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84日目(5)‐ 平安は長くは続かぬ

(前回の記事)

 食事が済むと、いよいよ何もすることがなくなった。
 ほぼ3ヶ月ぶりに、一人である。話し声ひとつしてこない。たまに巡回の刑務官の足音が響いてくるだけである。
 留置場では、房内は一人でも、常に隣近所の房の話し声や物音が聞こえていたので、ここでの静寂には、ほっとするものがあった。
 刑務官の足音がしないのを確認して、畳の上にごろりと横になる。
 実に穏やかな心持ちである。が、すぐに座り直す。先ほど目を通した「生活のしおり」によると、ここでは定められた時間帯以外、横になってはならないのである。

 久しぶりの単独生活は実に心に平安をもたらしたのだが、その平安は長くは続かなかった。
 食事も終わり、2時間ほどもした頃であろうか、近づいてきた足音が僕の房の前で止まった。ガチャガチャと錠を外す音がすると、ドアが開いた。
「69番、移房!」
 ええっ!
「荷物は持っていってやるから、布団を持って」

 えええっ!
 せっかく、2、3日は心穏やかに過ごせると思ったのに!

 やむなく、衣類の入ったカゴを刑務官に渡すと、部屋の隅に積んである布団を抱えた。
 4階の独居房から2階へ。
 つい先ほど上がってきたばかりの階段を、今度は布団を抱えておりる。これが意外と堪える。3ヶ月に及ぶ勾留生活で、かなり体力が減退しているようであった。たった2フロア分降りるだけなのに、布団を持つ手は悲鳴を挙げ、息は切れ、足はふらつく。が、刑務官は待ってはくれない。

 息も絶え絶えにたどり着いた2階は、雑居房のフロアであった。
 やはり一直線の長い廊下の片側に、いくつも灰色の鉄扉が並んでいる。
「線の外側を歩きなさい」刑務官が指示する。やはり床には、センターラインが引いてあるのであった。
 通りすがりに瞥見する。
 鉄扉の左右に窓が開いており、中の様子が見えるのである。意外と部屋は広く、明るい。いずれの部屋にも数人の姿が見える。皆一様に、静かに座ったまま、通り過ぎる僕たちを目で追っていた。

 雑居房の鉄扉が開かれると、中には6人の男たちがいた。
 刑務官に促され、中へと入る。入り口付近にいた人が、カゴを受け取ってくれた。その後判ってくるのだが、刑務官は、決して部屋の中に入ってくることはない。
「いろいろ教えてやってくれ」と、刑務官。入り口左側に座っていた人が「はい」と答える。

 僕は、一番奥のスペースを与えられた。
 まずは手をついて「よろしくお願いします」と挨拶する。初めて留置場に入ったときと同様である。皆も一様に「よろしくー」と声をかけてくれる。

 頭を上げて皆の顔を見てみる。案外、普通の感じの人ばかりであった。もっともこれは、留置場とは違って、半分くらいの人が坊主頭なので、パンチや脱色で一目で「ソレ」とわかる人がいないせいもあったのであろう。
入り口左側に座っていた人が「まあ、楽にして」と、まだ正座をしていた僕に膝を崩すよう勧めてくれる。
 部屋の中央には長机が置かれているのだが、その端を示して、「そちらの席を使ってください」と言われたので、おとなしく着席する。
入り口右側の人が小さな紙片に何かを書き付け、渡してくれる。見ると、名前が6人分書いてあった。

(つづく)


※この手記は2003年に執筆されました。文中の人物名はすべて仮名です。

この記事は故人の遺志により、妹が公開したものです。故人ですのでサポートは不要です。ただ、記事からお察しのとおりろくでもないことばかりやらかして借金を遺して逝ってしまったため、もしも万が一、サポートいただけましたら、借金を肩代わりした妹がきっと喜びます。故人もたぶん喜びます。