「身体とは?人間とは?」の哲学の時代
2月もあっという間に最後の日に。今月は日数は少ないけれど密度が濃く、意識の変化がダイナミックに起こった1か月でした。まさに「死と再生」「破壊と創造」といった変化が自分の中に起きたように感じます。今月は「資本主義と共同創造」といった大きなテーマを扱い、自分の根幹となる考え方をnoteに吐き出し、言語化しながらまとめていたような感覚です。「自分の人生を生きる!自分らしく生きる!」ということよりも、今の世の中で起きていることやこれから世の中がどうなる?といった考察・思想的な内容が多かったですね。
今月の最初は資本主義の話が多かったのですが、最近は「身体性」の話をよくしています。私が今一番気になっているテーマですし、これからもっと社会全体でも向き合わなければならなくなってくるテーマだと感じています。最近感じているのは、スピリチュアルやエネルギーなど目に見えない世界への理解が進み、エゴ意識からハートで生きる意識に変化してくると、スピリチュアリティとは対極にありそうな大地、地球、自然、環境、肉体、身体性といった第1チャクラ的領域の意識も強化されていくんだなということ。これは当たり前で、いろんなスピ本、サイトなどでも言われていることなのですが、本当にそうなるなぁと改めて認識したわけです。「天」に近づくほど「地」にも近づくと言いますか、「天地人」のパイプが強化される感覚があります。
私が今疑問に思っているのが、巷でまことしやかに言われている「人間の脳にチップを入れて、身体を捨てて、仮想現実で永遠の命を手に入れることができるようになる」といった未来予測。意識やエネルギーやテクノロジー系の話題が大好きな私でも、この未来予測については「荒唐無稽ではないか?」と思ってしまうのですがいかがでしょうか(笑)。これありえるんですかね?肉体を捨てるってどういうことでしょうか?少なくとも私が肉体の死を迎えるまでにはできそうもないんじゃないかと思っているのですが、いかにも頭の良さそうな学者さんたちがそう言っているのなら可能なのですかね。詳しい方いたらぜひ教えていただきたいです。
西洋医学にしても、身体を捨てて仮想現実で生きる話にしても、私たちの「身体」を単なる機械とか道具みたいなものだと認識する発想が根底にあるのではないかと思います。私が学んできたホリスティック医学、自然療法やエネルギー療法では、その方の身体全体、生き方全体をみて、その方の本来の姿に向かっていけるようなサポートをしていくのですが、西洋医学との大きな違いは、「身体」をどんなものととらえているか、という部分だと思います。その「身体」への学びなくして、病気や不調の改善もない、というのが私の考えです。「身体」を「機械」のようにとらえてしまうからこそ、西洋医学的な発想で治療しようとしてしまうのですね。不調な部分をとってしまったり、不調な部分の症状だけにフォーカスしたりしてしまい、身体全体としてのバランスを乱す。そしてまた不調が起きて同じことの繰り返し…完全治癒は見込めません。
これまで書いてきたように、現代の社会で起きている問題のあれこれは、「身体性」に関わる問題が多いと思います。インターネットの発展やAIの開発などに伴い、いろんなことがネット上、機械でできるようになってきたからこそ、「身体性」にフォーカスされてきた感覚がありますよね。インターネットがなければ「身体性」しかない(という言い方が適切かはわかりませんが)状態なので、対比するものもなく、「私たちの身体とは?」と考えることもあまりなかったかもしれません。現代の社会を見るに、私たちの「身体」への認識の歪みや軽視が様々な問題を生んでいるのは確実です。もちろんこれは「性」の問題にも直結する重要テーマです。これからの社会は、究極的には「人間とは何か?」という根源的な問いに向き合うことになる「哲学の時代」とも言えるかもしれませんね。
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