第三章 黒魔術の修行
第二の巻 光明の道
 第四章 聖なるダルマの希求
 第五章 試練と苦行
 第六章 奥義秘伝
 第七章 グルの導き
 第八章 グルからの出離
 第九章 放棄
 第十章 静寂の地での瞑想
 第十一章 修行の地と有情の済度
 第十二章 ニルヴァーナ

ブッダは捜して見出されるはずがない。
それ故、己が自身の心を熟視せよ。


とりあえず、残念ながらあまりピンと来ず…。理解に至らず…。けっこうな長さだったので、時間かかったな。でも、いろいろと気になる、興味深い箇所もあって、その辺を知れたのは良かった。

「チベット死者の書」がいかに死ぬかの術を教え、そして死を通して人間存在の究極の目標を明らかにしようとするものであったのに対して、このチベットシリーズ第二冊目の「ミラレパの伝記」は、わたしたちにいかに生きるかの術を、この条件づけられた生死する一時的な存在から、まったき自由と解放の、人間の究極の目標へと導く生の術を指し示すものである。

ミラレパって、日本でいう空海さん的な感じなのかな~て思ったけど、1052年~1135年(諸説あり)だから、親鸞あたりが近いのか。なんか同時発生的に世界各地で偉人が出現するていう話を思い出した。そんな感じ?

ちなみに、チベットの有名な聖人? ↓

神のグル・天のブッダ、ドルジェ・チャン
人間最初のグル、ティロパ。(988~1069)
二番目のグル、ナロパ。()
マロパ。(1012~?、ナロパの弟子。ミラレパの師)
ヨギー・ミラレパ。(1052年~1135年)
ガムポパ。(1079~1153、ミラレパの弟子)

これが、秘儀!? ↓

一切の世俗の追及は、悲哀という唯一の避け難い必然の結末を待っているものである。積めば尽き、作れば破れ、会えば別れ、生れれば死に至る。このことを知って、人は最初から、積んだり作ったり会ったりすることを放棄して、すぐれたグル(導きの師)の命令に従って、生も死もない、真理を成就することに取りかかるべきである。それが真の、最勝の秘儀である。

分かるような気もするけど…分からない。

「グル」のところが引っかかるが、
とにかくチベットでは「グル」の存在は大きいらしい。
そんなに信用できるんだろうか。

目覚めへの道とは、他ならぬこの混乱の源であるわたしの真でない心(自我あるいはつくられた意識)のつくり出したマーヤ(掩蔽えんぺい
)を吹き払って、真の実在を見出してゆく作業に他ならない。

心の空性の中にこそ、人間存在の唯一の源を見ることができるように思われる。
心の空性を実現するとき、世界は私たちの前に真の実在の姿を、「在るところのもの」の本性を顕わにするであろう。この「輝ける空(クリヤーライト)たること」、即ち「在るところのもの(タタター)」への目覚めとその実現が、ブッダフッド(目覚めたるもののこと)の成就である。
私たちは内に目覚めたるものたることの根源的豊かさ、即ちブッダフッドを等しく持っている。ただその豊かさに、自我というマーヤ(幻影)の鎧をかけてしまっているにすぎない。

とにかく、分かりそうで分からない笑
実際、具体的にどうしろと。
ひたすら瞑想?

あと興味ひかれた、「自殺」について。↓

わたしたちの秘密教理、即ち祝福された勝利者の戒告の真髄と究極的趣意は、わたしたちの諸々の身体的要素と機能のすべては神であると言明されている。もしわたしたちが定命の時を待たずに、この生涯を閉じようとするなら、わたしたちはわたしたちのうちに内在する神を殺すという罪を負うことになり、同じく当然の報いを受けなければならない。自殺よりも大きい罪はないのだ。
スートラ(経典)の中にもまた、自殺は最も憎むべき罪として述べられている。

やはり、自殺はダメよ、か。
自殺したほうが、手っ取り早い気もするが。
きびしー。

結局、どう生きろと?
現代的に言うと?
わからーmm。

ということで、よくわかりませんEND.


★\(^^)/☆

この記事が参加している募集

読書感想文

Jah よ! へるぷみ~ (T人T) ナムナム アーメン タスケテ・・ ☆彡(-人- ) 星に願いを・・・ らぶみーてんだー ♡♡♡ <3