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85日目(2)- 穀潰し

(前回の記事)

 7時20分、点検。「ブーッ」とブザーが鳴り響き、「点検ヨォ~~イ!」の大音声が響く。朝の点呼の時間である。この声が響くと、全員大急ぎで向かって右の食器口の前に並んで正座する。
 各部屋の点呼の声が徐々に近づき、やがて我が房の順番となる。
 看守の「××号室、番号!」の号令で、古い人から順に、入所時に割り当てられた自分の番号を大声で怒鳴る。僕は幸い2桁の、しかもわかりやすい番号なので助かったが、3ケタの人は舌がもつれそうで言いづらそうであった。間違えると頭からやり直しなので、ちと緊張する時間である。

 7時半、点呼がすむと朝食である。
 いわゆる「模範囚」の人が、配ってくれる。灰色の帽子に、同じく灰色の「囚人服」をきた姿は、明日の我が身を彷彿とさせるに充分であった。
 食器口に近い人、すなわち房長が受け取り、順次手渡しで奥へと配膳していく。一番奥にいる僕は受け取るだけで、この配膳の時間に関しては何もすることがない。
 この日の朝食。吉野家『並』大の丼1杯の麦飯、味噌汁1椀、プラスチックの皿2皿の共用のおかず、この日は、ノリの佃煮にタクアンであった。この共用のおかずは、房長から順に自分の丼に取り分ける。取りすぎると後の人の分が無くなるので、「平等」をもって旨とするこの世界では、いささか気を遣う作業でもある。末席の僕は残りをさらえればよいので、実に気楽な立場である。
 全員準備ができると、「いただきます!」と唱和し、食い始める。食事中の私語は禁止である。食後も一斉に唱和するのだが、なぜかおなじみの「ごちそうさま!」ではなく、「いただきました!」であった。僕たち「穀潰し」にとって、食事は「いただく」ものなのであった。
  朝食が済むと「願出」などの時間になるのだが、ここらで部屋の様子を少しく述べておこう。

 僕の入った雑居房は、ちょうど10畳の広さである。
 入り口を入って片側に畳3枚、反対側に4枚、中央に1.5畳分の板の間があり、そこには長机1つ小机1つが置いてある。この机で食事をしたり、手紙や日記を書いたり、自由時間には将棋が行われたりもする。なぜか唯一のリクリエーション具として、将棋のセットだけは備えられていた。
 残った1畳分のスペースはコンクリート床になっており、トイレと流しがある。僕は元来、ガブガブと水を飲む方なので、これはとても助かった。留置場では喉が渇いてもいちいち看守を呼んでコップの水を貰わねばならなかったが、ここではいつでも好きな時に水が飲めるのであった。
 窓は広く、昔懐かしい鉄製のずっしりとした窓である。僕の部屋には、建物が古いせいかいささか建付けが悪く、どうしてもきっちりと閉まらない窓が1枚だけあった。僕のいた間は何の問題も無かったが、冬はさぞかし寒いことであろう。
 窓外には太いパイプの格子があり、さらにその外側に、巾50cmほどの分厚い金属板が逆ブラインド状に上から下まで取り付けられている。空は見えるが、下の様子は見えないようになっているのである。前にも述べたが、空が見えるだけでもずいぶんと開放感があり、ホッとするものがある。
 壁には30cm四方くらいの2段棚が取り付けられている。これは1人1つずつ割り当てられており、ここに各自の身の回り品を置くようになっている。さらにプラスチック製のハンガー1つと、脱衣カゴ1個が各自に割り当てられていた。
 雑居房での各自の場所は、入った順に決まっていた。
 以前にも書いた通り、一番古い「房長」は廊下側の向かって左手、右手には二番目に古い「副房長」、以下、部屋の奥にいくに従って、新しい人となる。僕は昨日入ってきたばかりなので一番窓側、ここでは「末席」と呼ばれる場所であった。一見、奥のほうが「偉い人」とも思われるが、一番廊下側の席には、ささやかながら特権があった。
 ここ拘置所では、壁にもたれることは一切禁じられている。ところが廊下側の席だと、ちょうど壁の死角に入っているので、壁にもたれることができるのであった。
 またここでは、一人当たりのスペースもきっちり畳1枚分と決まっており、3畳に4人がひしめいていた留置場から来ると、実に広々とした空間なのであった。

(つづく)


※この手記は2003年に執筆されました。文中の人物名はすべて仮名です。

この記事は故人の遺志により、妹が公開したものです。故人ですのでサポートは不要です。ただ、記事からお察しのとおりろくでもないことばかりやらかして借金を遺して逝ってしまったため、もしも万が一、サポートいただけましたら、借金を肩代わりした妹がきっと喜びます。故人もたぶん喜びます。