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80-82日目 - ここでの暮らしもあと2日

(前回の記事)

80日目

 加藤氏が移監されていく。去り際に、「今回は懲役だからさ」と寂しげに笑ったのが印象的であった。このところいつも一緒に刑務所談義に花を咲かせていたコソ泥氏は、取り調べで不在であった。

81日目

 かわって入ってきたのは、イラン人のゲロミー氏であった。不法滞在である。多少の日本語は話せるようであった。
 彼は片目がつぶれており、聞くと、日本に来て工事現場で働いていたときに、鉄パイプが刺さったのだと言う。しかもその時すでに不法滞在だったので、ちゃんとした医療も受けられず、それ以来、激しい頭痛に悩まされているのだそうである。いささか可哀想なゲロミー氏ではあったが、2、3時間おきに頭痛薬を求め、夜中でも騒ぐのには閉口させられた。

 これで我が一房も、日本人2人に中国人のチョウさん、イラン人のゲロミー氏と、人種のるつぼと化した。
 そのチョウさんとゲロミーさんが会話を始める。ゲロミー氏は漢字がわからないし、チョウさんは日本語がわからない。コソ泥氏は面倒がって「勝手にやってくれい」とそっぽを向いて寝てしまう。
 いきおいヒマ人の僕が間に入って通訳をする事となった。まずゲロミー氏の怪しげな日本語を、僕がさらに怪しげな漢字で書く。チョウさんはそれを読み、中国語の省略された漢字で書く。僕がそれを解読し、ゲロミー氏にもわかるように噛み砕いた日本語と手振りで説明する、と言う、実に煩雑な手続きがとられたのであった。
 途中、様子を見にきた看守がしばらくそれを見て爆笑していたが、彼は中国語が堪能で、チョウさんの説明が僕にちっとも伝わっていないのがおかしかったのであった。
「わかってんのなら、通訳してくださいよぉ」と言うと、彼は、「でもそしたら、すぐに話が終わってしまうよ」
 確かにそれでは、暇つぶしにならない。

 この日の夕食前、僕に移監の通知があった。月曜日に、拘置所へ移されるのだそうである。
 ここでの暮らしも、あと2日となった。

82日目

 朝の運動時、隣の房に新顔が入っていた。見たところ、ごくごく普通のサラリーマンと言った感じの青年である。
 煙草を吸いながら聞いてみると、僕と同罪で、京都からやって来たと言う。
 しかもさらに聞くと、なんと、僕と同じ売人からマリファナを買っており、僕と同様、売人が手元に残していた送り状から足がついた、可哀想な人であった。一気に意気投合し、ふたりで売人をこき下ろす。彼によると、当の売人は隣の署に留置されていたが、すでに裁判も終わって実刑を食らっているとの事であった。
 さらに彼の情報によると、現在荒木刑事は、同ルートの新たなる容疑者の調査で東北へ出張している由。間抜けな売人のおかげで、逮捕者は日本全国にわたっているのであった。

 さすがはネット通販の時代と、妙に感心したのであった。


※この手記は2003年に執筆されました。文中の人物名はすべて仮名です。

この記事は故人の遺志により、妹が公開したものです。故人ですのでサポートは不要です。ただ、記事からお察しのとおりろくでもないことばかりやらかして借金を遺して逝ってしまったため、もしも万が一、サポートいただけましたら、借金を肩代わりした妹がきっと喜びます。故人もたぶん喜びます。