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「春をひさぐ女達と柳ヶ瀬裏通り」

「僕の昭和スケッチ」イラストエッセイ143枚目

<「裏街の女達」© 2022 もりおゆう 水彩/ガッシュ>


ネオン瞬く街の外れに軒を連ねる見窄らしい飲み屋街。
その街角に立つ春をひさぐ女達。
日本全国、何処にでもあった裏町の風景だ。

何度もこのnoteで描いたが、僕は岐阜は柳ヶ瀬という歓楽街で育った。美川憲一の柳ヶ瀬ブルースで全国的に有名になった街だ。昼間、僕らの遊んだ大きな公園は、その柳ヶ瀬と市電一本を挟んだ通り向こうにあり、夜ともなれば、そこは彼女達の商売圏でもあった。

彼女達は江戸時代でいえば、筵(むしろ)を抱えた夜鷹だ。屋根の下で男と睦み合う商売女達のそのさらに下流にいた。彼女達は昼間から真っ赤なワンピースを着て、僕らが公園でソフトボールをするのを見ていた。
昨夜は遅かったのか・・・だらしなく大欠伸をしながら・・・
時には僕らの珍プレーを指差して笑い転げながら・・・
彼女達は僕らの数少ない観客だった。
あまり上品な客とは言えなかったが・・・

「パン助」と呼ばれ蔑まれた彼女たちの徘徊する辺りには、暗渠に流れ込むドブ川が流れていた。そこで、吸殻を拾って吸っている者もいた。彼女たちの現実は僕ら子供の目にも厳しく、惨たらしいものだった。僕は、それを横目で見ながら育った。

だが、彼女たちだって毎晩泣き暮らして訳ではない。
いい夜だってあるのだ。
社会の底辺で生きているが、意地もあれば、度胸を見せる事もある。
ヤクザ者に殴られて顔を腫らしながら、それでも向かっていく女もいた。

「バカヤローッ!」
と。

舐めちゃあいけない。


遠い昔、柳ヶ瀬の裏通りで彼女達はこうして男を引いて立っていた。


*変な言い方かもしれないが、柳ヶ瀬は実に柳ヶ瀬ブルースな街だった.
この絵を描いている時に、僕の脳裏にずっと美川憲一の柳ヶ瀬ブルースが鳴っていた. 柳ヶ瀬ブルースは本当に柳ヶ瀬の街にピタリと符合する歌だった. あれは彼女達の為にこそあった歌だ.

<©2022もりおゆう この絵と文は著作権によって守られています>
(©2022 Yu Morio This picture and text are protected by copyright.)

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