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むるめ辞典
■遺伝
[読]いでん
遺す伝
[例文]
母親のことが好きだった。
母親にも子供時代があったというから、昔の知らない母のことを知りたかった。
弟ができたとき母親の胎内でその記憶を共有しているんじゃないかという気がした。
生まれたばかりの弟は私をみて笑っていた。私はずいぶん弟の面倒を見たけれど、結局弟も母親についてはなにも知らないまま生まれてきたのだった。顔だって父親似だった。
とにかく私は母親の真似をした。字の書き方を真似て、話し方を真似た。
子供時代のことを知って、それも真似しようとしていたのだけど、それはかなわなかった。
私は母親の仕草や会話をよく聞いた。目に見えることは注意深く観察して吸収した。夏の岩にしみいる蝉の声のように母親の声は私に染み込んでいった。
目に見えない気質について考えたとき、私は父親に似ていた。そういうのって不思議だなと、子供の頃から思っていた。
この間、父親と酒をのんでいて、私が母親のことをすごく好きだったんだという話をすると「それは遺伝だな。俺もあいつのことがすごい好きだったんだ」と言った。なるほどな、と私は思った。
それで二人で乾杯して遺影に手を合わせて朝までのんだ。父は私の知らない母の話をたくさんしてくれた。父は泣かなかった。私は泣いた。スルメをかじりながら泣き、日本酒が涙で酸っぱくなり、顔はひしゃむくれるまで泣いた。
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