春夏秋冬、春

娘が一生懸命ノートに何ごとか書き込んでいる。入学前にひらがなを覚えようとしているらしい。針金に吊るされたような文字がノートにひっかき傷を残しているのをみた私は「一文字ずつ同じ大きさで書くと、きれいにみえるよ」と言った。娘は怒ったようにふーんと鼻息を荒く押し出して針金の続きに取り掛かった。

晴れた日にノースリーブの袖口から細く伸びた腕をテーブルについて書き物する娘の物干し竿に吊るされた洗濯物みたいに整った文字をみて驚いた。上手になってる。「まっすぐの線を最初にひいて、その上に書いていくと、もっと上手になるよ」と私が言ったら彼女はこっちも向かずにはーいと返事した。

肩の上で揺れる髪のまっすぐな稜線を横から見ていた。鼻先でくるんとカーブした毛先に表情を隠されていても真剣な眼差しで勉強しているのが分かる。ノートには大粒の葡萄くらいの大きさの文字がキレイに並んでいた。漢字もずいぶん書けるようになっている。「今度、漢字のテストを受けてみようか」と私が言ったら娘は、いいよー合格したらなんか買ってねと言った。

試験会場に少し早く着いたのでカフェに入った。テーブルで娘は復習をはじめて、私はコーヒーを飲んだ。ガラス張りの壁の向こうに気持ちの良い陽光に浴して伸びをする黒猫がいた。娘に猫だよと言ったら彼女は顔を上げて、ホントだねと言ってまた顔を下ろした。2ヶ月くらいして日本漢字能力検定十級に合格した証明書が届いた。おめでとうすごいね!と私は心から言った。「テストに合格したからなんか買ってくれるんだよね?何買ってもらおうかな。あれも欲しいしこれも欲しいし、もっともっと欲しいものあるんだよね。それで何個買ってくれるの?」と娘は聞いた。彼女は陽を浴びた猫みたいに満たされていて身体いっぱいに伸びた喜びが笑顔から溢れていた。

再び、春

天候は一年かけて巡り春が帰ってきた。空の上で行く先に迷っている暖かい穏やかな空気を梅の木だけは敏感に察知していた。その花の色に似たピンクのジャケットを着た娘の歩く姿をみていると心配事なんかまるでないという風に見えた。爪を切るために手に取った彼女の指が大きくなっているのをみて少しずつ大人に近づいているのを感じた。

公園に行った。その大きくなった手で鉄棒を握った彼女は「見ててね!」と言って私の前で初めて逆上がりをした。感嘆した私の声はびっくりするくらい大きかった。彼女はこの一週間ずっと逆上がりを練習していたという。子供って本当にすごい。それでアイスとケーキを買って彼女のことをうんと褒めながら家に帰った。

サポートしていただいたお金で、書斎を手に入れます。それからネコを飼って、コタツを用意するつもりです。蜜柑も食べます。