「迷惑」とか言うなよ | お互い様論
前回の記事を書いてから、そのままの日数を寝たきりで過ごしました。僕です。今もほぼ寝ぼけ眼でMacBookに向かう午前9時。やっとこさ昨日、外出できたのでハッピーハッピーハッピー♪な気持ちと少しのエモ心で書き出している。
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今回のトップ画の写真は最近仲良くさせてもらってるゲイ・コミュニティ運営をしている友達たち3人の後ろ姿。夜でISO感度低めなフィルムを使ったので、完全な失敗写真なのだが、なぜか僕は好きだ。
去年の秋に代表の子から声を掛けてもらってコミュニティに参加したり、運営のお手伝い(余計な口出し)をしているという仲である。
先日もメンバーでもないのに誕生日会を開いてもらい、その後に大人の修学旅行(健全)へ…。祝ってもらうのは僕の方かもしれないが、相変わらず祝われるのが苦手なので、僕のほうが手紙をひとりずつに書いたり、プレゼントのお返しを事前に用意したりと何だかとてもギブ・アンド・テイクな夜だった。
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いま僕がこんな時間に文章を書けているのも両親が必死に代わりに働いてくれていて、福祉が受けられていて、それに甘んじていられるのは事実だ。それなりに重い精神疾患でほぼ寝たきり生活でも、それなりに幸せである。
自宅警備もやるし、掃除もするし、生活用品の在庫管理も、お得な買い物も僕にお任せあれ。共依存なのかもしれないけど、まあもうええわ。今はそれなりに楽しく暮らせている。
「自分に余裕がないと人には優しく出来ない」
それは僕自身、とても良く分かっているし、本当にそうな気もしている。だが、この現代を生きている人間の中で自分に余裕があると言い切れる人間は居るのだろうか。皆それぞれに必死に日々を生き抜いているんじゃないだろうか。
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先日、それ程遠くないおじさんが亡くなった。僕はその場には呼ばれなかったのだが、後から聞けばおばさんが酷く取り乱していたらしい。
それから数ヶ月経って、最近祖母(おばさんとは姉妹の関係)とよく会う。別に約束を取り交わした訳でもなく、気付けば僕と同じ生活導線の電車に乗っている。生活の足がないので、僕と同じ電車に乗ることになる。
昨日は傷心のおばさんを連れて、はるばる遠くまで小旅行へ行くそうだった。それを見て、時々泣き言を零すおばさんに僕も相応しい言葉を探して声を掛ける。僕はこういう時に何故かそれっぽい自然と言葉が出てきてしまう。祖母からは本当にそういう人間としての生き方を教えてもらえた。
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現代社会(主語でかすぎる気もする)に自分に余裕がめちゃくちゃある訳ではない人たちがそれぞれ助け合っている姿に僕はいちばんの幸せを感じる。
先ほどのゲイ・コミュニティ運営をしているメンバー3人も毎日を必死に生き抜いている上で、自分と同じマイノリティのことを本当にずーーーっと考えて、あれこれ模索しているし、そういう姿に自分も刺激を受け続けている。
僕は本当に自分自身のことですぐいっぱいいっぱいになっちゃうから、他人のことなんて構う必要なんてない!といえばないんだけど、なんていうか僕はそういう風に生きていきたいから、こういう人生で良かったと思えたそんな1日だった(まだ9時だけど)。
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