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71、73日目 - 妙な留置人

(前回の記事)

71日目

 昼食時、ささやかな朗報がもたらされる。
 ラジオ放送で、阪神タイガースのセ・リーグ優勝のニュースが流れたのであった。
 通常であれば今朝の新聞回覧でわかったはずなのだが、たまたまこの日は新聞休刊日だったので、昼のニュースで知らされる事となったのである。

 僕は生まれてこのかた25年、関西、しかも甲子園球場の見える場所で育ったので、半ば自動的にタイガース・ファンになっていた。今やそれほど熱狂的ではないものの、この年のように快進撃だと、やはり少なからず気になっていた。また、基本的にオヤジの集団であるここ留置場では、スポーツの話題と言うと、ほとんどがプロ野球なのであった。
 あちこちの房から、「おめでとう!」の声が飛ぶ。同房の人からも、「おめでとう」と握手を求められる。看守までやって来て、「よかったねぇ」と祝ってくれる。
 いったいいつの間に僕が阪神ファンであるという話が広まったのか、いささか不思議である。おそらくは、「関西人」という事で、自動的に「阪神ファン」という事になっていたのだろう。しかも間違ってはいない。
 いずれにせよ、悪い気はしない。

 この一件、全期間を通して唯一、無邪気に喜べた事ではあったが、次の瞬間、哀しい事実に気づいたのであった。

 日本シリーズは見られないではないか!

73日目

 昨日の医務でさらに眠剤を増やしてもらったので、久々にぐっすりと寝る。
 朝食はパン。心優しき看守が、クズ受け用の新聞に、わざわざ昨日のスポーツ欄を入れてくれる。
 再び阪神優勝の記事を読み、読後はありがたくゴミとして出す。新聞によると、日本シリーズは10月18日からである由。これはうまくすると、シリーズ後半は見られるかも、と、ささやかな希望を抱く。

 最近、ちと妙な人が相次いで入って来る。

 ひとり目。「離せよぉ! 触るんじゃねぇ!」と大声で怒鳴りながら連れてこられたのは、無銭飲食で捕まったホームレス。そのルックスから、「なすび」と命名されるが、その名のように飄々とした人物ではなかった。
 留置場に入れられてもずっと立ったままで、同房の連中が気にかけて座らせようとしたところ、大暴れを始める。たちまち看守ほか数人が飛んできて取り押さえるが、それでも暴れていたので、臨時に一室の留置人を他房に移して部屋を空け、拘束衣を着せて放り込んだ。翌日家族が見つかり無事に出て行ったが、一時は騒然としたのであった。
 後日聞くと、学生だったのだが、放浪癖があり、家族からも捜索願が出されていた由。

 妙な留置人ふたり目。焼身自殺を図って捕まった中年男。こちらは大人しく入ってはきたものの、全身にガソリンを浴びており、風呂でゴシゴシ洗われたのだが、まだガソリンが落ちきらず、2、3部屋離れた僕の部屋までガソリン臭が届くほどであった。この人は大人しかったので、さっそく同房者による「取り調べ」が行われたが、隅にうずくまったまま一言も口をきかず、結局、なぜ焼身自殺を図ったのかは不明であった。
 この人も、翌日家族に引き取られていったが、いる間はガソリン臭くてメシが食えなかった、と同房者は愚痴っていた。

 さんにん目。なんと、両親を殺害して捕まった青年。先のふたりに比べると、一見普通に見えるのだが、なにしろ罪が罪である。さすがの猛者たちも、うす気味悪がってあまり近づかなかったようである。
 数日後、精神鑑定を受ける事となり、移監されていったが、この人も最後まで一言も話さなかったそうである。

 出て行ったあと、乱暴者で名高い同房の猛者が、「ああ、怖かった」と感想を述べ、ほのぼのとした笑いを誘っていた。


※この手記は2003年に執筆されました。文中の人物名はすべて仮名です。

この記事は故人の遺志により、妹が公開したものです。故人ですのでサポートは不要です。ただ、記事からお察しのとおりろくでもないことばかりやらかして借金を遺して逝ってしまったため、もしも万が一、サポートいただけましたら、借金を肩代わりした妹がきっと喜びます。故人もたぶん喜びます。