SaaSベンチャーでエンジニアをしていた私がヤフーのプロダクトマネージャーとして転職してみて(キャッシュレス決済プロダクトマネージャー編)
はじめに
初めまして!現在、株式会社contento というコンサルティング会社で代表を務めている小川正樹と申します。
noteでは、これまで私が複数の会社で働き、そこで得てきた経験について会社ごとに紹介しながら、プロダクトマネージャーとして学んできたことや日々の持論について書いていきます。
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ヤフー1年目はリハビリ期間
ヤフーの採用面接過程で上記のような会話があり、私は一介のベンチャー企業のプログラマーから、ヤフーのキャッシュレス決済プロダクトマネージャーに転職することになりました。
そこで迎えたのは、以下のような現実でした。
今回の記事では、私がどうやって困難を克服していったかを書きます。
苦労話① ビジネス知識が全くない
案の定と言いますか、、
配属先のキャッシュレス決済プロダクト事業部の先輩社員は、銀行・信販会社・ポイント発行会社・クレカ会社などの決済ビジネスど真ん中の経験・知見をお持ちの方々ばかりでした。
そんな中、わずか3行のプログラムを書いてクレジットカード決済できるようにしたことがあるだけの私の知識が通用するはずもありません。
打ち合わせで飛び交う専門用語が何を意味するのかわからない、
「それいいね!」って結論に至った理由もわからない、、、
逆に「それヤバいね!」ってなった理由もわからない、、、、、
マジで何にもわかりません(笑)
「キャッシュレス決済」という特殊な知識が必要な仕事に、ずぶの素人が就いてしまったというデンジャラスな状況・・
2週間ほどでヤバさを認識しましたが、入社してしまった以上、嘆いても強がっても仕方ありません。
この心境でした。
「オレに今できることをやるよ!!やってやる!!」
「システムエンジニアのキソ、WEBプログラマーのキソ、社会人として最低限のビジネスマナー、健康な心身…これが今のオレの手持ちの武器だ!!少しさびしいが…」
開き直った私の取った行動は「カミングアウト」。
後述しますがコミュニケーション能力を欠損していた時期でしたので、同じ部の全社員(500人くらいでしょうか)に自分の履歴書を送り付けて、
自分はもともとエンジニアなので、技術的なことはわかります。説明不要!
が、ビジネス的なことはわかりません!ので優しく教えてくださいね!!
と宣言するという、突拍子の無い行動をとりました・・
ホント今思うと恥ずかしい・・
こんなことやるヤツいねーよ・・
ただ、後にこの行動が運命を切り開くことになるのです。
人生どう転ぶか分からない。セレンディピティ!(次回の記事で書きます)
そこからキャッチアップするのに必死過ぎてちゃんと覚えてはいませんが、最初の半年くらい、素人質問ばかりして、たくさん迷惑や負担をかけていたのだろうな・・と思います。
そんな私に先輩社員の皆様は、優しく丁寧に、素人の私でもわかるように、初歩から応用までを教えてくれました。(逆の立場なら、同じことができただろうか・・・涙)
良い職場、良い人たちに恵まれたと、今振り返ってみて改めて感じています。月並みな言葉ですが、感謝しかありません。
苦労話② WEBプログラマーからプロダクトマネージャーにジョブチェンジ & 数人規模の会社から数千人規模の会社へ
苦労話2つ目の前提として、
私がヤフーの前に所属していた会社は全員がWEBプログラマーでした。
(詳しくはこちら!)
その会社では
出社するけど1日中プログラミングに没頭し、一言も話さない
みたいな働き方をしていました。
「いちいち質問すんな・プログラム読め」が二言目。
当時は気づきませんでしたが、殺伐とした職場だったのかもしれませんね。
常にWEBプログラマーとしての力量が問われるような、そんな環境に長く身を置いた結果、、
第三者とコミュニケーションを取る機会が極端に減っていて、その結果コミュニケーション能力が著しく劣化し、人と会話できなくなっていました。
以下のような状態です。
自分のやりたいこと・考えていることを人に伝わるように説明できない
脳内のイメージをわかりやすく図示できない
っていうか、説明と図示の必要性を認識していない
みたいな感じなので、気づかないうちに配慮の無い発言をしてしまう
ヤフーの人は理解力が無いのかな?って本気で思ってる(無意識の他責)
今思えばまるで洗脳されていたような感覚ですが、
こんな状態で当時約6,000人超の社員同士が協力してサービスを運営しているヤフーに入りますと、大変な苦労をすることになります。
プロダクトマネージャーとして致命的な欠陥
平たく言うと、仕事をうまく進めることができません。
人とうまく協力できないので、当然ですね。
一番ヤバいのは「無意識の他責」で、自分が正しい・間違っているのは自分以外、みたいに思いこんでるところ。
本気で思いこんじゃってるので、気づくことができないんです。
ある記事に、プロダクトマネージャーの仕事が以下のように定義されていました。
・・・「コミュニケーション能力の欠損」という致命的な欠陥を抱えた私はマジでポンコツ。
無意識に敵を作る・・そんな日が続き、半年くらいが経ち
「どうして俺の仕事はうまくいないんだろう???」
って、ようやく感じることができました(遅いw
そこで私は、エース社員と自分の仕事っぷりを徹底して観察しました。
学ぶは"真似ぶ"(まなぶはまねぶ)
職場の人気者で人望の厚いエース社員の彼は、私と真逆のことをやっていました。
具体的には
自分のやりたいこと・考えていることを、丁寧に、平易な言葉・明瞭な図解で、人に伝わるように説明している!!!
決して遠慮はせず本質的な議論は避けないが、配慮にあふれた話術!!!
常にベクトルを自分に向け、決して他責にしない!!!
自分に足りないことばかりやんけ・・
自らを恥じるばかりでした。
私は心を入れ替え、彼のやり方を徹底的に真似ました。
この心境でした。
それまで「資料なんて工数の無駄だ」って思ってた説明資料の作成や、会議の事前準備など、一切手を抜かずやるようにしました。
少しずつ人とうまくコミュニケーションできるようになり、私の考えていること、やりたいことを理解してもらえるようになり、応援してくれる人や仲間が増えていきました。
スタートダッシュは最悪でしたが、、仕事はだんだんスムーズに進められるようになっていきました。
ヤフー2年目でようやく復調
そんなこんなで、1年間のリハビリ期間を経て、私はプロダクトマネージャーとして一定の存在感を出すことが出来るようになり、2つのプロダクトを担当することになりました。
Yahoo! Japan IDの管理システム基盤
Yahoo!ウォレットの決済システム基盤
Yahoo! Japan IDとYahoo!ウォレットは、ヤフーの全サービス横断的に関わるプラットフォームなのですが、
個人情報に関する活用相談やセキュリティに関する相談
課金に関するビジネス企画の相談や営業同行の依頼
などが、ヤフー全サービスから私のもとに集まってくるようになりました。
その結果、
デジタルコンテンツ販売事業(買い切り、月額課金)
物販/EC事業(固定価格、セリ)
会員事業(サブスクリプションモデル)
広告事業(ディスプレイ、リスティング)
などと言った、Yahoo! Japanが手がける各種インターネットサービスのビジネスモデルと、サービスを運営するために必要となる要件について、幅広く知識を得る機会が与えられたのです。
インターネット上で行われる各種ビジネスを支える課金の仕組みや、サービスを提供するための組織構造や業務
インターネットビジネス(B2B、B2C両方)を取り巻く悪意・脅威・セキュリティリスク、それらに対抗する個人情報管理手法・運用業務、備え
クレジットカード会社、銀行や通信会社、ポイント会社との通信仕様や決済ビジネス運用設計
上記のような事柄に関する知識(ビジネスモデル、サービスモデルの両方)が、必然的に増えていきました。
気づくと私は、インターネット上で行われるビジネスモデルや構造、運用や必要な体制・業務などについて、かなり詳しくなっており
「個人ID活用と課金のプロフェッショナル」
なんて、一部の方にですけども、呼んでいただけるようになっていました。
「なんておこがましい・・」と思いつつ、実はとても嬉しかったことを覚えています。
「ただのヤベーやつ」だった私は、人の役に立てるようになったのです。
最後に
今回はヤフー1年目の経験、主に苦労話と克服するためのマインドについて記事にまとめました。
スタートアップ企業と言う小さな村社会・ガラパゴスから、「ヤフー」と言う大都会ともいうべきコングロマリットに移ったわけですが、そのギャップにフィットするために1年ほどかかりました。
創業当初のスタートアップ企業のような「個の力」が大きく問われる環境では、極端に得るものもあれば、失うものもある。私は、人と協働する力を失っていました。
あるプロダクト・サービス・ビジネスが、成長角度を高くするためには仲間を増やし協力することによって、一人で出せない大きな力を出す必要があります。そのために必要なのがコミュニケーション能力です。
ヤフーではたくさんの人が、互いにコミュニケーション能力を発揮しながら1つのサービス・ブランドを形成していました。
ヤフーで1年かけて「大きな組織の戦い方」を学び、「小さな組織の戦い方」にある感覚のギャップを克服することができました。
克服できた理由は1つではありませんが、変なプライドに固執することなく自らを開示できたことが良かったように思います。
恥をかくのを恐れなかったというか・・
「ただのヤベーやつ」だったので、鈍感だっただけかもしれませんがw
幸運にもいい方向に転がりました。
続きはこちらです!
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