酔生夢死

酔生夢死(1962~2011) 映画が好き、音楽が好き、本が好き、釣りが好き。映画監督…

酔生夢死

酔生夢死(1962~2011) 映画が好き、音楽が好き、本が好き、釣りが好き。映画監督を目指して、大学卒業後関西から東京へ。所謂ギョーカイで助監督などしながら糊口をしのぎ、酒とライブに生きた。最後はしのぎきれずに東京で孤独死。享年49歳。故人の遺志により、遺された雑文を公開。

マガジン

  • 僕の一番長い106日間 ~ 塀の中体験記

    突然の逮捕から106日間の留置場・拘置所での日々。獄中からえんぴつ書きで妹に送ったマヌケな日記を公開。

  • タクシーからの風景

    食い扶持を稼ぐためタクシー運転手を始めた僕が見聞した人間模様。

  • きっとお役には立てない体験記

    ろくでもないことを重ねてきた僕の、きっとお役には立てない体験記

最近の記事

85日目(3)- 願出

(前回の記事)  さて、朝食の後には、曜日によっていくつかの「公式行事」が控えていた。大きくは「願出(ねがいで)」「風呂」「洗濯」の3つである。  まずは「願出」。  これは土・日を除く毎日、行われる。看守が、各種届出用紙の入ったキャスター付きのラックを押して回ってくると、食器口からヒョイとのぞき込み、「ガンセン!」と呼ばわる。漢字で書くと「願箋」である。届出事のある者はあらかじめ食器口に並んで待っており、「××番、○○願いお願いしま~す!」とやるのである。  ここでは、

    • 85日目(2)- 穀潰し

      (前回の記事)  7時20分、点検。「ブーッ」とブザーが鳴り響き、「点検ヨォ~~イ!」の大音声が響く。朝の点呼の時間である。この声が響くと、全員大急ぎで向かって右の食器口の前に並んで正座する。  各部屋の点呼の声が徐々に近づき、やがて我が房の順番となる。  看守の「××号室、番号!」の号令で、古い人から順に、入所時に割り当てられた自分の番号を大声で怒鳴る。僕は幸い2桁の、しかもわかりやすい番号なので助かったが、3ケタの人は舌がもつれそうで言いづらそうであった。間違えると頭か

      • 85日目(1)- 非常に慌ただしい

        (前回の記事)  拘置所での起床は、留置場と同様に7時である。留置場と異なるのは、規則が厳しく、起床の時刻まではいっさい起き上がることが許されないことである。就寝時間中に布団を出るのが許されるのは、トイレに行くときのみである。ほかにも、就寝時に顔は必ず布団から出しておかねばならない、といった規則もある。  ここでも大抵の人は、起床時間前には既に目覚めている。何しろ消灯が9時なので、自然と目覚めてしまうのである。  この日僕は、おそらく起床2時間前には目覚めていたと思う。

        • 84日目(6)‐ メンバー紹介

          (前回の記事) 「それでは、皆さんを紹介します」どうやら、入り口右手の青年が進行役のようであった。 「まずは、杉野さん」入り口の左手に座っている男性である。秀でた額に度の強い眼鏡と学者風の顔つきで、一見、鶏ガラのようにやせているのだが、どうやら着やせするタイプらしく、全身に鋭い筋肉がついている。後刻わかったのだが、空手の段持ちであった。39才。「杉野さんは、この部屋の『房長』です」  さて、「房長」とは、部屋のリーダーである。一番の古株が自動的になるシステムのようで、僕の

        85日目(3)- 願出

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        • 僕の一番長い106日間 ~ 塀の中体験記
          46本
        • タクシーからの風景
          9本
        • きっとお役には立てない体験記
          1本

        記事

          84日目(5)‐ 平安は長くは続かぬ

          (前回の記事)  食事が済むと、いよいよ何もすることがなくなった。  ほぼ3ヶ月ぶりに、一人である。話し声ひとつしてこない。たまに巡回の刑務官の足音が響いてくるだけである。  留置場では、房内は一人でも、常に隣近所の房の話し声や物音が聞こえていたので、ここでの静寂には、ほっとするものがあった。  刑務官の足音がしないのを確認して、畳の上にごろりと横になる。  実に穏やかな心持ちである。が、すぐに座り直す。先ほど目を通した「生活のしおり」によると、ここでは定められた時間帯以外

          84日目(5)‐ 平安は長くは続かぬ

          84日目(4)‐ 本物の臭い飯

          (前回の記事)  問診が済み、いよいよ牢へ……と思ったら、この日は入浴日に当たっていたということで、早々に入浴することとなった。  まだ僕はどの房にも属していないので、独居房用の個人浴室に入ることとなった。こう書くとなんだか特別な設備のようにも聞こえるが、何のことはない、一般家庭にあるような狭い風呂場である。ステンレスの浴槽があり、湯と水の蛇口もついている。家庭風呂と異なるのは、窓に格子がはまっているのと、壁に何の装飾も無く、コンクリートむき出しの寒々しい造りである点くらい

          84日目(4)‐ 本物の臭い飯

          84日目(3)‐ 真珠は入れてるか?

          (前回の記事)  やって来た刑務官は、先ほどとはまた別の人であった。のっけから、 「いいか! 今から職務権限により、いくつか質問するから、正直に簡潔に答えるように!」と、高圧的な態度である。  これは拘置所生活全般を通じて云える事だが、看守は「先生」もしくは「おやじさん」と呼ばれ、基本的には絶対服従、反抗すると「懲罰」と云って、各種の罰則が用意されている。絶対権力なのである。  以下、このときのやり取りを当時の記録に基づいて、再現してみる。 刑務官「お前は一体なぜ、ここに

          84日目(3)‐ 真珠は入れてるか?

          84日目(2)‐ 逮捕される緊張感

          (前回の記事)  手続きがすむと、再び軍隊調の号令。 「ハイ右向け、右、前へ進め、突き当りを左……」と、非常に丁寧に道順を指示してくれる。持ち込みを許可された衣類等を空港にあるのと同じX-RAYを通して検査した後、ようやく『囚人服』を脱いで、着て来た服に着替える。持ち込みを許可された荷物を銭湯の脱衣カゴと同じようなプラスチック製のカゴに入れ、いよいよ拘置所内部へと足を踏み入れた。  分厚い鉄の扉を抜けると、そこは学校のような造りとなっていた。  比較的幅の広い廊下がまっ

          84日目(2)‐ 逮捕される緊張感

          84日目(1)- 拘置所へ

          (前回の記事)  移監の日。  朝食後すぐ、看守が呼びにきた。看守に許可を得て、各房に「今日で移監になります。どうもお世話になりました」と、挨拶して回る。僕の移監を始めて知った旧知の留置人たちが一様に、「言ってくれれば『送別会』をしたのに」と言ってくれるが、こちらとしては「『送別会』は嫌いなんで……」とも言えず、モゴモゴと適当にごまかす。  来たときはスポーツバッグひとつだった荷物も、差し入れの本のおかげでバッグには収まりきられず、看守から紙バッグを貰って本を入れる。久しぶ

          84日目(1)- 拘置所へ

          83日目 - 留置場最後の日

          (前回の記事)  加藤氏が移監されて以来、話し相手のいなくなったコソ泥氏、一時収まっていた反抗期がまたやって来たようであった。朝から「気分が悪い」と布団上げを拒否、掃除もさぼって布団にくるまっている。取り調べで出て行っても、すぐに体調不良を訴えて戻って来る。  もっとも例によって、食事と運動には嬉々として這い出て来る。  チョウさんは、まだ加藤氏がいた時に、コソ泥氏と加藤氏が吹き込んだ刑務所での恐怖体験に怯えて、コソ泥氏に質問をし続けている。コソ泥氏は布団にくるまったまま

          83日目 - 留置場最後の日

          80-82日目 - ここでの暮らしもあと2日

          (前回の記事) 80日目 加藤氏が移監されていく。去り際に、「今回は懲役だからさ」と寂しげに笑ったのが印象的であった。このところいつも一緒に刑務所談義に花を咲かせていたコソ泥氏は、取り調べで不在であった。 81日目 かわって入ってきたのは、イラン人のゲロミー氏であった。不法滞在である。多少の日本語は話せるようであった。  彼は片目がつぶれており、聞くと、日本に来て工事現場で働いていたときに、鉄パイプが刺さったのだと言う。しかもその時すでに不法滞在だったので、ちゃんとした医

          80-82日目 - ここでの暮らしもあと2日

          74、79日目 - 移監ラッシュ

          (前回の記事) 74日目 先日来入っていた、地元の『大物』氏が移監となる。  それだけで、すっかり留置場全体がのびのびとした空気となる。いつもより、各房の話し声が大きい。喧嘩も多発する。  先頭を切ったのは、我が房を代表してコソ泥氏。朝の洗面時に「ガンをつけた」と、鮫島氏から因縁を付けられ、小競り合いとなる。そういえば鮫島氏、この2、3日姿が見えないと思っていたら、ようやく病院で骨折した手をギブスで固めてもらっていたようであった。  続いて、隣の二房でも取っ組み合い。川

          74、79日目 - 移監ラッシュ

          71、73日目 - 妙な留置人

          (前回の記事) 71日目 昼食時、ささやかな朗報がもたらされる。  ラジオ放送で、阪神タイガースのセ・リーグ優勝のニュースが流れたのであった。  通常であれば今朝の新聞回覧でわかったはずなのだが、たまたまこの日は新聞休刊日だったので、昼のニュースで知らされる事となったのである。  僕は生まれてこのかた25年、関西、しかも甲子園球場の見える場所で育ったので、半ば自動的にタイガース・ファンになっていた。今やそれほど熱狂的ではないものの、この年のように快進撃だと、やはり少なから

          71、73日目 - 妙な留置人

          66、70日目 - さすがベテランさん

          (前回の記事) 66日目 初公判から一夜が明けた。さすがに一晩寝ると、落ち着きを取り戻す。  昨夜は寝る前に、加藤氏が「検察の嫌がらせだ」と憤っていたが、全く持って同感である。裁判の迅速化などと言いながら、何をダラダラやっているのか。僕のようなチンケな犯罪者は、とっとと出してしまえばよいのである。  中国人のケンさんが去る。今日が判決公判なのだが、99%、その足で東京入管に移送されるという事で、荷物をまとめて出て行った。  またしても留置場の人気者がいなくなり、寂しくなる

          66、70日目 - さすがベテランさん

          65日目 (3) - 命運尽きたり

          (前回の記事)  裁判そのものは、ものの30分ほどではなかっただろうか。  最後に裁判長が検事に、「何かありますか?」と尋ねる。検事が立ち、「別件での追起訴もありますので、次回公判にて」などと言う。  命運尽きたり、の瞬間。おそらくは、僕のささやかな人生で、最大にガッカリした瞬間である。  そこへ追い討ちをかけるように、「それでは次回公判は……」と、裁判長が次回の予定を切り出す。「10月22日でいかがでしょうか?」検事と弁護士「結構です」。  ……………………。  

          65日目 (3) - 命運尽きたり

          65日目 (2) - S氏、ナイスファイト

          (前回の記事)  裁判は淡々と進む。  被告人尋問。いくつかの事実に関して、検察側より質問がある。いずれも「はい」と、答えるしかない。「買ったの?」「はい」「吸ったの?」「はい」。  なにしろ、争点のない裁判である。今さら否定しても、裁判を長引かせるだけである。  実際にはこの時すでに、裁判官、検察、弁護士の事前打ち合わせで、量刑も決まっていたのではないだろうか。  ところで、テレビや映画の裁判シーンで、決定的に間違っている描写がある事に気づいた。よく見かける、検事や弁

          65日目 (2) - S氏、ナイスファイト