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蒸スタッフ ペイの生い立ち 『サッカー少年が新卒でうつ病発症し、2年引きこもりニート。その後、人生をサウナに救われる。』

こんにちは!
蒸-五箇サウナ- スタッフのペイです!

いきなり、強烈なタイトルから始まってしまい、失礼しました。笑

実は支配人のキリさんと話してる中で、『ペイちゃんがどんな人なのか、あんまり知られてないんじゃない?』と言われ、確かに!ちゃんとした自己紹介を蒸を通してやっていない!ならnoteで自己紹介記事書こう!という感じで執筆が始まりました。

蒸唯一のスタッフである僕が、如何にしてこの京丹後という地で、サウナ業をすることになったのかを赤裸々に書いていければ良いなと思っています。

内容的に、少し重く感じる方もいるかもしれませんが、包み隠さずにいこうと思いますので興味があれば読んでいただけるとありがたいです。

では、始めます!



サッカーしか知らない幼少期〜高校時代


幼稚園からサッカーを始め、高校で部活を引退するまで数十年間、いつも僕の生活の中心にはサッカーがありました。

サッカーを通して喜び、悲しみ、悔しがり、その喜怒哀楽を繰り返して人間的にも成長していったのかなと、振り返れば思います。

多くの友達もサッカーを通して出来ましたし、サッカーをやってこなかった人生が想像できないくらい、良くも悪くもサッカーしかしてきませんでした。

よくある、サッカー以外の趣味は何?と聞かれたら、フットサルと答えてしまうくらい球を蹴ることに夢中な幼少期〜高校時代でした。


下部中央でトロフィーを持つのが僕


高校最後の試合。ガリガリですね笑


ごめんなさい、サッカー以外の思い出があまり見つからなくて、、笑

性格的にいえば、明るくてTHEサッカー少年みたいな感じだったのかなと思います。正直、あまり苦労した覚えがありません。そこそこサッカー上手くて(自分で言うな。)、でもビビりだから強豪校のオファーは断って地元の公立高校でキャプテンやるような、めちゃくちゃタチ悪いタイプ。笑

今思うと、この時代に思い切り鼻をへし折られるような経験をしておけば、数年後にあんな大惨事にならなかったのかなとも思いますが、過去は過去なので今更何を思ってもしょうがないですね。



知り合い0から始まった大学生活


幼稚園から高校まで地元愛知県の豊田で収まっていた僕は、友達と受けた大学の推薦入試にあっけなく落ちてしまい、第2希望だった大学へAO入試で合格。

初めて、地元からほんの少しだけ離れた生活にシフトチェンジしていきました。

ただ、このほんの少しという微妙な距離感は、ビビりな僕を成長させる機会にはならなかったのかと思います。

授業が終わればすぐに地元に直帰して、地元の友達や後輩と遊び呆ける毎日。あまりにも帰るのが早すぎて、同じ学部の友達にボルトなんてあだ名をつけられるほど、即帰宅していました。笑

結果、同じ学部で数人仲良い子ができて飲んだり、遊んだりして楽しい時間を過ごしたと同時に、大学を有意義に過ごせたかといえばそんなこともなく、大して何にもせず終わりに近づいていきました。

もっと色んな人に会って、話をしておけばよかったのかなと少し後悔しているけど、地元のみんなといるときは本気で自分達が日本で一番面白い集団だと思っていました。そのくらい居心地はよかったし、楽しかった。だから複雑です。


大学時代の一番の思い出は、グランドキャニオンを見たことです




就活を経て、歯車が狂い始めた就職


学校の先生になりたいなんて夢はあったものの、教職課程で折れてしまった僕はなんとなく就職活動を始めました。

別に仕事なんてなんでもいいや、とりあえずネームバリューで決めようという軸のない考えしかなかった当時の僕は、某自動車関連企業に勤められれば安泰だと考え、なんとか某自動車部品メーカーのグループ会社に内定をもらいました。

親父がそこの親会社に勤めていたこともあり、親にも何も言われないし周りに見られても恥ずかしくないだろうと周りの目を重視した結果、とんでもない大惨事が起こってしまいます。

仕事に関してはあまりにも長くなってしまうので、以下の記事を見ていただければと思います。

僕はその後、うつ病になり2度の休職を経て退職します。
割愛するにはあまりにも重い内容ですいません。笑




うつ病で2年引きこもり、重度の不眠症を治すために入ったサウナ


うつ病と診断されてから2年ほど、仲の良い友達と会う以外はずっと家にいました。大袈裟に言えば、引きこもりのような生活ですね。

ただ、家も家で問題を抱えていた僕に休まる場所はなくて、正直症状が良くなっているとは全く思えませんでした。

実家がマンションの6階だったため、ここから飛んでしまえば、、なんてもう数え切れないほど思いましたが、ビビりな性格が良い方に転んで(?)自ら命を絶ってしまう勇気も持ち合わせていませんでした。

ゴールが見えない療養生活を送っていたとき、忘れもしません。
部屋でぼーっとテレビを見ていた時に、俳優の北村匠海さんがある番組でサウナについて熱弁していたんです。

『サウナで心も身体もととのえる。特に睡眠の調子が上がった。』

この一言が当時の僕にはお告げのように聞こえました。

早速家の近くのスーパー銭湯で初めてしっかりサウナに入ってみようと家を飛び出したのを覚えています。

正直、当時は水風呂なんて大嫌いで入るやつ頭おかしいくらい思っていたんですが、しっかり入ってみると、ととのう感覚に近いものを得られた気がしていました。

その夜、うつの弊害で重度の不眠だった僕は、久しぶりにしっかり眠ることができました。
もう本当に、久々のちゃんとした睡眠に朝起きて泣きましたね。笑

そこから、サウナとうつ病(不眠)の相性はいいんじゃないか?と考えるようになり、時間だけはあったので全国津々浦々、色んなサウナ施設に足を運ぶようになりました。



感動のThe saunaと、そこにいたキリさん


愛知県内のサウナ施設はほとんど制覇し、県外のサウナを調べていると長野にとんでもない施設を発見しました。

もう今ではサウナ好きで知らない人はいないであろう、The saunaです。

たまたま当時、2号棟カクシ建設のヘルパー募集がされていて、なんと手伝い後にサウナ入り放題と書いてあり、うつのリワークがてら行ってみるかと勇気を出して連絡したのを覚えています。


初のアウトドアサウナでぶっ飛び、こんなにも気持ちいのかと感動しました。

こんな素晴らしい環境で仕事がしたいな、、なんて考えましたが、うつ病のこともあり、すぐに働くという考えがなかった僕はお客さんとしてその後も数回The saunaに通いました。
その何回目かで、今働いている蒸-五箇サウナ- オーナーのキリさんに出会いました。

キリさんは当時、 The saunaのヘルパーとして活動されていました。


当時のキリさん。痩せてる。

『ここで修行したら、地元の京都にアウトドアサウナを開きたいんです!』

キリさんのこの一言を鮮明に覚えていて
『京都なら愛知から近いんで、ヘルパーしに行きます!』と軽いノリで伝えました。

この軽く言った一言が、僕の後の人生を大きく変えることになりました。



残り1ヶ月の失業手当で途方に暮れていたところに、鶴の一声


なんだかんだで心療内科に通いながら、体調も徐々に安定してきていたんですが、どうも社会復帰することに引け目を感じていました。

もう一度体調を崩したらどうしよう、人に迷惑をかけたくないという思いが先行し、だらだらと傷病手当と失業手当で食い繋ぎ、とうとう支給が残り1ヶ月となって焦り初めていた頃、僕の元にあるDMが届きました。

キリさんからのDMです。

あの時『手伝います!』と軽く言った一言が、数年経ちこのような形で自分の元に帰ってきました。

願ってもないチャンスと思った一方、2年働いてないブランク&うつ病のリスクがある自分に果たしてやれるのか?そんな思いで葛藤してました。

ただ、地方に住んで働きたいということ、できるだけ自分の好きなことに関わっていける仕事を次はしたいと考えていた僕の心は、もうだいぶ傾いていたんですけどね。笑

隠しても意味がないとうつ病のことを全て話したんですが、快く受け入れてもらい、自分のペースで徐々に働いていいよと言っていただき、思い切って移住しよう!環境を変えてみたいし!てな感じで京丹後にやってきました。

その後の詳しいことは、下記noteの記事をお読みいただければ幸いです。



決して楽ではないサウナ事業。それでも、やりがいもたくさんある


京丹後に移住して、早いもので半年が経ちました。

未だに月に1回は愛知の心療内科に通っていますが、大きく寝込んでしまうくらい体調を崩してしまうことはなく、当初よりも任されることも多くなり右往左往しながら日々奮闘してます。(気圧にはやられぱなしですが。笑)

ある程度覚悟してはいましたが、サウナ事業は楽じゃないです。
むしろ大変です。

乱立しているサウナ施設の中で、今後どう生き残っていくのかも考えなければなりません。

ただやはり、お客様と直で関われる素晴らしい仕事であるのも間違いないです。
自分たちが火入れしたサウナで気持ちい!最高!と目の前で言っていただけるのは、これ以上ないやりがいだと思っています。

時々、働いていて未だに夢のように思うことがあります。

ここ数年、ジェットコースターのように上下動しながら過ごしてきた日々を振り返ると、まさかこんな地方でサウナを提供する側になるなんて思いもしてなかったです。

3年前のうつの発症当時は、とても辛い毎日を過ごしました。
ただ、当時は全く思いませんでしたが、今はこれだけは言えます。

死ななくてよかった。

あのうつ病の辛さを知っているので、容易に悩んでる人に死ぬなよ!死んだら全て終わりだよ!とは、僕は言えません。

本当に死にたくなるくらい辛いの、知ってます。

そして、僕みたいなパターンは本当にラッキーの連続だなと思っています。
たまたま色んな人にお世話になり、たまたまここまでやってくることができました。

こうすれば上手くいく!なんて方法は、多分ないです。

ただこれだけは伝えたいんですが、決してうつ病は恥ずかしいものじゃないです。

うつ病は甘えなのか?甘えじゃないです。病気です。しんどいです。

この現代でかなり多くの人がうつ病になっていますし、未だに偏見があるのも分かります。

それでも、うつ病になったら人生終わりなのか?といえば、そうでは無いと今は思います。

上手くうつ病の症状と付き合いながら人生をやっていくことは可能だと思いますし、僕はそれを体現していきたい。

だから今後、うつ病や休職者、ニートなど社会的に弱い立場だと認識されている人たちに対して、サウナを通して何か活動できないかと企んでおります。やれる範囲で、ですけどね。

これは、サウナに携わっているうつ病の僕だからできることなんじゃないかなと。

気持ちが少しだけ分かる僕だから、やれることだと自負しています。

人を救うことはできないかもしれませんが、あいつみたいに生きてもいいんだ〜くらいを目標に、今後も発信活動をしていきたいです。



かなり長くなってしまいました、、、

ここまで読んでいただいた方、本当にありがとうございました!

ぜひ、蒸-五箇サウナ-、ぬかとゆげでお会いできるのを楽しみにしてます!

大変なことも多い毎日ですが、サウナ入ってたくさん食べて寝て、それなりに楽しんでいきましょう〜。では!


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