⭐はたして「人生は死ぬまでの暇つぶし」なのか? (随筆)
人生とは何か?
その問いは、古来より哲学者や思想家たちを悩ませてきました。しかし、あるフランスの哲学者、ブレーズ・パスカルは、人生を「死ぬまでの暇つぶし」と表現しました。一見、虚無的で無意味な言葉に聞こえるかもしれません。しかし、この言葉には、深い洞察と人生を豊かに生きるためのヒントが隠されていると私は考えます。
暇つぶしとは、一見無意味で目的のない行為のように思えます。しかし、暇つぶしにこそ、人間の創造性や遊び心が最もよく表れるのです。
例えば、子供たちは砂場で砂遊びをします。そこに明確な目的はありません。しかし、彼らは砂遊びを通して想像力を膨らませ、世界を創造していきます。大人だって同じです。読書、映画鑑賞、旅行など、様々な娯楽活動は、日常の喧騒から逃れ、心をリフレッシュするための暇つぶしと言えるでしょう。
パスカルは、人生にあらかじめ定められた意味はないと考えました。しかし、それは決して絶望的なことではないのです。むしろ、人生に意味がないからこそ、私たちは自由であると言えます。自分の好きなことをし、自分の価値観に基づいて人生を築き上げていくことができるのです。
「死ぬまでの暇つぶし」という表現は、人生の儚さを示唆しています。しかし、同時に、限られた時間をいかに充実させるかという問いを投げかけています。私たち一人一人が、与えられた時間を大切に、自分らしく輝ける人生を送ることが大切なのです。
人生は一冊の本のようなものです。ページをめくるごとに新しい発見があり、時には予期せぬ展開に心躍らせます。しかし、その本には最後のページが必ず存在し、物語は終わりを迎えます。しかしながら、その終わりが近づくまでの時間をどう過ごすかは、読者である私たち次第です。
私たちは日々を暇つぶしと呼ぶこともできます。しかし、それは単なる時間の浪費というわけではありません。暇つぶしは、人生という旅の中で出会う小さな楽しみ、発見、そして成長の瞬間を意味します。それは、友人との会話、本の中の冒険、または新しい趣味の探求かもしれません。これらはすべて、人生という大海原を航海する船の帆を膨らませる風となります。
例えば、以前私が行なっていたことでは、ガーデニングが、まさにその一例です。土に触れ、種をまき、水をやります。それは単純な作業の繰り返しに過ぎませんが、やがて芽が出て、花が咲き、実がなります。この小さな奇跡は、毎日の暮らしに彩りを加え、生命の不思議に思いを馳せる機会を与えてくれます。
また、旅行も人生の素晴らしい暇つぶしの一つです。新しい場所を訪れ、異なる文化に触れ、未知の食べ物を味わいます。それは、日常から一歩踏み出し、自分の世界を広げるチャンスとなります。旅行から戻ったとき、私たちは少し成長し、そして少し優しくなっています。
多くの人が仕事に追われ、日々を忙しく過ごします。しかし、時には立ち止まり、深呼吸を一つ。空を見上げ、星を数え、自然の美しさに心を奪われることもあります。
人生の暇つぶしは、決して無駄ではありません。それは、人生という本の中で、私たちが自ら書き加える物語であり、その一ページ一ページが、最終的には私たち自身の物語を形作ります。だからこそ、私たちはこの一瞬一瞬を大切にし、心から楽しむべきなのです。
そして、最後のページがめくられるその時、私たちは振り返り、満足のいく物語を紡ぐことができたと感じることができるでしょう。人生の死ぬまでの暇つぶしは、死ぬまでの物語作りなのです。
死ぬまでの時間をただ過ごすのではなく、その一瞬一瞬を大切にし、人生を全うすること。それが、私たちが目指すべき真の「暇つぶし」なのです。