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感想 サピエンス全史下  ユヴァル・ノア・ハラリ人類史を描いた本書の最後のしめくくりに驚いた。その未来は見たくないと思った。



上巻で語られている内容の中核は世界は統一に向かっているという話しだった。

貨幣や帝国などが、その役割を果たしていたのだが、次に宗教の役割が出てくる。
アニミズムなどの多神教を信じていた人類が、キリスト教などの一神教を信じることで統一されていったというのだ。

「貨幣」や「帝国」と並び、「宗教」もまた、社会秩序を生み出す要素であり、混ざり合いながら「統一」に向かってきたものでもある。

 多くの宗教は、「一神教」に飲み込まれてきた。

その宗教が、次なる自由主義の根幹となってくる。

「自由主義」は、「各個人には自由で永遠の魂があるとするキリスト教の伝統的な信念の直接の遺産」だ。


科学革命が起こる。
これは人類史に劇的な変化を起こした。

イギリスの獅子王が、腕を怪我した。当時は医療が未熟で切断しかなかった。それでイギリスの英雄は死んだ。
中世における死は避けようのないものだった。
しかし、科学の発明で認識が変化した。

死は、技術上の問題でクリアーできるという考えに変化した。

貧困の問題は、中世は宗教が救済する問題だった。
しかし、現在は科学技術によってクリアーできる問題となった。
政府が作るセイフティネットなんかもあり、餓死で死ぬ人はほとんどいなくなった。

「科学革命」が爆発的な成果をあげたのは、それが「帝国主義」や「資本主義」というイデオロギーと結託したからだとハラリは主張する。

アメリカ大陸をコロンブスが発見した時、彼らはそこをインドだと思っていた。
だが、そこが聖書にも西洋の歴史書にも記載されていない未知の大陸だと知った。
この瞬間、彼らは自分たちが「無知」であると自覚した。だから、もっと新しい知識を獲得しなければと思った。大航海時代の始まりである。それは科学技術の飛躍の始まりと時期を同じくしている。


「科学」を支えたのは「帝国」だけではない。それに加えて、「資本主義」という重要なイデオロギーが生まれ、これがなければ科学も帝国も、ここまで隆盛することはなかっただろうとハラリは述べる。


アダム・スミスの登場は意味がある。
彼は強欲を善であると言った。
自分にとっての利益は相手にとっての利益でもあるということです。

中世の考えでは、誰かが利益を得れば、誰かか損をすると思われていた。
アダム・スミスたちの資本主義の考え方によると、そうではない。
パイを大きくすることは、みんなに利益があるとの考え方だ。

儲けた金を再投資する。パイが拡大する。
中世では、金は蓄積するという発想しかなかった。

「資本主義」のイデオロギー以前は、世の中の富の総量は限られたものと考えられていた。「自分が多く儲ければ、そのぶんだけ他の人の儲けが少なくなる」


だが、資本主義の初期は倫理的に問題があつた。奴隷の売買など。
この時代から、金持ちは王に出資するよりも、商人、株式会社に出資するほうが儲かると気づきだす。

「科学」が「帝国主義」と結びついたのと同じく、「科学」と「資本主義」も、結託しながら、爆発的なスピードで発展していった。


ハラリは、「産業革命は、何よりもまず、第二次農業革命だったのだ」とも述べている。

狩猟時代より農業時代に変化し、人々の生活は苦しくなったと上巻にあったが
産業革命により、労働者はそれと同じことになったのでした。低賃金の長時間労働、搾取。

資本主義は膨大な供給を生み出したが、やがて供給が需要を追い越し始め、「いったい誰がこれほど多くのものを買うのか?」という新しい問題が生じるようになった。


現在のアメリカは、全体の2%程度しか農業従事者はいないが、科学技術の発展により、自国の分のみならず輸出までしている。

「資本主義」の存続のために「消費主義」が必要になった。大衆はかつての貴族階級のように散財をすることが求められている。



産業革命以前の「家族」は、「福祉制度であり、医療制度であり、教育制度であり、建設業界であり、労働組合であり、年金基金であり、保険会社であり、ラジオ・テレビ・新聞であり、銀行であり、警察でさえあった」とハラリは言う。


しかし、貴族や王がいなくなり、集団で農業をしたり、家族で工房を営むことはなくなっていった。
産業革命はそれらの役割を「国家と市場」の手に移した。これは歴史的な大変革だった。

ここで人は「個」となった。

今やほとんどの国が、一国だけでは経済が立ち行かず、国際関係が緊密になった結果として、国家の独立性が弱まったのだ。


世界の統一性はどんどん進んでいる。

技術は飛躍的に進歩し、個人も自由になった。物質的な豊かさも享受できている。
さて、我々は幸せなのだろうか?。

ハラリは、幸福はセロトニンの量が決めると言っている。

つまり、ラリってると幸せということだろうか。薬を使いセロトニンの量を増やせば快楽が得られ幸せなのだろうか?。

ハラリは言う「幸せは、身の内より発する」

中世の泥壁の家に住んでいた家族と
都会の高級マンションに住んでいる家族
果たしてどっちが幸せだろうか?

子育ては重労働である。
しかし、人は子供を欲する。子育ては幸福であると言う。
快の時間は短く、圧倒的に長い不快の時間が続くのである。寝れない。仕事もできない。
それでも幸せなのである。

幸福とは、主観的感情である。
だから、各人らによって感じ方は違う。

だから、中世人よりも現代人が幸せだとは言えない。

最後の章は少し怖かった。

科学技術の発展は急激である。

インターネットが広く利用されるようになり始めたのは90年代の初頭だが、そこからわずか20年ほどで、インターネットのない世界など考えられなくなった。


最近の研究では、氷の中のナウマンゾウを復活させたり、ネアンデルタール人を復活させる研究があったりする。ジェラシックパークの世界は、現実に可能なのかもしれない。
ハエに機械を入れて敵を盗聴させるという話しは現実に可能だし、手や足をロボット化する人間強化問題はパラリンピックを見ていたら進行中であるのはわかる。サイボーグ生命体も近いうちにできるだろうし、人間の脳をPCに取り込むことも研究されている。


生命科学の発展は、「人間の神聖さ」を切り崩し、遺伝子を改変する私たちの能力が無限の可能性を持つことを明らかにした。当然ながらそれは非常に危険な可能性だ。



人は何ごとも深くは考えてない。

かつて人間が、農業革命によって、意図せずとも自らの生活を悲惨なものに追いやってしまったように、我々はしばしば、自分たちがやっていることが結果的に何を引き起こすのかを理解できない。


遺伝子をいじくりまわし、肉体をロボット化することで、もしかすると、人は別の人種に進化するのかもしれない。
しかし、それって人類なの?。と考えてしまう。

本書で示された未来の可能性に、僕は恐怖しか感じない。
おもしろい本です。
気になったところだけピックアップしましたが、多分、半分も読み込めてないと思います。
じっくり精読されることをおすすめします。
それだけの価値のある本だと思います。


2022 10 9



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