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84日目(4)‐ 本物の臭い飯

(前回の記事)

 問診が済み、いよいよ牢へ……と思ったら、この日は入浴日に当たっていたということで、早々に入浴することとなった。
 まだ僕はどの房にも属していないので、独居房用の個人浴室に入ることとなった。こう書くとなんだか特別な設備のようにも聞こえるが、何のことはない、一般家庭にあるような狭い風呂場である。ステンレスの浴槽があり、湯と水の蛇口もついている。家庭風呂と異なるのは、窓に格子がはまっているのと、壁に何の装飾も無く、コンクリートむき出しの寒々しい造りである点くらいである。

「入浴時間は15分だから」と、刑務官に言われる。留置場にいたときに、拘置所での入浴は短いと聞いていたので、驚きはしなかったが、留置場ではのんびりと入浴していたので、少しく慌ててバタバタと体を洗う。しかし体を洗うのが精一杯で、湯につかるまでのゆとりは無かった。しかも出たとたんに、「湯を出して来たか?!」と、怒鳴られる。何のことかわからずキョトンとしていると、「次の人のために、使った分は湯を足しとくんだ」と、教えられた。

 入浴もすみ、いよいよ房へと入ることになった。これも、留置場で聞いていたのだが、誰でも最初は、独居房に入る由。大抵は2、3日独居房で過ごし、特に重罪で起訴されている場合や、本人の性格に問題のある場合以外は、雑居房に移されるのだそうである。映画やドラマで登場するのは、主にこの「独居房」である。

 僕の入った部屋は、4階にあった。
 独居房は、畳2畳に板の間1畳の、3畳くらいの広さであった。奥に小さな明かり取りがあるが、まだ昼間だというのに、かなり薄暗い。独居房の場合、廊下に面した小窓も小さく、後に入る雑居房に比べると格段に薄暗いのであった。
 板の間の部分に、小さな流しと、洋式便器がある。無論、便器はむき出しで、腰の高さほどの小さなついたてのみがかろうじて目隠しとなっている。傍らには、バケツにぞうきん、ほうきと言った、掃除用具も置いてある。
 壁には30cm四方くらいの小さな棚があり、そこに自分の荷物を置くようになっている。

 畳の部分には、きちんと重ねられた布団一式に、40cm×50cm位の小机が一つ。その上には、既に食事が用意されていた。
「食事が終わったら、食器は重ねて食器口に出しておくように。あと、横の冊子をよく読んで、ここでの生活の決まりを覚えておくように」と僕を連れて来た刑務官が指示する。見ると、壁の小さな棚に、ノート代の冊子があった。
 冊子を手に取って眺めてみる。
「生活のしおり」と題された冊子で、表題の横に「黒羽刑務所・宇都宮拘置支所」とある。改めて「刑務所」と活字で印刷されているのを見ると、なんだか一段と「そこ」が身近に感じられたのであった。
 中身はと言うと、拘置所における生活について事細かく指示されている冊子で、部屋のどこに何を置かねばならないか、『点検』の際の座る場所や、用具の配置等がセンチ単位で細かく指定されている。驚いたのは、ほとんどの漢字にルビが振ってあることであった。

 刑務官から「まあ、後でゆっくりと読んでおくように」と言われ、ひとまず食事をとることにした。

 拘置所第一段のメニューは、アサリのスパゲティ、甘く味付けした豆、イカの煮物、そして遂に御対面、本物の「臭い飯」であった。……と書くと大仰だが、単なる麦飯である。麦3米7位の割合であろうか。思っていたよりも麦の割合が少ない。多少パサパサしている点を除けば、全く気にならない。プラスチックの容器に盛られており、かなりちゃんとした量が入っている。
 肝心の味の方はと言うと、いずれもそこそこに美味であった。スパゲティも決して茹ですぎることなく、アルデンテとまでは言わないが、ちゃんとコシを保った状態に茹でられている。下手な町場の食堂よりよほど気の利いた味付けであった。
 長い留置所生活で、舌のハードルがかなり下がっていたであろう点は否めないが、全般を通じて、拘置所での食事はかなり悪くはなかったのである。

 さすがに新しい環境に多少の緊張はあったのか、せっかくの食事も半分ほど残してしまう。もっとも、留置場の弁当の1.5倍の量はあったので、そのせいもある。

(つづく)


※この手記は2003年に執筆されました。文中の人物名はすべて仮名です。

この記事は故人の遺志により、妹が公開したものです。故人ですのでサポートは不要です。ただ、記事からお察しのとおりろくでもないことばかりやらかして借金を遺して逝ってしまったため、もしも万が一、サポートいただけましたら、借金を肩代わりした妹がきっと喜びます。故人もたぶん喜びます。